夜這いと秘密
そのまま彼はわたしの頰に顔を近づける。
「やめてください」
わたしは顔を背けてそう言った。
「……やめてください? なんて新鮮な反応でしょう。その言葉が本当かどうか確かめてみましょうか?」
トキ王子はとても楽しそうに笑っている。
彼はわたしの左右の手首を自分の左手だけで掴み、いつの間にか頭上で拘束していた。
それから妖艶な瞳を伏せると、わたしの足と足の間に足を割り入れ、首筋に唇を這わせる。
「やめて……」
わたしの言葉なんてお構いなしに右手はワンピースを捲り、直接足に触れてきた。
手は徐々に上へと移動していく。
気持ちが悪い。
「嫌……。やめてって言ってるでしょう!!」
わたしは渾身の力でどうにか彼のお腹を蹴って、押さえつけられていた左右の手首を振りほどくと、そのままトキ王子の頰を目掛けて右手を思いっきり斜め上に振った。
瞬間、ぺちんと情けない音がする。
衝撃はあったものの、残念ながら大したダメージを与えることができなかったようだ。
「これは驚きました。何も感じないどころか抵抗してくるとは……。こんなことは初めてです」
彼は呆然とした表情で目を見開き、わたしを見つめた。
「こっちこそ……初めてです。大体にして、30過ぎた男の人が女子高生に同意もなくこんな、こんな……やらしい行為をするなんて許されません!! わいせつ罪です!! 捕まります!!」
わたしは叫びながら捲れているワンピースの裾を慌てて下げる。
「女子……高生? わいせつ……? 誰に捕まるというのですか? 何を言っているのかさっぱり分かりません。どういう意味でしょうか?」
「だから!! そういうことをするのは犯罪だって言ってるんです!!」
「婚約者に婚前に性行為をしたからといって罪になりますか?」
婚約者……?
そうだった。またわたしはそんな大事なことを忘れていた……。
「こ、婚約者だとしても、わたしは同意してません。だからダメです。そもそもなんで会っていきなり、そ、そんなことをしたいんですか?」
「いきなり、そんなこと……? あはは。いきなりもなにも私は王位が欲しいのです。そのためには貴方を私のものにする必要があります。それぐらい説明しなくとも分かるでしょう? 異界に行っていたせいか、どうも貴方はズレていますね」
わたしは無言でトキ王子を睨みつける。
「本当に……幼い」
彼は呟くと、更に笑った。
「笑っている場合じゃありません。何で平然とした顔でそんな酷いことができるんですか?」
「……そうですね。何故でしょう。……気が……そがれました。貴方はジェイドと同じでとても真っ直ぐです。少し昔話でもしましょうか」
トキ王子はそう言い、急にわたしから視線を逸らした。
「先程、貴方は私を罪人だと言いました。きっとその通りなのでしょう。……私が16の時に私の母、前王妃が亡くなりました」
カナンの……王妃様?
全く話が見えない。
わたしは小さく息を吐く。
深夜のこの部屋の明かりは間接照明だけだったけど、柔らかく温かな光は不安な心をほんの少し和らげた。
「王妃様は元々体が弱くて、病気でお亡くなりになられたとジェイド王子から聞いています」
「……違います。元々弱かったのではありません。あの日から徐々に弱っていったのです」
「あの日?」
「人ならざるものが気まぐれで王宮に入り込み、若き日の母を犯した日です。そして今、私もその人ならざるものと全く同じことを貴方にしようとしています」
「……え?」
「やはり、血がそうさせるのでしょうか」
「血? どういう意味ですか?」
「私は王子などではありません。あの偉大な前王の血を一滴たりとも引いていないのですから」
伏せたトキ王子の紫の瞳が微かに揺れている。
「その母を犯した人ならざるものこそが、私の本当の父なのです」
「!!」
わたしは言葉を失った。
「そんなこと……。そんな……ジェイド王子は知っているんですか?」
「あれは何も知りません。彼が生まれる前のことですから。当事者を遠ざけ、王と王妃が亡くなった今、もう誰も知らない話です」
わたしは胸のところでぎゅっと左右の手を握る。
「信じられませんか?」
トキ王子はそう言うと、自分の柔らかな上着をゆっくりと脱いだ。
わたしは恐る恐る彼を見つめる。
「穴……」
適度に筋肉のついた逞しい彼の体に、無数の穴が開いていた。
穴は直径2センチくらいの大きさで貫通していたけど、肉体の方は生々しく臓器が見えているというわけではなく、ブラックホールのように神秘的な漆黒の色だった。
「痛くはないですか?」
わたしは失礼かと思いながらも、穴から目を離せずそう聞いた。
「……あはは!! 全くもっておかしな姫君だ。こんなものは人ではない証です。今の貴方なら『気持ちが悪い』と言うのが普通なのではないですか?」
「気持ち悪くありません。……そんな状態で大丈夫なんですか?」
無数の穴は見ていて本当に痛々しい。
「直に塞がります。心配していただいて何ですが、欠けた部分を下卑たことに使っているのです。残念ながらそれなりの対価がないと人を繋ぎ止めておくことはできませんから」
彼は自嘲じみた笑みを浮かべる。
「……使う? 対価? 難しくてよく分からないです。でもとにかくその穴に痛みがなくて、ちゃんと治るのなら良かったです」
「本当に……なんて馬鹿みたいに純粋でお優しい姫君なのでしょう。私の力が通じないのも当然かもしれませんね」
そう言って彼はわたしの長いさくら色の髪に手を伸ばした。




