収束
「さすがに少しやりすぎましたね。ここまでにしましょう。……申し訳ありませんでした」
トキ王子はそう言うと、わたしに向かって深く頭を下げた。
それから顔を上げ、目の前の見えない壁に触れる。
「魔法を解きました。彼の方も。もう何もしません。姫、どうかその短剣を収めてください」
トキ王子の声は妙に落ち着いている。
クライ……。
彼の上に重石のように乗っていた光の球体はなくなっていた。
クライの側に行きたい。
けれど、何故かわたしの両手は固まってしまったかのように動かない。
自分に向いている短剣が今更かたかたと震え出す。
トキ王子は徐に左手で刃先を握った。
彼の手のひらから血が流れる。
「……!? 離してください!!」
「いいんです。貴方にそんな真似をさせてしまった罰です。それに今この瞬間だけは私を見てくれるでしょう?」
トキ王子は左手でしっかりと刃先を握ったまま、右手でわたしの両手に触れた。
とても熱い……。
わたしの手から力が抜け、ようやく短剣が離れる。
彼は短剣を持ち直し、改めて柄の部分の装飾をまじまじと見つめた。
「剣自体変わった形ですし、ずいぶんと精巧にできているのですね。これは貴方の特別なものですか?」
トキ王子はそう言って、刃についていた自分の血を自分の服で拭った。
「これは護身用として貸してもらっていて、わたしのものではありません。でも確かに……とても大切なものです」
この短剣にはライルさんの気持ちがこもっている。そう信じたい。
「そうですか。それではお返ししないわけにはいきませんね」
わたしは差し出された短剣を受け取り、ゆっくりとまだ震える手で首にかかるネックレス型の鞘に納める。
「もう二度と刃を向ける相手を間違えないでください。護身用と言うなら尚更。こちらに向けられた方がまだマシです」
トキ王子は綺麗な顔で微笑む。
一体どういう感情で笑っているのだろう。
彼がさりげなく握っている左手が気になった。
「……痛い……ですよね?」
わたしは尋ねる。
「ああ、こんなものは簡単に治せます。けどしばらくはこのままでいますよ」
彼は手を開くと、流れ出した血を無表情で舐めた。
「クライに酷いことをして……許せません。でも……」
わたしは自分の腕に巻いていたお守りのスカーフを外し、トキ王子の左手にきつめに巻いた。とりあえずこれで止血はできたはず。
わたしにとって特別なスカーフだったけれど、他に手当ができるようなものを持っていないのだから仕方がない。怪我をしている人を放っておくことはできない。
わたしは彼から離れると、クライに向かって駆け出す。
クライは倒れたままの状態でぐったりとしていた。
「しっかりして!!」
わたしはクライの頰に触れる。
「クライ、わたしが分かる?」
クライはゆっくりと瞳を開けた。
「……セ……リア」
「苦しい?」
「……平気。ごめんね、セリア……。オレ、護衛失格。情けない……」
「そんなことない!! 謝ったりしないで。わたしこそ……わたしのせいで……ごめんなさい」
クライは思いっきり左右に首を振った。
そして無理に自分の体を起こす。
「無理しないで」
「大丈夫……」
起き上がったクライの肩は、緩く上下に動いている。
やはり苦しそうだ。
わたしは傍らに落ちているクライの髪飾りに気づき、拾ってそっと彼の髪に留めた。
クライは驚いた顔で髪飾りに触れる。
「外れただけだったみたい。壊れてなくて、本当に良かった」
わたしはクライに笑いかける。
クライはしばらくわたしを見ていたけれど、急に表情を崩し、両手で自分の顔を覆った。
彼の手を伝い涙が零れる。
「クライ? やっぱりどこか痛いの?」
「……違う」
クライはそう言うと座ったままの体勢でわたしを強く抱きしめた。
「一体どうしたの?」
クライから返事はない。
「見た目子供とはいえ、見るに耐えませんね」
いつの間にかトキ王子が腕組みをしながらわたしたちを見下ろしていた。
「セリア姫、これ以上貴方に嫌われてしまっては元も子もありませんから、今回はこれで引きます。改めて私に会いに来ていただけるとおっしゃったこと、くれぐれもお忘れなきよう」
トキ王子はそう言うと、わざとらしいくらい紳士的に深々と頭を下げた。
「あの、クライを治してください。キリク……さんなら治せるんじゃないですか?」
「必要ないでしょう。すぐに迎えが来ますよ。どうぞお優しいジェイドのもとにお帰り下さい。尤も私が戦うべき相手は彼ではないようですが」
「え?」
「……手当してくださり感謝します」
トキ王子はスカーフが巻かれた左手を頭上で緩く振り、部屋を出ていく。




