トレメニアさんからの贈り物
その後、トレメニアさんまでカナンへ一緒について行くと言い出したけれど、ライルさんとクライがナギに留まるようどうにか説得した。
ナギで生まれた花の妖精が生まれた場所から遠く離れるのは危険だということだ。
わたしのために何かしたいと思ってくれた彼女の気持ちは嬉しい。でもこの美しいフラワーガーデンで待っていてくれたほうがずっと嬉しい。
「セリアちゃん、忘れないで。あたしはいつもセリアちゃんのことを想っています」
トレメニアさんの小さな両手からいつの間にか透き通る薄水色の液体が溢れている。
「持って行ってください。ほんの少しだけど、いつまでも持続します。セリアちゃん、あたしの香りが好きだと言ってくれたでしょう?」
トレメニアさんは優しく笑った。
本当に、とてもいい香り……。
「でも容れ物が」
当然液体を入れる容器なんて持っていない。
「こいつの頭からかけろ」
例のごとく無表情のライルさんが淡々とそう言った。
「セリアちゃん、いいですか?」
「え?」
「大丈夫だよ、セリア」
クライが笑っている。
わたしは小さく頷く。
トレメニアさんはわたしの頭上に移動すると、器代わりになっていた自分の両手を離し、パシャっと盛大に液体をぶちまけた。
ライルさんが右手を払う。
何か魔法をかけたようだけど、何も変化はなかった。
髪に触れてみる。
濡れてないし、冷たくも、逆に温かくもない。
甘いよい香りが広がるばかりだ。
「セリアがトレメニアの匂いになったね」
クライはわたしの側に来て目を瞑ると、深呼吸をした。
「ずるい、ずるい。私もお揃いになりたい」
「私もかける。セリアにかけたい。ライル、お願い」
「私も」
「私だって」
急にセレントピノさんや他の妖精さんたちが騒ぎ出す。
「……やめてくれ。気分が悪くなる」
「別にいいでしょ。ライルにあげるわけじゃない。セリアにあげたいんだもん」
「私たち順番にかけるから、ライル、ちゃんと魔法でいい感じに固着させてよ」
「やめろと言っている」
ライルさんの口調がきつくなる。
「なんでよ? ライルに関係ない。トレメニアばっかり贔屓だよ」
「関係ない? 俺はいつもこいつと一緒にいる。大体こいつ自身も気分が悪くなる」
ライルさんはわたしに視線を移す。
「どうしてよ。あ、分かった!! シシリカが悪いんじゃない? 万人受けする香りじゃないし」
「なによ。クルサイドカノンなんて弱ったチチイと変わらない匂いじゃない」
「チチイですって!? 高貴な香りをチチイと一緒にしないでよ!!」
どうしよう。
妖精さん同士でポカポカと殴り合いが始まってしまった。
といっても見ていてなんか可愛らしい喧嘩なんだけれど。
「もー、やめてよ。それぞれの匂いが悪いってことじゃないから。混ぜたら危険てことだよ。どんないい香りだって配合を間違えたら奇妙な香りになるでしょ」
クライが呆れた声で止めに入る。
「そうなの?」
「そう?」
クライの言葉に妖精さんたちの動きが止まった。
「最初からそう言っている」
ライルさんはため息をつく。
……いや、ライルさんは絶対言葉が足りなかったと思うけど。
「そういやセリア、まだ朝ご飯も食べてないんだよね? もうお城に戻ろ」
急に振られて、戸惑いながらわたしは頷く。
「あの、トレメニアさん、みなさん、お気遣いありがとうございました。カナンの用事が終わったらまた来ます」
あえて軽く用事と言ってみる。重々しい別れになんてしたくない。
ナギに、フラワーガーデンに、また無事に帰って来られると信じて。
先を歩いているクライを追う。
タイミングを逃してしまった。
妖精さんたちが言っていたチチイというのが何なのか少し気になっていた。
部屋に戻り、侍女さんにチチイが何か聞いてみた。
彼女はサリさんといった。
メル姉より年上の落ち着いたお姉さんという感じの人だ。
ハンナのシンリーさんやエチカさんたちにも共通する部分がある。
サリさんはわたしがチチイを求めていると勘違いしたようで、朝食とともに早速お目見えとなった。
チチイは一辺2センチほどのオレンジ色の立方体の果物。聞かれてすぐに用意できるのだから、ナギではなかなかポピュラーな果物のようだ。
口に入れるとパイナップルに似ていて甘酸っぱい。
香りはあまりないけど、爽やかでフルーティーな香り。
クルサイドカノンの花はこのチチイと同じような香りなのだろうか。
先ほど、妖精さんたちが喧嘩していたのを思い返して笑ってしまう。喧嘩している姿まで愛らしかった。
「姫様、どうかされたのですか?」
サリさんに声を掛けられる。
「ごめんなさい。食事中に」
「いえ。ご希望のチチイはいかがですか? もう少し熟していればより甘みも感じられたかと思うのですが」
「とても美味しいです」
「ところで姫様、ずっと気になっていたのですが、花瓶にトレメニアの花を活けておりますか?」
サリさんは辺りを見回す。
「花ではなくて、多分……わたしです」
「え?」
「わたしから出ている香りです。気分……悪いですか?」
いい香りとはいえ、匂いは好き嫌いがある。甘い香りが苦手な人もいるだろう。
「とんでもございません。香水ではなく自然な花の香りでしたので、てっきり生花が側にあるのだと思っておりました。私の大好きな香りです」
サリさんは笑った。
トレメニアさんが褒められているみたいで、わたしまで嬉しくなる。
わたしはサリさんに先ほどフラワーガーデンで起こった出来事を話した。
実際に妖精を見たことがない彼女は瞳を輝かせて聞いていた。
とても楽しいひととき……。
しばらくしてライルさんとクライが迎えに来たので、一緒にメル姉に会いに行くことにした。
カナンへ向かう報告をしなくてはいけない。
できるなら出発前に両親やカエヒラ様にもお会いしたい。
いつもわたしのことに心を砕いているメル姉は笑顔で見送ってくれるだろうか。




