トキ王子の話
反射的に身を引く。
「汚いものに触れられたくないですよね」
「そういうことではないです」
わたしは彼を見つめてそう言った。
彼は黙って脱いだ上着を着なおす。
「どうしてそんな大事なことを話してくれたんですか? わたしがこの話をみんなに話してしまえば、あなたが王位を継げなくなる可能性だってあります」
「……姫がこの世界の人間とは少し違っているので油断しました。……いえ、違いますね。ずっと私が自分の話を誰かに聞いてほしいと思っていた……ということなのでしょう」
トキ王子は独り言のように呟く。
「その……トキ王子の本当のお父さんはどうしてしまったんですか?」
「さあ。生まれてから一度も見たことがありませんから、もうこの世界には居ないのではないでしょうか。けれど、外見だけはそれはそれは美しい魔物だったようです。母は魔物を憎めず私を産み、また父も自分の子として私を受け入れ、それから亡くなるまでずっとその後生まれた正当な王家の血を引くジェイドと分け隔てなく愛してくれました」
「優しい方ですね」
「前王のこと……ですか?」
わたしは頷く。
「そうですね。あんなに優しい方はいません。だからこそ、私は……ジェイドのことが憎くて仕方がないのです」
「どうしてですか?」
「憎いというより、妬ましいと言った方が正しいかもしれません。あれは穢れた私とはまるで違う、敬愛する父の血を引く正統な王子なのですから」
トキ王子は俯いて目を閉じた。
「トキ王子?」
「……それです。本当は王子なんかじゃない。王子と呼ばれるたび、可笑しくて可笑しくて、滑稽で笑いたくなりますよ」
言葉とは裏腹に、彼の表情はとても苦しそうだった。
「……きっと、真実なんて知らないほうが幸せでしたよね」
「そうかもしれません」
「いつ……知ってしまったんですか?」
「4、5歳のころに、侍女たちが話しているのを偶然聞いてしまったのです」
「そんな小さいころに……」
「私は自分がジェイドより優れていると、力があると示したい。王位を継ぐことができれば、私は父の息子のままでいられます」
「血なんて……血なんて関係ないじゃないですか!! わたしは、あなたを愛してくれた前王様があなたの本当のお父さんだって思います。たとえ王位を継げなくたってあなたは前王様の息子です!!」
「……馬鹿馬鹿しい。簡単にそんな綺麗ごとを言わないでください」
「綺麗ごと? そんなことない。わたしだって同じだから……。わたしだって、今まで向こうの世界で死んだ人の身体に入り込んで、その人に成り代わってずっと向こうの両親や幼馴染や友人を騙して生きてきたんです。許されることではありません。でも、それでもわたしは今でも向こうの両親を本当の両親だと思ってます。幼馴染や友人のことも大好きです。これまで一緒に過ごしてきた時間が偽りだなんて思いたく……ないです」
わたしは両手を握りしめてそう言った。
「そんなこと真剣に言っているのですか? 偽りの世界での偽りの繋がり……。貴方は長い夢を見ていたようなものではないですか」
トキ王子は冷たい目でわたしを見ている。
「そんなことない。そんな風に思えない。わたしは、事実よりもっと、もっと優しさのほうが上回ると思います。うまく言えないけど、想う気持ちの強さでなんとでもなると思いたいです」
「……戯言ですね。けれど事実を知ったとき、貴方のような方が私の側にいてくれたなら、私もこんな風にはならなかったのかもしれませんね」
トキ王子はそう言って大きく息を吐く。
「本当に不思議な方です。魔力はないに等しいのに、私なんかよりずっと強い力を持っている。簡単に手中に収めるつもりが……。誤算です」
トキ王子は、今度は可笑しそうに笑った。
「あれが惹かれるのも無理はない。私も本気で貴方のことが欲しくなりました」
「それは……困ります」
「困る?」
「わたし、カナン国の王妃になるつもりはありません」
「姫はジェイドと結婚するつもりだったのではないですか?」
「……わたしには他に好きな人がいます」
わたしは真っ直ぐにトキ王子を見据える。
「そう言えば、こちらの記憶がないのでしたね。それでは15年もの間、貴方を想い続けてきたジェイドを拒むということですか?」
「ごめんなさい」
わたしは頭を下げた。
「私に謝られても……。まあ、それなら私もあれも条件は同じということですね。面白い。力も通じないし、さてこれからどう攻略しましょうか」
トキ王子はあらぬ方向を見て、考え込んでしまった。
わたしは急に襲われそうになったことを思い出し、動けなくなる。
「え? ああ、そうでしたね。……大丈夫です。それは……もうやめておきます。貴方が言うように、私の本当の父が魔物ではなくカナン王だと言うのなら、もはやそんなことができようはずもない。これまで散々汚いことをやってきたというのに、貴方のお綺麗なたった一言で不思議ともうそんな気は起きないのですよ」
トキ王子はそう言うと、これまでとは違うとても優しい顔で笑った。
窓辺のカーテンの隙間から柔らかなオレンジ色の光が差し込んでいる。
「もう朝……ですね。何もしませんから少しだけこのまま貴方の隣で眠らせてもらえませんか?」
彼はそう言って、束ねていた自分の髪を無造作に下ろした。
「え? いえ、あの、そんなこと……無理です」
わたしは彼から離れようとじりじりとベッドの上を後退する。
でも簡単に腕を捕らえ、そのまま押し倒されてしまった。
彼の綺麗な亜麻色の髪がわたしの顔にかかる。
「温かい……」
彼が囁く。
「離して」
「何もしませんよ。少しでいいからこうしてい……て……」
「トキ王子?」
「…………」
「王子?」
返事がないまま、穏やかな寝息が聞こえてくる。
寝て……しまった?
けど、普通こんなにすぐに眠れる?
本当に彼は突然疲れた子供のように眠ってしまった。




