メルさんと本当のわたし
目覚めて最初に思ったのは、天井が高すぎる……だった。
なんだかよくわからないけど、全身が痛い。
「セリア!! ああ、セリア。やっと戻ってきてくれたのね」
突然視界に現れたのは、もの凄く綺麗な女の人。まさに絵に描いたようなお姫様が、わたしの右手を優しく握っている。
……誰?
そして、どこ?
「体、大丈夫?」
心配そうな瞳で、綺麗なお姫様が言った。
わたしは無理に体を起こそうとする。
「ダメよ。まだ、動いては」
「……なんか体、痛いです」
自分の声に、なんとなく違和感がある。
「それはそうでしょう。15年も寝たきりだったのだから。ごめんなさいね。ライルが居れば少しは楽にしてあげられるのだけど」
ライル……。
そういえば、さっきまで一緒に居たライルさんの姿が見えない。
「あの、えっと……どちらさまですか?」
突拍子もないことを言われた気がするけど、まずは彼女が誰なのか確認するのが先だと思った。
わたしは横になった状態のまま、改めてお姫様を見つめる。
薄い栗色の長い髪に、緋色の瞳。普通ならびっくりするくらい目立つ瞳の色だけれど、ライルさんの容姿で免疫ができてしまったのかそんなには気にならない。
「覚えてないの?」
彼女が言った。
「覚えてないって、何を……ですか?」
「……そうね。まず、あなた自身のことよ」
「勿論覚えています。星川陽菜。高校1年生です」
「違うわ!!」
彼女が叫ぶ。
「……大声を出してごめんなさい。私はあなたの姉、メル・ナナハン。あなたはセリア・ナナハン。あなたも私もこの国の王女です」
「王女?」
姫の次は王女……。
完全に……ライルさんのお仲間だと思った。
彼女が王女だっていうのはその容姿からも納得できるけど、普通の女子高生であるわたしが姫だの王女だの、どっちにしたってあり得ない。
「私のことはお姉様……いえ、メル姉と呼んでね」
彼女が言った。
「メル姉?」
「小さいころはいつもそう呼んでくれたわ」
そう言って彼女は美しい笑みを返す。
目覚めてから今ひとつぼーっとしている頭だけど……ようやく気付く。
つまりここは、どう考えても現実世界ではない。わたしはライルさんに、そういう設定の世界にあのとき一瞬で連れて来られたんだと理解した。
でもいくら設定だとしても、初対面で彼女を馴れ馴れしくメル姉なんて呼べるはずがない。
「あの、メルさん。……ここはどこですか?」
「嫌よ。そんな呼び方」
「え?……じゃあ、そうですね。普通にお姉さん……と呼んでもいいですか?」
メルさんは指を顎に当て考えている。
「お姉さん……。うん、まあそれならいいわ。多少のことには目を瞑らなくちゃね。だってやっとまたセリアと話せるんだもの。ここは、サイネリアのナギ。あなたに話したいことが山積みよ。でもいっぺんに話すと疲れさせてしまうから、少しずつ話すわね」
「あの……ライルさんは?」
「カナンのジェイド王子のところよ」
「カナン……。ジェイド王子……」
ジェイド王子というのは、あちらでも聞いた名前だ。
「それは後でゆっくり説明するわね。あなたのことは、ライルの代わりにクライが護ってくれているから何も心配する必要はないわ」
「クライ……?」
「ライルの従者よ。子供に見えるけど、とっても優秀なの。……もう少しそのままゆっくりしていて。食事を用意するから」
メルさんはそう言って部屋を出て行く。
しばらくして、彼女は温かいスープを運んできた。
メルさんの手を借りて起き上がると、自分の長い髪が顔にかかる。
え……?
何、これ……?
薄ピンクの長い髪。サラサラしていて、まるでさくら色の絹糸みたい。
本来、生粋の日本人であるわたしの髪は真っ黒で、長さも肩くらいまでしかない。
「鏡を……貸してください」
自分の声が震えているのが分かる。
「ええ。持ってくるわね」
メルさんは心配そうに、そう言った。
手鏡を借りて、恐る恐る鏡の中の自分を覗き込む。
「誰……?」
そこには見知らぬ大人の女性が映っていた。
透き通るような白い肌。細いさくら色の髪。自分自身を見つめる瞳は、博物館の虫入り標本で見たような琥珀色をしている。
メルさんに見劣りしないくらい、とても綺麗な女性だった。それは勿論、客観的に見ればの話だけど。
「これが……わたしですか?」
「そうよ。あなたは間違いなくナギ国の第2王女。セリア、あなた記憶どころか自分の姿さえ覚えていないのね」
言葉がでてこない。
鏡にはやっぱり困り果てた表情の、見たことのない女性が映っていた。
これって……どういうこと?
今までのわたし、星川陽菜はどこに行ったの?
姿まで変わる世界って……何?
「ライルさんに会わせてください。わたし、元の世界に帰ります」
早く帰らないと、引き返せなくなりそうで怖かった。
「セリア、大丈夫よ。ここがあなたの生まれた本来の世界なの。あなたは戻ってきたのよ」
メルさんの言葉に、わたしは夢中で左右に首を振る。
何を言っているのか全然分からない。
わたしは日本で生まれて、ずっと日本で暮らしてきた。両親と幼馴染の隼人と……。
ここがわたしの世界であるはずがない。
「まずは体力をつけないと。少しでもいいからスープを飲んで」
そう言いながらスープを差し出すメルさんを拒んで、無理に立ち上がる。
足元がふらついた。
なんだか自分の体ではないみたい。例えではなく、こんなの本当に自分の体ではないから。
帰りたくて、わたしはふらつきながら扉へと向かった。