星川陽菜
「また2人だけで楽しそうに話して!!」
再びメルさんが膨れる。
メルさんは見た目完璧な大人の女性なんだけど、そういった表情をしていると、とても幼く見える。
でも今の彼女の方が、最初に会った時よりずっとずっと魅力的だった。
何故か懸命にわたしをこの世界に引き留める、メルさんとクライ。
未だに混乱しているけど、2人と話しているうちにわたしの気持ちは少しだけ変化していた。
話だけ……だったら聞いてみてもいいんじゃないかって。
勿論、怖いという気持ちがなくなったわけではないし、早く元の世界に戻りたいという気持ちも変わってはいない。
だけどわたしにはもう自分勝手に2人を振り切って帰ることなんてできそうもなかった。
単純なもので、考えが前向きになったら急にお腹が空いてきた。
ベッドの上からじゃ良く見えないけど、多分さっき持ってきてくれたスープが銀のワゴンにのっている。
わたしのためにメルさんが用意してくれたスープ。
「メル姉……。あの、良ければさっきのスープを貰ってもいいですか?」
「え? スープ? 勿論!! 勿論よ!! 待ってて。温かいのすぐ持ってくるから!!」
「あの、さっきのでいいで……」
言い終わらないうちに、メルさんは凄い勢いで行ってしまった。
「メル姫さまもずっと待ってたの。メル姫さまと、セリアをこうやって取り合いっこできる日が来るなんて、ホントに夢みたい」
クライはそう言って笑った。
それから、温かいスープを飲んで(体がおかしいせいか、だいぶむせたけど)わたしの気持ちは完全に落ち着いた。
「セリア、今日はもう遅いし、目覚めたばかりで無理をさせたくないから、明日またゆっくり話しましょう?」
メルさんが言った。
「ライルさんはいつ戻りますか?」
わたしは彼女に尋ねる。
「多分、明日の朝には戻っていると思うわ」
メルさんにもクライにも、それからここに居ないライルさんにも聞きたいことがたくさんあった。
けれど気持ちとは裏腹に、やっぱりこの体はふらふらで、確かにわたしは疲れていた。
「……セリアの近くに居たいの。もう少しだけ、ここに居てもいい?」
クライがわたしを見つめて、おずおずとそう言った。
今の彼の瞳は青より紫に近い。
「ずるい!! それなら私もここに居るわ」
「メル姫さまは休んでいいの。オレは護衛だし」
「まあ!! クライったら独り占めする気ね」
2人の声は段々と大きくなる。
「違うの!! メル姫さまだって疲れてる。明日いっぱいセリアと話すんでしょ? だから自分の部屋で休んで」
「嫌よ!! せめてセリアが眠りにつくまで私もここに居るわ」
「けどオレたちが騒いでたらセリア、余計眠れないよ?」
「う……まぁ、それは……確かにそうよね。じゃあクライ、静かにしていましょう?」
「あの、そんなに見られていたら、どっちにしたって眠れないんですけど……」
わたしは2人の視線を感じながらそう言った。
諦めたメルさんは、ゆっくりと部屋から出て行く。
クライは「側にいるからね」と言い、扉の前に戻った。
2人の気配が消えた途端、静寂が訪れる。
でも頭だけは冴えて、すぐには眠れそうになかった。
明日詳しく話を聞く前に、これまで分かっていることだけでも整理してみようと思った。
メルさんの話だと、わたしは(というよりこの身体は)15年も眠っていたらしい。
ライルさんは向こうで、器を置いていくと言っていた。
彼が言う器っていうのは、元のわたしの身体……。
わたしは勿論わたしでしかないはずだけど、日本に居た時とこの世界では全く姿が違っている。
この身体が眠っていた15年って、考えてみたら丁度今のわたしの年齢と同じだった。
それって、この身体から離れたと同時に、向こうで生まれたってことなんじゃないのかな? なんでそんなことになってしまったのかは分からないけど……。
ライルさんは、他に気になることを言っていた。
"お前、死んだ子の中に入っただろう"
確かにそう言った。
本当に中身だけ移動できるんだとしたら、それって、わたしが死んだ子の中に入ったっていう意味かもしれない。
メルさんは、こちらがわたしの本当の世界だと言った。
死んだ子……?
死んだ子って……?
もしかして……星川陽菜?
わたしは……本物の星川陽菜じゃないの?
もしそうなら、わたしを育ててくれた両親は本当の両親じゃないってことだし、これまでわたしは星川陽菜を乗っ取っていたようなものだ。
そんなこと……。
信じたくない……。
頭が真っ白になる。
わたしは横になったまま、両手で顔を覆った。
どれくらい時間が過ぎたんだろう。
近くで気配を感じた。
わたしは薄闇の中でそっと目を開ける。
「起きていたのか?」
ライルさんだった。
「戻っていたんですか?」
わたしは逆に聞き返す。
「今、戻った。眠れないのか?」
わたしは、体を起こした。
「無理をするな」
「大丈夫です。聞きたいことがあるんです」
ライルさんは、怪訝な表情でわたしを見る。
「わたし……わたしは、本物の星川陽菜じゃないんですか? だからライルさんはわたしをここに連れてきたんですか?」
「そんな話は明日でいいだろう。今日はもう休め」
「わたしにとって重要なことです。教えてください!!」
静かな部屋に声が響く。
「……そうだな。お前は記憶が何もないんだから、不安になって当然だな」
わたしははライルさんをじっと見つめる。
薄闇の中では、彼の瞳が今どんな色をしているのか分からない。
「確かに星川陽菜はお前のものではない。星川陽菜は、生まれてすぐに死んだ。この世界から魂を飛ばされたお前は、偶然その死んだ星川陽菜に入ったんだろう」
ライルさんの声は落ち着いている。
否定して欲しかった。
でも、やっぱり……という気持ちの方が強い。
「偶然……」
「そうだ。だからお前が罪に苛まれる必要は全くない」
「でもわたし、両親や周りの人を騙していたようなものじゃないですか? それに罪じゃないって言われても、勝手に入り込んで……死んでしまった彼女だって可哀想です」
「15年も一緒に過ごしたんだから、もうお前が本物の星川陽菜だろう。そういうものだ」
「え?」
「死んでしまった彼女は、とっくに生まれ変わって幸せにやっているだろう。気にする必要はない」
てっきり酷い言葉を投げつけられると思っていたけど、何を聞いても今日のライルさんは優しかった。