第1話 オープニングからバトル
嵩山少林寺。
中国の河南省少室山の北麓にあるその寺院は中国禅発祥の地であり、インドから中国に渡来した達磨が建立した名刹である。
また、少林寺は禅宗の他、少林武術の中心地としても世界的に有名であり、唐朝の創業期には、洛陽を本拠とした王世充の鄭国政権を見限り、唐の李世民軍に自坊の僧兵を援軍として出し、その名を広く知らしめた。
しかし、少林寺以外の別の寺院も遠征に兵を送り出していたのだが、その史実はあまり知られていない。
この物語はその鄭国の征討に大きく貢献した武術の名門寺院の中で、後の室町時代に日本に渡り、禅寺を継承し続ける子孫の話である。
東北の冬は長く、四月であるにもかかわらず朝の冷え込みは厳しい。一条湊は寺の居住部分である庫裡の自室で目が覚めたけれど、布団から出ることが出来ずにいた。この春高校生になったばかりで、徒歩で通う県立の校舎は以前の中学校より二キロも遠い。早く起きないと身支度が忙しくなるのは分かっている。だが、二度目のアラームがあるし、もう少しだけ温もりの中に浸りたい。
しかし、再びまどろみかけたところで、不意に目を開けた。殺気を感じるのだ。
唸りを上げるモーター音が耳元で響き、反射的に跳ね起きた。黒いバリカンの刃先が頭上に閃く。湊は身をかがめて上受けにそれを躱し、仕掛けの主である僧侶の父のそり頭を拳で叩いた。
「親父、何すんだよ!」
朝の勤めを終えた後なのだろう袈裟姿の一条義空が額を抑えながら悪びれもせず応える。
「お前が仏門に入る覚悟をしないから、代わりに落髪を手伝ってやろうとしたまでだ」
彼はそう言って大声で笑った。
湊は堪らずに言い返す。
「だから、僕は出家はしないって、何回も言ってるだろ。親の理想を押しつけるな!」
しかし、言い終えた途端に右手から父ではない別の刃が現れ、半身で躱す。薙刀の達人である母の香妙が刀身に同じくバリカンを括りつけ、切りつけてきたのだ。
「この、親不孝者! 子が親の言うことを気がないでどうする!」
着物姿の香妙が返し刀を振るい、再び湊のショートレイヤーを狙った。しかし、咄嗟に足元の畳を踏んで跳ね上げ、盾にする。母のバリカンはい草に深く突き刺さった。
「母さんもやめてくれよ。何度頼まれたって、僕は絶対坊主は嫌だ」
香妙が嘆きの声を上げる。
「まったく、写経もせずに拳の腕ばかり上げて。どこの誰に似たのやら」
そう言って肩を落とす母を見て、湊も息を吐いた。両親がこの調子だから、生家である輪影寺に一般家庭のような安らぎはない。彼らは一人っ子である湊に寺を継がせることに夢中であり、高校へ行くことさえ良い顔をしていなかった。
ため息しか出なかったが、和装の洗面所に入って顔を洗ったら、多少気持ちが和らいだ。最近また背が伸びたらしく、男子高校生の平均くらいになっている。男らしいというより愛らしいと言われる顔立ちだが、黒いショートレイヤーの流れるような髪は気に入っていた。
湊は鏡の前で自慢の毛筋を手早くブラッシングした。そして、歯磨きを終えて居間に戻り、制服のワイシャツに袖を通しながら母の香妙に言う。
「別に、拳法ばっかじゃないよ。幻獣使いは覚えた。なっ、雪庭」
湊はネクタイを結びながら自分の布団に潜っている生き物に呼びかけた。すると、毛足の長い犬の姿をした精霊が欠伸をしながら顔を出す。雪のように白いチワワに似た彼が、だるそうに応えた。
「湊、君はまだ修行が足りないし、僕を掌握していない。寒いし、まだ寝ていたい」
湊はその愛らしい仕草に癒されつつも応える。
「駄目だよ。使い主と精霊は一身一体だろ? 一緒にいることで、霊が高まるっていうし。早くしないと学校に遅れちゃうよ」
母の香妙が慌てて声をかける。
「湊、雪庭も。朝ごはんは?」
「時間がやばい。行きながらたべるよ」
湊はそう応えてブレザーを羽織り、鞄とちゃぶ台の上の食パンを掴んで玄関に向かった。
雪庭がため息混じりに愚痴をこぼす。
「僕は炬燵の中でゆっくり食べたい」
犬の化身である彼はそう言って用意されたドッグフードを慌てて平らげた。そして、一人と一匹は引き戸を開け、雲が棚引く朝空と大自然の渓谷が広がる田舎街に出た。
第2話に続きます。
お付き合い頂き、ありがとうございました。