温かいお茶
「魔術師、確認しますが貴方は彼女を必要としていないということですね?」
トキ王子はほんの少し首を傾ける。
「先程から何故俺のことを気にするのですか?」
ライルさんは不可解といった表情をして言った。
「質問に答えなさい」
「質問の……意味が分かりません。俺は彼女の護衛で彼女を守るためにいるのです。俺の意思など関係なく、彼女が幸せならばそれでいい」
「彼女の幸せは向こうの世界にはありません。そんなことすら分からないなんて鈍いというのを通り越して滑稽ですね。最早、貴方は臣下としてさえ失格です。彼女をカナンに残し、傀儡とともに早急にナギへ帰りなさい」
「どうしてそんなこと、トキ王子が分かるの? セリアがどんなに向こうの世界に帰りたがってたか、トキ王子は知らないでしょ? 誰に恨まれたって構わない。セリアはオレが責任を持って向こうの世界に帰すよ」
クライが言った。
煌めく大きな瞳に迷いはない。
「そんなことは例え私達が許してもカナンの民が許さないでしょう。彼女が見つかった以上、前王の遺言に従ってもらう以外ないのです。姫が選べる選択は私かジェイドか二択のみ。選べないというのならこちらで先に王位を継ぐ方を決めても構いません。問答無用で決まった方の妃になっていただきます」
「結局争いですか?」
ライルさんが言った。
「正々堂々と戦いますよ。ジェイド、お前もそれでいいでしょう?」
ジェイド王子はゆっくりと左右に首を振る。
「兄上、きちんとセリア姫を見てください」
この場にいる全員の視線が一斉にわたしに集まった。
「あ……」
わたしはか細く、声にならない声を出す。
きっとひどい顔色をしているはずだ。
みんなが話している最中、自分でも血の気が引いていくのが分かった。
気分も悪い。
心配かけないよう無理に笑ってみようとしたけれど、顔の筋肉が強張って上手くその表情を作ることができなかった。
「格好つけるわけではありません。でも、父上のあの遺言の本当の意味は、彼女を幸せにすることです。我々のこのような一方的なやりとりはただ彼女を苦しませるだけです。僕は姫の笑顔が見たい。時間がかかっても構いません。だから、一縷の望みにかけようと思います」
「結局はそのとてつもなく鈍い魔術師が正しいというわけですか。彼女が幸せならばそれでいい……と」
トキ王子は深いため息をつく。
「それが前王の正しい望みです」
ジェイド王子はきっぱりと言った。
「まあ、いいでしょう。急ぐわけではありません。これまでこういった悩みとは無縁だったので、もどかしくはありますがそれも新鮮です。とりあえず姫は覚悟を決め、決着をつけたらいかがですか?」
「決着……」
何のことを言われているのか、すぐにわかった。
ちらりとライルさんを見るも彼は難しい顔で考え込んでいる。
「ライルさん、クライ、兄上も……申し訳ありませんが少しだけ外してもらえませんか?」
そう言って、突然ジェイド王子が頭を下げた。
薄紫の美しい髪がさらさらと真下に流れる。
3人は反論することもなく、黙って部屋を出ていった。
すっかり静かになった部屋で、ジェイド王子は先程スサトさんたちが置いていった美しい丸型のポットからティーカップにお茶を注いだ。
「冷めてしまったでしょう? 温かいお茶をどうぞ」
彼はわたしの前に置いてあったカップをソーサーごと交換する。
わたしは黙ってカップに口をつけた。
美味しい……。
とても、とても温かい。
「少しだけ顔色が良くなりましたね」
ジェイド王子は緩く笑った。
「ありがとうございます」
わたしはお礼を言う。
ジェイド王子は笑ったまま、また左右に首を振った。
美しく揺れる紫陽花。
庭の紫陽花が見たいと思った。
クライの言うことも間違ってはいない。
日本に帰りたいと願っている。
でも、それよりも今、もっと強い思いでライルさんと離れたくないと思っている。
「ジェイド王子、どうしてわたしと2人きりに?」
「伝えたいことがあったんです。僕だけが姫の本当の想いを知っていますから。まあ、いつからなのか兄も気づいているようですけどね」
ジェイド王子の声は落ち着いていた。
一拍置いて、彼は話を続ける。
「姫、とても驚きましたが、兄上のこと、感謝します。完全にこれまでの遺恨が消えたわけではないけれど、少なくともこれからはもう兄を憎まずに済みます」
「はい」
わたしは答える。
「それから、僕は今でもライルさんはあなたに相応しくないと思っています。でも僕の気持ちが止められないように、あなたの気持ちも止めることはできないのでしょう? 僕も兄と同じ気持ちです。どうかナギに戻って決着をつけて下さい。相手のことなんて考えず、自分の想いを思いっきりぶつけるんです。勇気を出して」
「ジェイド王子……」
どうしてそんなことが言えるんだろう。
わたしが今の彼と同じ立場だったら、ライルさんにそんなことを言ってあげられると思えない。
「優し……すぎます」
思わず呟いていた。
「僕は優しくなんてありません。自分のためです。さっき……一縷の望みにかけると言ったでしょう?」
「一縷の望み?」
ジェイド王子は綺麗な笑顔で頷く。
「上手くいかなかった時は、僕を思い出してください。そしてそれを願ってしまうことを、許してください」
そう言って彼は目を伏せた。




