リケ女な彼女の恋愛証明 黄金比
ポンコツツンデレからヤンデレに爆裂進化!
僕、酒見実華佐は悩んでいた。
目の前には無数のディスプレイが立ち並んでいる。
「う~ん、やっぱり、これがいいかな。でも、あっちのやつの方が良さそうだ?
いやいや、向こうにあるやつも押さえておく必要があるかも……」
両手いっぱいにカタログを抱え、ぶつぶつと呟いていると、不満気な声がした。
「もう、たかがテレビを買うのに何をそんなに右往左往してるの。さっさと決めちゃいなさいよ」
振り向くと、女の子が一人、腕組みをして怖い顔でにらんでいた。田所優奈である。
「いやいや、やはり最適な物を購入するには時間をかけて大きさや性能などを総合的に比較しすべきだよ」
「いいえ、実華佐が気にしなくてはならないのは価格だけよ」
「えっ? 価格だけって、そんな味気ないことを」
「味気ないもなにも、どんなに気に入っても買えなきゃ意味ないでしょ。
そもそも、いくらなら出せるの?」
「いくらって?」
「だから予算よ。お財布にはいくら入っているかって聞いているの」
優奈の追求に、僕はおずおずと片手を上げて見せた。「50万?」と聞いてくる優奈に僕はぶんぶんと首を横にふる。
「だったら、40インチ以下しか検討の余地なしよ!」
一言言うと、優奈は僕の首根っこをひっつかむとずるずるとフロアの一角へと引きずっていった。
「さあ、この辺のからちゃっちゃっと選ぶのよ」
さっき見ていた一角から明らかにグレードダウンしていて、大いに不満だった。
「テンション下がるなぁ。
まあ、いいか。ところであの棚に置くとして、これ入るのかな?
40インチって横幅何センチなんだろ。
確か1インチって2.54センチだから……」
計算をしようとポケットからスマホを取り出しすと、「ざっと90センチよ」と優奈が言った。
「ちなみにテレビのサイズ表記は縦でも横でもなく対角線の長さだからね」
「そうなの? 対角線ってどうやって縦とか横を計算するんだろ」
「三平方の定理を使うの」
「三平……えっと、なに?」
「三平方の定理。ピタゴラスの定理ともいうわ。
直角三角形の縦と横の長さの二乗和は斜辺の長さの二乗に等しい、ってやつよ。
今のテレビの縦と横の比率、アスペクト比って言うんだけど、だと縦はおおよそ表記サイズの半分、横は1割減って関係になるわ。
だから、32インチなら横幅は約72センチ、36インチなら81センチよ」
「計算めっちゃ早い!
インチをセンチに直すのだって大変なのに。
もしかして暗記してるの?」
「そんなのいちいち記憶してるほど暇人じゃないわよ。
インチをセンチに変換するのは2.54をかけるより一旦10倍して4で割った方が簡単よ。
例えば50インチなら500を4で割ると125センチ。横幅はその1割減だから125から13引いて、おおよそ112センチってところかしら。小数点は適当に丸めてるから、目安の値だけどね」
「本当だ。テレビのサイズ早見表みると50インチの横幅は110.70センチってなってる」
「昔のテレビのアスペクト比は3:4という美しい比率だったのに、今のはダメよね~」
「あれ、今のテレビの縦横って黄金比って奴なんだろ?
ほら、世界で最も美しい比率ってやつ……」
うっわ、優奈の目がすーーっと細くなって、眉がつり上がってくよ。
出た、出た。久しぶりの『何言ってんの、こいつ』モードだよ。ゴミを見るような、その冷たい目。ゾクゾクする。
「高品位テレビのアスペクト比は16:9=1.777……。そもそもアスペクト比って言ってる時点で有理数。
一方、黄金比と呼ばれるものは (1+√5)/2=1.618……。無理数よ」
「そのみょうちきりんな数はどこから出てきたの」
「元々は特有な長方形の短辺と長辺の比の関係なの。
長方形を“短辺の長さを辺とする正方形“とその残りに分けたとするね。
残りの方が元の長方形と同じ縦横比を持つ長方形、つまり相似になる比率から求められたのよ。
例えるならマトリョーシカ。
切っても切っても最初の長方形のミニチュアが中から出てくる感じね。
マトリョーシカは赤ちゃんが出てきて終わりだけど、幾何の世界では永遠に元の長方形のちっちゃな相似形が現れる。
その縦横比は、縦の長さを1。横の長さ>横の長さとした場合
二次方程式 x^2-x-1=0 の x の解で与えられる。
二次方程式の解の公式から x=(1±√5)/2
二次方程式の解(@重根でない)は2つ存在するけど、今回は長方形の辺の長さを問題にしているから、長辺の長さは正の解である (1+√5)/2 ってなるわけ。
検算してみようか。
長辺の長さ (1+√5)/2
短辺の長さ 1 の長方形から1辺の長さが 1 の正方形を切り出した残りは長方形になるわ。
新しくできた長方形の長辺の長さは、元の長方形の短辺だから 1
新しい短辺の長さは、『元の長辺-元の短辺』から {(1+√5)/2}-1 = (√5-1)/2
新しい長方形の長辺/短辺=1/{(√5-1)/2}=2/(√5-1)
分子と分母に (√5+1) をかける
{2×(√5+1)}/{(√5-1)・(√5+1)}={2×(√5+1)}/4=(√5+1)/2
ほら、縦横比が元の長方形と同じになる。
これが黄金比の数学的な意味よ。
どう思う?」
「どう思うって?って言われても。
へーー、って感じかな」
「今の説明でだから最も美しい縦横比だって、納得できた?」
「……いや、全く」
「そうよね。実はここまでの説明に、だから最も美しい縦横比なんて論拠はどこにもないからね。
そもそもさ、どんな比率が美しいか?なんて、個人的な好みじゃない」
「えっ、そうなの?
でもさ、パルテノン神殿とかミロのビーナスとかに黄金比が隠されてるっていうじゃない?
あれは嘘なの?」
「嘘じゃないけど、別に黄金比になってない建築物や美術品もたくさんとあるわ。黄金比になっている物のほうが少ないと思う。
冷静に考えてみて、パルテノン神殿の縦横比とモナリザの顔の縦横比が黄金比なのはいいわ。でも、ミロのビーナスの下半身と上半身の長さが黄金比だったから美しいとか、それもう、縦横比じゃないから。それに、あれは上半身が短くて下半身が長いから美しいの。上半身が長くて下半身が短かったらどう?
比率的には同じ黄金比なのに美しく見えるかしら?」
胴長なミロのビーナスをすこし想像してみた。
「う~ん、たしかに。じゃあ、黄金比なんて根拠の無いでたらめってこと?」
「でたらめとはいいきれない。
黄金比は自然界に比較的多く出現する比率であるのは間違いないから。
それは自然には自分を元にして複製をする自己相似性って性質があるからよ。その性質が黄金比を作り出すのよ。
そして、人間の脳は見慣れたものを好むという特性があるわ。
つまり、自然界によくある比率を見慣れた人間の脳が、それを美しいと感じる可能性はある。
特に黄金比を尊重した古代ギリシャと古代ギリシャを文化の基盤にしている西洋では黄金比を美しいと感じる人が多いのかもしれないわね。
そこまでは認めるとしても、黄金比を人がもっとも美しいと感じる、ってのは言い過ぎね。
傲慢だと思うよ。
どの比率が美しいと感じるかはそれぞれの文化圏によって違うはずだわ。
例えば、日本は半分にしても比率が保持される白銀比を美しいと感じるといわれているの。
だから、例えば、実華佐が正方形が一番美しいっていう文化圏で育ったら、正方形をいちばん美しい比率って感じるって……」
優奈の言葉は尻切れトンボになる。急に黙り込むと顎に指を当ててなにやら考えこみだした。
「優奈。どうしたの?」
心配になって声をかけるとバネがはじけたように走り出した。走りながら叫ぶ。
「ごめん。私、急に用事を思い出したわ」
「ええ、だってテレビ買ったらそれを僕の部屋に設置するのを手伝ってくれるんじゃなかったのかい?」
「ごめーん。まあ、男の子だから一人でもできるよね。じゃぁ!」
と、言うが早いか、出口へ向かって走っていった。
え--、まじかぁ。僕は駆けていく優奈の後姿を呆然と見つめたまま、つぶやいた。
次の日のこと。
ピンポンと呼び鈴が鳴った。ドアを開けると優奈が立っていた。
「ああ、おはよう」
「おはよう。昨日はごめんなさい」
「え? ああ、いいよ。なにか用事?」
「うん。ちょっと入っていい?」
「ああ、ちゃんとテレビついてる」
部屋に入ると優奈は少し感動したように言った。
「何か飲む?」
「えっ、うん。お構い無く」
優奈はそういいながら部屋の中をキョロキョロと見渡していた。
僕はキッチンでアイスティーを入れる準備を始めた。
「できたよ~
……えっと、なにやってるの?」
テーブルにティーカップを置いた僕は、優奈を見て呆然となった。優奈は一生懸命、部屋の壁に写真を貼っていた。
「昨日、黄金比の話してたじゃない。
見慣れたものが美しく思えるって。それで私ね、思いついちゃったのよ。毎日見てるとそれが綺麗に見えるって、それこそ世界で一番綺麗見えるようになるって!」
と言いながらいそいそと優奈は自分の写真を至るところに貼っていた。テレビ画面には画面を覆うように綺麗にびっしり貼られていた。壁やら柱にも貼られている。
「一応ね、どの角度から見られても大丈夫なように少しずつ角度変えて撮ったのよ。どう?」
「どうって、いや、普通に怖いよ。もう事故物件のお札レベルだよ。せっかくのテレビ画面も完全に見えないし。どうすんのこんなに貼って」
「緊急放送みたいなもの?って思ってもらえば良くない。声は聞こえるから」
「声だけならラジオにしたよ。
って、どこ行くの?」
「お風呂場~」
「お風呂場って、風呂場にも貼るつもり?」
「大丈夫よ。防水加工してるやつだけだから」
「いやいや、そういう問題じゃないから」
風呂場の途中で捕まえて、振り向かせた。
ダメだ。
目にハイライトがないよ。完全に行っちゃってるヤンデレの目だよ。
「そんなことしても無駄だよ」
「何でよ。何で無駄なのよ。ずっと見続けてれば綺麗って思えるようになるって!」
優奈はむきになってそういうと僕の腕を振り払おうとした。その拍子に手に持っていた写真が床にバサバサと散らばる。
「放してよ!やってみなければ分かんない「そんなことしなくでも、優奈が世界で一番綺麗だと思っている」じゃない……」
すっと優奈の力が弱まった。
手を離すと、ゆっくりと床に散らばった自分の写真を丁寧に拾い始めた。
「えっと……はい」
拾った写真の束を渡された。
「いや、もらっても。
僕はずっと優奈が世界で一番綺麗「わーーーーっ!」」
突然優奈は大声で叫ぶと、ツツツツツッと前を向いたまま玄関まで後退する。
すげッ、超高速ムーンウォーク。
直立不動のまま、器用に靴を履くと真っ赤な顔でピシリッと僕を指差し。
「バ、バ、バッカじゃないの!
よくもそんな、は、は、恥ずかしいこと言えるわね!
もう今日は私、帰るから。
ア、アイスティーは今度にするわ。
今日のは、も、もったいないから写メに撮って送って!
じゃ、じゃあ、さよなら!」
嵐のような勢いでドアを閉めて、去っていった。
一体なんだったのだろう、写真の束を片手にぼんやりと思った。
後で、アイスティーを飲みながら、ゆっくりと優奈の持ってきた写真を楽しんだ。
優奈がいっていたように少しずつ角度を変えて、かつ、表情を変えてのかなりの力作写真集だった。
しかし、残念ながら玄関で見せてくれたあの表情のものは一枚もなかった。
正直、あの表情が一番可愛いと思う。
約束通り、アイスティーの写メを送る時に、玄関で見せてくれた表情の写真を送ってくれと頼んだら『変態!』と速攻で返事がきた。
2020/06/30 初稿
[ピタゴラス数]
直角三角形の縦と横の二乗の和が整数の二乗になる組み合わせ
ブラウン管時代のテレビのアスペクト比は4:3なので丁度、ピタゴラス数になっている
4^2 + 3^2 = 16 + 9
= 25 = 5^2
ここから、優奈は数論的に美しいと言っていた。
[二次方程式の解の公式]
二次方程式 a・X^2 + b・X + c = 0
Xの値をa,b,cの組み合わせで求めることができます。
(a,b,cは既知 Xは未知)
それが二次方程式の解の公式 ↓ です。
X={-b ±√(b^2 - 4・a・c)}/(2・a)
X^2 -X - 1 = 0 の場合 a=1,b=-1,c=-1なので
X={ 1 ± √( (-1)^2 - 4・(1)・(-1))}/(2・1)
={ 1 ± √(1+4) }/ 2
={ 1 ± √5 }/ 2 となる