フラワーガーデン
侍女さんは指示を待っていたかのように時間を置かずお茶のセット一式を運んできた。
向かい合ってお茶を飲んでいる間、メルさんは何も話さなかった。
わたしも黙々とお茶を飲む。
すっきりとした味わいのお茶が喉を潤していく。
「セリア、良かったら髪を整えさせてくれる?」
メルさんは唐突にそう言った。
「髪?」
「少し疎らになっているから」
「あ、髪……」
わたしは自分の髪に触れる。
「後ろの方は見えなくて適当に切ってしまったんです。じゃあ……お願いしてもいいですか?」
「喜んで」
ようやくメルさんは笑う。
窓際に大きな美しい扉があり、そこから外のバルコニーに続いていた。わたしは銀のテーブルセットの椅子に座るよう促される。
メルさんはわたしの髪を掬い、ハサミらしきものを動かす。なんとなく慣れている、と感じた。
「メル姉……さっきの話ですけど、ライルさんはメル姉に……その、一体何をしたんですか?」
完全に落ち着きを取り戻したメルさんに、言葉を選びながらそう尋ねてみる。
「私が何かされたわけじゃないわ。そういうことじゃないの」
じゃあ何であんなに激怒したのだろう。
姫である彼女が暴力に訴えようとしたのだ。当然それなりの理由があるはずだ。
「気になるなら直接ライルに聞いたらいいわ。でも、考えてみたら今の彼には分からないかもしれないわね」
メルさんはそう言ってハサミを動かす手を止めた。
「分からない?」
「私が怒る理由よ。あなたがライルに好きだと告げていない状態で尋ねても、彼は私が何故怒るのか理解できないんじゃないかしら」
それ以前にメルさんがライルさんに怒っている理由なんて、わたしのほうが聞きづらい。
聞いたところで「お前に関係ない」の一言で終わりそうな気がして。
「大体、ライルは自分があなたに好かれているなんて夢にも思っていないはずよ」
メルさんはそう言って、またハサミを持つ手を動かし始めた。
それは……どうだろう?
わたしの気持ちは分かりやすく態度に出てしまっていると思う。
けれど確かにあのライルさんの天然ぶりでは気づかれていない可能性の方が高い。それどころか否定したにもかかわらず、未だわたしの好きな人が日本にいると思っているかもしれない。
だからといって……全く望みがないとは思いたくない。
あれこれ考えて思考回路はショート寸前。わたしは小さくうめき声をあげる。
「あなたは本当にライルのことばかりね」
メルさんはため息をついた。
それから髪は綺麗に整えられ、かなり軽くなった。
わたしはメルさんにお礼を言い、彼女の部屋を後にする。
自分の部屋に戻り、ライルさんから貰った腕輪を外した。そして改めて見つめる。
これはライルさんの額のリングだったものだ。ライルさんにとてもとても似合っていた。
ずっと考えていた。
わたしの宝物となったこのリングを今更返すことはできないけれど、せめて代わりに別のリングをプレゼントすることはできないものかと。
お店でこういった装飾品は買えるのだろうか?
ただ買えるとしても当然わたしはお金を持っていない。まずはお金を手に入れる方法を考えなければ。というより、そもそもこの世界は通貨というもので経済が回っているのだろうか?
物々交換とか配給制とかそういったこともあり得る。
何も分からないから誰かに相談したかった。
でもクライやカエヒラ様に相談したら、すぐにライルさんに筒抜けになってしまうだろう。だからといってメルさんには相談できない。また気分を害させてしまうかもしれない。
色々考えているうちに、ふと親切にしてくれたハンナのみんなのことを思い出した。
シンリーさんやエチカさんならきっと相談に乗ってくれるに違いない。
少し遠いけれど行き方は覚えている。
森の奥の転移スポットからコルハに出て、コルハの港からハンナまではそんなに遠くなかった。
一度行っているのだから道を間違えなければなんとか辿りつけるはず。もし迷ったなら、標識や看板を見るなり誰かに尋ねるなりすればいい。
急に光が見えてきた。
なるべく動きやすい服に着替えたい。
クローゼットにひらひらしたドレスじゃない服が何着かあったので早速着替える。
靴もヒールではない頑丈そうなものを選んだ。
『散歩に行ってきます。夜までには戻るので心配しないでください』
そう書いたメモを残す。
これで問題ないだろう。
わたしは誰にも見つからないよう警戒しながらそっとお城を抜け出した。
お城の周りを歩くこと20分。
大変なことに気づいた。
森を目指していたのだけれど、お城は全体的に森に囲まれている。
前は迷路のような地下から外に出て森の裏道に入った。でも、いくら探してもその裏道が見つからない。
もしかしたら表からでは分からないようになっているとか?
本当にこれではただお城の周りをぐるぐると散策しているだけ。
これ以上闇雲に歩けば、転移スポットに着く前に体力を全て消耗してしまいそうだ。
考えが甘かったかもしれない。
後悔し始めたその時、
「こっちよ」
と可愛らしく囁く声が聞こえた。
「こっちこっち」
「セリア、こっちよ」
複数人いるのか、声は様々だ。
恐る恐る声のする方へ歩いていくと、不意に懐かしい感覚に襲われた。
ここは……知っている。
夢の中で歩いていた道。綺麗な淡い緑色の芝生がどこまでも続いている。
そしてこの先にはライルさんが水を撒いていたフラワーガーデンがあるのだ。
わたしの足取りは早くなる。




