魔法士と魔道具士のその後
薄いベージュ色の紙が一枚。
そこに描かれた大きな円がひとつ。
机上に落ちる長い黒髪を後ろにはらうと、若き女魔法士は「よし」と呟いた。
紙に置かれたペン先を、俺は正面から注意深く見つめていた。
「基礎線引いて……基礎属性つけて……魔力粒子線……と」
頭の中に思い浮かべただろう線・円・文字式が書き込まれていく。
今日の課題は「3つ以上のエレメントを組み込んだ"ちゃんと動く"魔法陣を作る」こと。
魔法力学と魔法錬成学の基礎を終えた者なら、そう難しくないものだ。
だというのに……
「こっちの対極に火のエレメントを指定して、こっちは風の――」
本人は大真面目でも、あまりにも妙な方向に魔法式が組み込まれていく。
「待て、どうして基礎属性に闇を指定したのにそこが風になるんだ。置くならここか、こちら側に火を移動させるしかないだろう」
俺は問題の場所を指摘すると、作業を中断させた。
イラッとした様子で美威が顔を上げる。
「その方が全体的な出力が上がるじゃない。こっち側の半円は基礎属性を光にするのよ。ハーフアンドハーフ。問題ないわ」
「そんな非常識な魔法陣があるか。ここまでは良かったのに、そのエレメントを置くと反発して使えない。闇なのか光なのかはっきりしろ。もう一度この部分から書き直せ」
「なんで?! これだって動くわよ!」
「動かん」
「動くわ!」
譲らないとばかりに、ぴしゃりと美威が言い返す。
書き直しを余儀なくされた魔法陣の出来損ないが、視界の隅にちらと映った。
3度目の正直、と言いたいのだろうが残念なことに不合格だ。
こちらも頭が痛い。何故こんな簡単なことが理解出来ない。
「いいか美威、そんな得体の知れない魔法式を動かせるのはお前ぐらいだ。今自分が何を作ろうとしているのかちゃんと考えろ。魔力を持たない人間が使えるものを作らないといけないのに、単純な核で動かせない仕様にしてどうする? いちいち複雑怪奇な思考に走るから混迷するんだ、もっと簡略化して考えろ。そもそも闇と光は同一魔法円上に――」
「あーっもう! やかましいわね!!」
バン! と机に手をついて美威が立ち上がる。
「休憩! 冷たい飲み物でも飲んでくる!」
「……行ってこい」
ため息交じりに許可すると、美威は鼻息荒くスカートの裾を翻した。扉を開け放ったまま階段を上っていく。
「美威もレブラスも、魔道具のことになると殊更に衝突するよな」
客用のソファーのない地下の作業部屋だ。
上質なオーダーメイドを身につけているにも関わらず、カウンターチェアの上で行儀悪く足を組み替えた飛那姫が、呆れた口調で言う。
美威と同じく非常識の塊のようなこの王太子妃は、隙を見てはこうしてここへやってくる。
王族とはそれほどヒマなのか。野放しにしすぎじゃないかとは心の中でだけ思っておく。
「すまないな、せっかく訪ねてきてもらったのに勉強中で」
「ん? 別に構わないよ。これはこれで面白いから。な、十希和」
飛那姫の隣に座った黒髪の少女が、わずかに首を傾げる。
「面白くは、ない。美威とレブラス、喧嘩する……?」
抑揚のない声でも、心配されているのが伝わってきた。
「いや、喧嘩した訳ではない。意見の不一致というか、不出来な弟子への指導とそれに対する反発というか」
「平たく言えば痴話喧嘩だろ」
「……何故そうなる……全てがその一言に集約されるのはおかしいだろう」
飛那姫の言葉に十希和が「ちわげんか?」と聞き返している。
説明しようとする飛那姫を「十希和に変なことを教えないでくれ」と制して、もう一度ため息をこぼした。
「頭は悪くないと思うんだが……美威は出来ないことがなさ過ぎて、簡単なことほど説明が難しい。誰でも自分のように楽に全ての属性を扱えるわけでないと、理解してくれんことにはこの先厳しいな」
「そんなことくらい美威なら分かってると思うよ? ただすごいのを作りたいだけだろ?」
思わぬことを聞いたような顔で飛那姫が言う。
「作りたいと言っても、基本的なことが出来なければ複雑なものは作れない。光と闇の属性を常人が同時に扱えるのなら確かに創作の幅は広がるだろうが……皆が自分と同じように万能と思われては困る」
「あいつは自分のことを万能だなんて思ってないよ。子供の頃なんか、光魔法全く使えなかったんだからな」
「……何?」
「最初会ったときなんか魔力制御すらゼロだったよ。一番単純な回復魔法と風魔法くらいしか使えなくってさ。盾魔法なんかいくら試しても展開できなくって悲惨だったな。普通に使えるようになるまで1年以上かかったんじゃないかな」
「そうなのか……?」
美威は生まれながらの天才魔法士かと思っていた。
意外に思うのと同時に、興味が湧いた。
「元々属性は全部持ってたと思うんだけど。なんか、前向きになるのと同時に光魔法もちゃんと使えるようになった気がするな、あいつの場合」
「……昔は前向きじゃなかったのか?」
「あー……言ったら怒られそうだけど……聞きたい?」
「教えてくれ。あれのことで知らない話があるのは、面白くないからな」
飛那姫は「私も聞いた話だけどさ」と前置きして、昔からの親友である美威の出生について語ってくれた。
多大な魔力を持って生まれてきた美威は、魔法への理解が薄い辺境の村に生まれ、村全体から疎まれるように育ったという。
親からも持てあまされた子供だったという事実は、俺の胸を悪くした。
変わりたい、誰かに必要とされたいと願い、自分の足でそこから逃げた10歳の少女の話。
飛那姫と出会って、少しずつ生きる力を得て、強気に前向きな今の性格になっていったのだという。
二人が出会ってからのことは美威からも少し聞いていたが、視点を変えて説明されるとまた違った感じを受けた。
いつもやかましくて怒鳴ってばかりの、未来に希望を持って厚かましく生きているように見えた美威が。
まるで真逆に近い性格だったということは衝撃的だった。
思うところが多すぎて、俺は黙りこんでしまった。
「レブラスはさ……美威をちゃんと見てくれてると思ってるんだけど。この先結婚とか考えてないわけ?」
そんな俺を見て、飛那姫がぽつりと尋ねる。
互いに好意があることは周知の事実だ。取り繕う必要もないと、俺は正直に答えた。
「提案はしたが……魔道具マスターになるまでは、弟子でいいんだそうだ」
「はあ? なんの意地だよそれ。あいつ、婆さんになるつもりなのか?」
「まあ、先は長いだろうな」
「レブラスはそれでいいわけ?」
「……いいわけがない」
しかし、それとなくその話を持ちかけた時に遠回しに言われたのだ。
「魔道具士として一人前になるまでは結婚できない」と。
その意味を考えてはみたが、実のところ美威がどういう心づもりなのか俺もよく分かっていない。
「多分なー、使えない自分のままレブラスの隣に立ちたくない、とか思ってるんだろうなー。お荷物じゃなくて対等になりたいんだと思うぞ、あいつ」
飛那姫の言葉に、なんなのだそれは、と思う。
「頭固くて真面目なんだよ。イケメンが好き~とか、玉の輿~とか言ってたわりに、いざそうなってみると浮ついた気持ちだけでゴールイン、て訳にはいかないんだろうな」
「……その説明だけではよく理解出来ないな」
「昔から自分が役に立たないお荷物になるのをとことん気にするんだよ、美威って。魔道具マスターになるまで~なんて意地張るのは、レブラスの負担になりたくないからだと思うよ」
「負担になど」
思うわけがあるか。どんな優れた人間にも出来ることと出来ないことがある。
それが理由だとすれば、馬鹿馬鹿しいにも程があるだろう。
だが面と向かって本人に言う気にはなれなかった。
美威がそう思うにいたった生い立ちを聞いてしまった、今となっては。
「私さ……美威にはとにかく、幸せでいてほしいんだ」
飛那姫が薙いだ声でそう、口にする。
どれ程にさらりと語られても、美威と飛那姫にとってその言葉が重いことを私ももう知っている。
「だからさ、レブラス。美威を頼むよ」
「ああ……」
しっかりとその薄茶の瞳と視線を交わした上で、俺は頷いた。
「それについては、俺が死ぬまで責任を持とう」
「早死には勘弁な。あいつが泣くとこ、見たくないから」
「ああ、覚えておく」
「美威を不幸にしたら、私、黙ってないからな」
「……それも、よく覚えておこう」
それだけ言うと、俺は部屋を出た。
階段を上がって1階の店舗に出たところで、壁際のガラスケースの前に立っている美威を見つける。
「レブラス様」
店番をしていたルーベルが、俺を小声で呼んで美威を指さした。
苦笑いの困り顔に小さく頷いてみせると、俺は背後から美威に近付いた。
何を見ているのかと思えば……
風・水・光のエレメントを組み込んだ高度な魔道具だった。
今の美威には到底作れない代物だ。一番易しい生活魔道具がやっとひとつふたつ作れただけの新米が、知識だけで作れるようなものではない。
「核の周りに3方向から配置して……起動したらまずニュートラルの状態に入るようにして……」
それでも横に立てられた説明書を見ながら、一人でブツブツ呟いている。
指で空中に何か書いていると思えば、組み込まれた魔法式を解析しているらしい。
「そんな計算式があるか、馬鹿が」
「っ!」
後ろに立っていたのに気付かなかったのか、美威は弾かれたように振り向いた。
「冷たい飲み物で休憩するんじゃなかったのか?」
「なっ、何よっ! 性格悪いわね! いるならいるって言ってくれればいいじゃない!」
「馬鹿が、何を焦っている。これの解析がお前には早いことくらい分かるだろう」
「……だって! 早くまともなもの作れるようになりたいのよ……居候の身分じゃなくて、魔道具士として仕事したいの!」
このままじゃ役に立てないじゃない、そう続いた言葉に、この面倒な魔法士の胸中が今し方飛那姫から説明された通りなのだろうと確信を持った。
「……面倒臭い」
何を見失っているのか知らないが、そんなものは望んでいない。
美威の手を掴むと、有無を言わさず目の前にある商談用の小部屋に引っ張り込んだ。
「ちょっ、痛いわ!」
「俺は魔法士じゃない」
「知ってるわよ、そんなこと!」
「魔法が使えない俺は、お前にとって負担か?」
「はあ……? っそんなわけないでしょ? 何馬鹿言ってんのよ??」
「馬鹿を言っているのはお前だろう。俺は優れた魔道具士になるためにここにいろと言ってるんじゃない。それは理由としてはついでに過ぎん」
掴んだ手首は離さないまま、壁際に縫い止めてたたみかけた。
やや強引かもしれないが、こうでもしないと話を聞かないだろう。
宙を彷徨った視線が絡むと、美威は頬を薄赤く染めて「ついでって……人が真剣に」ともごもごと口の中で反論した。
「お前がその部分にこだわるのなら、何故補うということを考えない? お前と飛那姫のように。俺が出来ることをお前が出来なきゃいけない理由などない」
「……でもっ! ここは魔道具屋だし。店のことちゃんと出来ないとあまりにも不公平じゃない。私は何にも持ってないのに、身1つで来て経済的にもレブラスに甘えることに……」
「甘えればいい。俺にも下心ぐらいある」
「し……ちょ、言葉選んで」
「何か問題があるか?」
「き、気持ちの問題なのよっ」
ああ言えばこう言う……
らちの明かなさ加減に、ちっと舌打ちがもれる。
「じゃあ俺はいつまで待てばいいんだ? そもそも既に居候している身なのだから手遅れだろう。これ以上無意味に時間が流れる前に、おとなしく首を縦に振ったらどうだ?」
「なんでそうやって人を脅す形でしかものを言えないわけ?!」
「お前が全面的に悪い」
「どうして私に責任を転嫁――」
「保留されれば、またどこかに行ってしまうかもしれないと……思わないわけじゃないんだ、俺も」
続く言葉を遮って発した本音は、美威にとって重い一撃だったらしい。
明らかに「私が悪い」という顔をした後、気まずそうに視線を落とした。
再訪予定もないまま、突然の別れを告げられた時のことを言ったつもりだった。
どうやら伝わったらしい。
虚勢を張って送り出したものの、もう二度とここには戻ってこないかもしれないと思った不安は忘れがたい。
「そ、そんな顔で、そういうセリフはずるいと思う……」
「他の顔で何を言えというんだ? いちいち面倒臭い」
少しだけ潤んだ藍色の瞳が、完全に真横を向いたままなのが気にくわない。
俺は首を傾けると、身長差を生かしてその首筋に噛みついた。
「ひゃうっ!」
空いた方の手で慌てて俺を押し返した美威から、必死の抗議が返ってくる。
「とっ……突然何すんのよ?! びっくりするじゃない!!」
「そんな顔で、こっちを見ないお前が悪い」
胸の内を知ってしまえば、保留するという選択肢はなくなった。
そんな理由を優遇してやるつもりはない。
「魔道具士として半人前でも、魔法士として一流でもなんでもかまわん」
「……あ、あ、あんたねっ」
「くだらん意地は張らなくていい。ここに……俺の側にずっといろ」
美威は何かを言おうとしたまま、きゅっと唇を引き結んだ。
今にも涙がこぼれ落ちそうなほど瞳を潤ませて、ただ俺を見上げる。
少しの静寂が流れた。
「返事はどうした?」
「……ばかっ」
「まだよく分かっていないのか……仕方ない」
「え?! ちょっ……レブラス? あんたいつからそんな危険人物になったのよ?!」
「安心しろ、お前限定だ」
「全く安心できない!!」
違う意味で涙目になったのを見て、少しやり過ぎたかと反省する。
「……冗談だ、馬鹿」
掴んだ手ごとその体を引き寄せて、両の腕に閉じ込める。
少し固くした体から力が抜けるのを待って、艶のある黒髪を撫でた。
「もう旅は終わったんだ。これからはここで魔道具を作るなり、友人と過ごすなり、ゆっくりやっていけばいい」
「レブラス……私……」
この場所で、もっと幸せになっても、いいのかな? と。
何故そんなに自信なさげに問われるのか、理解しがたい。
答えなど、とうに出ているはずなのに。
「いいに決まっている」
俺も、飛那姫も、みんなそれを望んでいる。
背中に回された腕が、シャツにしわを作った。
許諾の返事が続くかと思いきや――。
「……よし」
何か、決意のこもったかけ声が、聞こえてくる。
「じゃあ、魔道具はおいおい作れるように頑張るってことで。私経理やるわ」
「……唐突になんだ?」
スッキリした顔をあげた美威が、不敵な笑いを浮かべた。
「ここに来た時から思ってたのよ。この店、会計が甘いわよ。もっと利益が出るやり方があると思うの。任せておいて! もっとキッチリ、私がお金管理してみせるから!」
「……いや、ちょっと待て」
今言うべきことはそれじゃないだろう、と俺が眉間にしわを寄せた瞬間、するりと腕の中から抜け出した美威は部屋の扉を開け放って出て行った。
「ルーベル! 私今日から会計の勉強するわ! まずはそこにある出納帳見せて!!」
水を得た魚のように生き生きとしていた。
肩を落としながらも、その弾んだ声に俺の気分も上昇していく。
「馬鹿が」
呟いた言葉の内容にそぐわない、自身の笑いにもう一度苦笑して、俺も楽しげな二人のもとに向かった。