トレメニアの花の妖精
「今日は花の……妖精さんたちの姿が見えませんね」
わたしは言いながら、流れそうになっていた涙を指で拭った。
「どうせ余計な気を回しているんだろう。もっともトレメニアの元気がないせいもあるだろうが」
「トレメニア……」
夢の中でも鮮やかに咲いていた美しい水色の花。
ガーデンの中でひときわ目立つ花だが、今はどれも若干首が下を向いている。独特の甘い香りもほとんどしない。
「そういえば、道案内をしてくれた妖精さんたちも、あの時トレメニアの調子が悪いと言っていました」
ライルさんは黙って水撒きを再開する。
けれどいくらトレメニアに水を与えても、元気になる素振りは少しもなかった。
「あの、魔法でどうにかできないんでしょうか」
不安になり、わたしはトレメニアを見つめながらそう言った。
「魔法は万能ではない。そもそも妖精は魔法では治せない」
ライルさんはいつものように淡々と返す。
そりゃあ魔法で何でも願いが叶うなんて思ってはいないけれど、治癒魔法というものがあるのだからライルさんに期待してしまうのも当然というものだ。
トレメニアのこと……道案内をしてもらった時にわたしがもっと気に留めるべきだったのかもしれない。
自分のことばかりで放置してしまったせいで、余計に状態が悪くなってしまったのではないだろうか。
「何を考えている」
急に無言になったわたしが気になったのか、ライルさんはそう尋ねた。
「……どうして調子が悪いって教えてもらったときに、トレメニアの状態をちゃんと確かめなかったんだろうって思って。せめて、あの時に大丈夫? って聞いていたら今よりは悪くなってなかったかもしれないのに」
「お前のせいじゃない。お前には何も……。いや、そうか。確かにお前なら何とかできるかもしれない」
ライルさんの瞳が大きく見開く。
「え? でもわたしは魔法を使えないですし」
「先程も言ったが魔力の問題ではない。妖精は特殊。とりあえずトレメニアを呼んでみろ。お前の声なら届くかもしれない」
「呼ぶ?」
ライルさんは頷く。
「トレメニア……さん? 姿を見せてください」
よく分からないけれど、ライルさんに言われた通りにしてみる。
風が吹いて、微かに声が聞こえた。
けれど、あまりに小さすぎて聞き取ることができなかった。
「トレメニアさん?」
「セリア、ダメ。トレメニア出てこない。元気がない姿、セリアに見せたくないって」
「あ、あの時の妖精さん?」
「シシリカだよ」
転移スポットまで道案内をしてくれた妖精さんの1人だ。
「シシリカはそっちに咲いている薄黄色の花だ」
ライルさんがガーデンの一部に目を移す。
確かに妖精さんの髪色はそのシシリカの花の色と同じだった。
「シシリカさん、トレメニアさんの具合はそんなに悪いんですか?」
「うん。セリアに会いたくないって思うくらいにはね。トレメニアって自分のことはいっつも後回し。人間が花へ向ける愛情を率先して受け取ろうとしてこなかった。妖精は愛がないと消えてしまうというのに」
どういうこと?
病気ではなくて、トレメニアさんは自己犠牲で消えかかっているってこと?
まるでクライみたい。
優しい人こそ幸せになってもらいたいのに……。
「セリア、『花』じゃなくてトレメニアだけに愛をくれない?」
シシリカさんがわたしの指を掴んでそう言った。
「愛?」
「セリアから愛をもらったらきっと良くなる。セリアは、トレメニアのことが好きじゃない?」
わたしは左右に思い切り首を振る。
「大好き!! 夢の中でも、カナンに行った時もトレメニアの花に癒された。あの甘くていい香りは幸せな気持ちにしてくれるから」
わたしの言葉にシシリカさんは笑って頷く。
「あ、でも愛を……って言われても具体的にどうしたらいいんですか?」
「トレメニアの花に手を翳して、直接想いを送って」
シシリカさんはわたしから離れ、トレメニアの花の方へ飛んでいく。
「トレメニアの中心へ」
ライルさんはそう言うと、わたしの前に突然キニュちゃんを出した。
「乗れ」
「……おじゃまします」
わたしがキニュちゃんに乗ると、キニュちゃんの後ろ端が伸びて丸まり、わたしの肩にそっと触れた。
「キニュちゃん?」
「また異常な真似を。言ったことだけすればいい」
ライルさんの表情が険しくなる。
「す、すみません」
キニュちゃんの端の部分を手に取り、握手みたいに上下に振っていたわたしは慌てて手を離す。
「お前に言っているわけではない。自分のキニュレイトと会話するというのもまた気味が悪いが……」
キニュレイトの正体は(?)もう判明している。リズさんからキニュレイトは魔術師の想いから出来ているのだと教えてもらった。
つまり、このキニュちゃんはライルさんの想い……。
キニュちゃんがこんなに優しいんだから、ライルさんが優しくないはずがない。
「わたしもトレメニアに愛を与えてきます」
言いながら思わず頬が緩む。
「わたし……も?」
ライルさんは首を傾げた。
トレメニアの花の中心でシシリカさんが待っていた。
わたしはキニュちゃんの上から手を翳し祈る。
早く……元気になってほしい。
「トレメニアの花の妖精さん、わたし、あなたに会いたいです」
言霊と言うものがある。想うばかりでなく口に出してみる。
「セリアちゃん……」
小さな声が聞こえた。
さっき聞き取れなかった声と同じようだ。
「トレメニア!?」
「シシリカ……」
「良かった。早くセリアを安心させてあげて」
トレメニアの花の妖精さんの姿は見えない。
2人のやり取りを聞きながら、わたしは地上のトレメニアの様子に気を配る。
少しすると、花々は一斉に首を擡げた。
「今、満たされました。あたしを想ってくれるセリアちゃんの愛で……」
声と同時に可愛らしい妖精さんが姿を現す。
水色の髪は濡れたように光っていた。
「… …トレメニアさん?」
「はい、そうです。セリアちゃん、ありがとうございます。ずっとあたしも会いたかったです」
トレメニアさんはわたしの頰に擦り寄り、囁く。
一瞬で辺りに濃厚な甘い香りが漂った。




