夜這いではありません
「どうしてわたしをこの世界に連れて来たんですか?」
「それは、言っただろう。ジェイド王子に会わせるためだ」
「それが分からないんです。例えわたしが元々ここの生まれだとしても、何も記憶がないし連れ戻す必要はないでしょう? 王子様に会わせて一体どうしたいんですか?」
「頭の回転が鈍いな」
「え?」
「……続きは明日だ。今はゆっくり休め」
ライルさんが右手を振ると、例のぐにょぐにょしたものがわたしを包み、そのままベッドに寝かされる。
同時に、ずっと感じていた体の痛みや重さが薄れ、少し楽になった気がした。
「主にしか使えない魔法もあるの」
いつの間に来ていたのか、クライがライルさんの側でそう言った。
「主、深夜に女性の寝室に許可なく勝手に入るのはどうかと思うよ?」
クライはいつもより大人びた口調で言った。
「お前だって勝手に入って来ているだろう」
「オレは、主が弱っているセリアに変なことしないか心配で」
「どういう意味だ?」
「だからぎゅっとしてもふもふしたり、ほっぺにチューってしたり、すべすべの肌に」
「やめろ」
ライルさんは、クライの言葉を途中で遮ると、彼を軽く空気みたいなもので飛ばした。
「ちょっと……!! クライ、大丈夫?」
「平気。慣れてるし、痛くはないの」
「自業自得だ」
まあ、ライルさんが怒るのも無理はない。
そもそも嫌ってるわたしにそんなことしたいはずがないし……。
「それにしても、ずいぶん具体的だったな。お前、自分がしたいだけだろう」
ライルさんは、呆れた目でクライを見ながらそう言った。
「あのね、セリア。セリアにはいつだって笑ってて欲しいけど、哀しいなら泣いてもいいの」
気付くと、クライが真っ直ぐな瞳でわたしを見つめていた。
ああ……そっか。
クライはきっとわたしを和ませようと……。
「泣いて、セリア。オレが一緒に居るから大丈夫だよ。あと、ついでに主も居るし」
クライが言った。
ライルさんは、何かを言おうとして口を閉ざす。
「大丈夫。クライ、ありがと」
気持ちは嬉しかった。でも、わたしは笑った。
わたしが泣いたら、クライまで泣いてしまうような気がして。
それから2人は部屋から去り、わたしはわたしじゃなかった今までの星川陽菜のことを思って……少し泣いた。
やっぱり哀しかった。
泣きながら、それでも体が少し楽になったからかいつの間にか眠っていた。
翌朝メルさんがやってきて、部屋の全てのカーテンを開ける。
広い部屋に、一気に眩しい光が射し込んだ。
「セリア、おはよう。よく眠れた?」
彼女は笑ってそう尋ねる。
わたしのことより、今日はなんだかメルさんの顔色が悪い。
「はい。……メル姉のほうが、なんか疲れてませんか?」
「んー。昨日あれから自室であなたに何からどうやって話そうか考えすぎて、よく眠れなかったのよ」
「すみません」
「なんでセリアが謝るの? それで、話すことをリストに纏めてみたわ!!」
リスト……。
顔色の悪さに反比例して、メルさんは頗る元気だった。
「でも、話を始める前に、朝食いっぱい食べて体力つけなくちゃね。ここで一緒に食べましょう」
「ここでですか? テーブルすらないですけど……。コンビニのパンとかおにぎりくらいなら、椅子を持ってくれば食べれますかね?」
なんとなく言ってはみたけど、そんな学生の休憩時間みたいな光景、綺麗なドレスを着たメルさんには似合わない。
「コンビニ? おにぎり?」
メルさんは聞き返す。
パンはこの世界にあるけど、当然コンビニやおにぎりなんてあるはずなかった。
あちらの言葉を無意識に訳して話しているような感じだから、こちらの世界にないものは、もうそのまま日本語で伝えるしかない。
「あちらの、わたしが居た日本という国のお店と食べ物のことです」
「不思議な響きの言葉ね。コンビニ……おにぎり。……ふふっ。もっと他の言葉も聞いてみたいわ。けどセリア、記憶がなくてもサイネリアの言葉は覚えていてくれたのね」
「そう……ですね」
確かに最初から理解していた。でも、それが覚えていたってことになるのかは分からない。
そういえば、向こうで隼人にも驚かれた。
隼人……。
一体今頃どうしているだろう。
ライルさん、ちゃんと時は戻してくれたよね……。
「じゃあ、朝食を用意するわね」
メルさんは部屋から出て行く。
しばらくして数名の女の人が、朝食の載った大きなワゴンを引いてきた。
その後ろから、ライルさんとクライが部屋に入ってくる。
「ライル、戻ったのよ」
メルさんが言った。
彼女は、わたしがすでにライルさんに会っていることを知らないらしい。
「セリア、知ってるよ。昨日、主と話したもんね」
クライが言った。
「どうして? ライルがお城に戻ったのは夜中でしょう?」
「うん。だから、夜這いしたの。セリアに会いたくて」
「!!」
クライの衝撃的な言葉に、メルさんは絶句している。
「メル姉? あの……多分ライルさんは心配で、わたしの様子を見に来てくれただけなので」
わたしは慌ててそう言った。なんでわたしがこんなライルさんのフォローみたいなことしなくちゃいけないんだろう。
クライは、朝から誤解を招くようなことを言わないでほしい……。
「そう。でも緊急事態ならともかく、夜中にセリアの部屋に入るなんて、いくらライルでも感心しないわ」
メルさんが冷静な声で言った。
「オレだったらいいの?」
クライは言った。
「同じよ。ダメに決まってるでしょ!!」
「痛みがあるなら楽にしようと思っただけです」
ずっと口を閉ざしていたライルさんがようやくそう言った。
「そ、そうです。体、楽になりました。それでわたし、ちゃんと眠れたんです」
「そういうことなら……まあ許してもいいわ。ライル、これから同じようなことがあるときは、まず私に相談してね」
「分かりました」
ライルさんはメルさんに仰々しく頭を下げる。
それでようやく騒ぎは落ち着いた。