眠りを妨げる第1王子
しばらく長い廊下を歩いた。
歩いているうちに緊張感が高まり、頰の熱も治ってきた。
装飾や色使いなどは違っているが、構造自体はトリイの宮殿とそう変わりない。
広い窓から見える外の風景は薄闇に包まれている。
わたしはどれくらい眠っていたのだろうか?
時間の感覚が分からない。
「殿下、お連れしました」
キリクが1つの部屋の扉をノックしてそう言った。
「入りなさい」
返事が聞こえると、キリクは部屋にわたしを促し、続いて自分も入った。
なんて広い部屋……。
「本当にセリア姫を連れてきたのですか。アラクネの二の舞にならぬよう貴方のことは厳しく躾けてきたつもりですが、またずいぶんと勝手なことをしましたね」
そう言って、とんでもない美形が豪華絢爛なソファーから立ち上がり、こちらに近づいてくる。
多分……いや、間違いなく彼がトキ王子だろう。
やはり兄弟だけあって、どことなくジェイド王子に似ている。
30を超えているはずなのにだいぶ若く見えた。
トキ王子の瞳は純粋な紫。深いアヤメ色。
長い亜麻色の髪を斜め後ろで束ね、金属製の美しい簪を挿している。
服装は王子様というより騎士のような恰好で、青みの灰、白、黒、差し色で金の刺繍が入っていた。全体的にモノトーンの落ち着いた色合いだ。
愁いを帯びた表情。
男の人なのに、妙に色気がある。
想像していたイメージと違う。
悪人かどうかはさておき、とにかくもっと猛々しい闘争心や野望に満ちた人物だと思っていた。
「お叱りなら後からいくらでも受けます」
キリクはそう言った。
トキ王子は返事をせず、更にわたしの方へと近づく。
「初めまして……と言った方がいいでしょうか。記憶がないと伺っています。カナンの第1王子、トキ・ロータスと申します」
トキ王子は優しく微笑み、静かに頭を下げた。
本当に思っていたイメージと全然違う。
「初めまして……。あの、トキ王子、不躾ですみませんが、お願いがあります」
わたしは気圧されしないように彼から視線を逸らさず、強めの口調で返す。
「まず、どうぞこちらにお座りください」
トキ王子はそう言って、紳士的に近くにあるゆったりとした椅子を引いた。
わたしがその椅子に座ると、自分もわたしの向かいに座り、キリクをこの場から下がらせた。
「怖い思いをさせてしまい、申し訳ありませんでした。怪我などしておりませんか?」
2人きりになると、トキ王子は神妙な面持ちでそう言った。
「……大丈夫です。そんなことより、わたしを今すぐトリイへ戻してください。ライルさんやクライ、ジェイド王子のことが心配です。弾き飛ばされて怪我をしているかもしれません。それにきっと、みんなも急に消えたわたしのことを心配しているはずです」
「私に聞きたいことや言いたいことはないのですか?」
トキ王子は首を傾け尋ねる。
「それは……たくさんあります。でも、とにかくトリイに戻って一度みんなの無事を確認したいんです。ミナス……こちらにはこんな無理矢理連れて来られるんじゃなくて、改めて自分から訪れたいと思っています。勿論、トキ王子とお話するために」
「まあ、尤もですね。けれどセリア姫の護衛やジェイドがそれを許してくれるでしょうか?」
「説得します。……失礼ですけど、こうしてお会いするまでわたしはトキ王子にとても怖いイメージを持っていました。みんなもきっと誤解しているのだと思います」
「誤解……? 今、少し話しただけで私の何が分かるんですか?」
「え?」
「……いえ、すみません。姫の気持ちは分かりました。ジェイドの元へ戻ってくださって結構です。今日はもう日が落ちていますので、明日トリイまで送りましょう」
時間なんて関係なくすぐにでも戻りたかったけど、さすがにこれ以上の我儘は言えない。
わたしはお礼を言って部屋を出る。
トキ王子が呼んでくれた侍女さんが、さっきまで寝ていた部屋とは違う、もっと広い客室まで案内してくれた。
それから食事やお風呂をいただき、客人として丁重に持て成された。
それにしてもこんなにあっさり戻ってもいいと言ってくれるなんて、やっぱりキリクとスサトさんが勝手にわたしを連れてきただけで、トキ王子はそんなこと望んでいなかった。
明日になればみんなに会える……。
わたしは柔らかなワンピースのようなパジャマを借りることにして着替えると、明日に備え早々と眠りについた。
「……セリア姫。姫……起きてください」
誰かがわたしを優しく揺すっている。
誰……?
「ん……」
夢と現実の境目で薄っすら目を開けると、ベッドの上にトキ王子が座っていた。
「んん? は? え? な、ど、どど、どうしたんですか?」
「どうしたもこうしたも貴方に用事があるのです」
夢かもしれないと思ったけれど、彼からお風呂上がりのソープのようないい香りがする。
「し、しし、深夜ですよ? こ、こんなこと、とても紳士のすることとは、思えない……ですけど」
すっかり目が覚めた。
わたしは言いながら体を起こす。
「紳士? 私の話し方や仕草から勝手に貴方がそう判断しただけで、私は元々手段を選ばない人間です」
「手段を選ばない?」
トキ王子は返事をせずに目を細めた。
以前ライルさんから言われた言葉が頭をよぎる。
「……あ、もしかして殺す……つもりで部屋に入ってきた……とか?」
怖い考えを思わず口に出してしまった。
「はは……まさか。とんでもない。貴方を誘惑しに来たのです。ここに留まってもらうために」
「さっきはトリイに戻っていいと言いました。あの言葉は嘘だったんですか?」
「嘘などついておりません。ただ、残念ながら言葉の前に『戻りたければ』がついていたというだけです」
「戻りたければ? 勿論、戻りたいからお願いしたんです。……意味が分かりません」
わたしは呆然と彼を見つめて言った。
「先程お会いした時から思っていましたが、貴方にはずいぶん耐性があるようですね。稀に想いの強い者や魔力の高い者に通じない場合がありますが、こんなに間近で私を見て平然としていられるとは実に不思議です」
トキ王子はそう言いながら、わたしの両腕を掴んで笑った。




