15年前と同じ
「この状況を見れば明らかですね。そちらの女性たちは兄の手の者。スサト、あなたはいつから兄に傾倒していたのですか?」
そう言ったジェイド王子の声はもう意外にも落ち着いていた。
「グラン・ハルスタインに入ってすぐに」
スサトさんは答える。
「それならばこの王宮を出て、兄とともにミナスに行けばよかったでしょう?」
「私はジェイド殿下の動向を見張るためだけにここに残りました」
スサトさんは淡々と答えた。
「スパイか。まさか王宮の警備隊長であるお前がトキ王子側につくとは夢にも思っていなかった」
ライルさんが呆れた顔でため息をつく。
「カエヒラ様やライル様から見れば私はただの反逆者。当然許されることではありません」
「じゃあ、どうして? それが分かってて、どうしてこんなことするの? スサト、脅されてるの?」
クライは哀しげな表情でそう言うと、空中から徐々にわたしたちに近づく。
「……こちらに来ないでください。姫君に危害を加えることになります」
「……っ!!」
スサトさんがわたしの腕を掴んでいる力が強まる。
クライはその場に留まり、そのまま屋根に下りた。
同時にスサトさんは力を緩める。
「結構……。私は脅されてなどおりません。これは全て私の意思。世界を統べるには、絶対的なカリスマ性が必要なのです。ただお優しいだけでは人は動かせない」
スサトさんはジェイド王子を見つめて、そう言った。
「カリスマ性?」
ジェイド王子は呟く。
「馬鹿馬鹿しい。危険思想の持ち主を王の座につかせるつもりか?」
ライルさんが言った。
彼もいつの間にか屋根に下りている。
「過激と思われようと、誰かを傷つけることになろうと、何かを成し遂げるにはそれも致し方のないこと」
「セリア姫にそのような行いをすることが致し方のないこと……なのですか?」
「そうですね。彼女は世界を統べるために必要な、彼の方の特別なパーツ……ですから」
「スサト、僕を優しいだけの人間だという認識は、今この時をもって改めてください。彼女にこれ以上危害を加えるのでしたら、僕は決してあなたを許しません」
ジェイド王子の表情が怖いくらい冷たく変わった。
「オレは……オレにはスサトが何を言っているのか……全然分からないよ」
クライが小声でそう言う。
彼だけはスサトさんを見つめて、未だ信じられないといった表情をしている。
「分かってもらわずとも結構です」
「スサト……」
クライが何か言いたげにスサトさんの名を呼ぶ。
「クライ、今の彼に何を言っても無駄です」
ジェイド王子が厳しい表情のままそう言った。
ライルさんは腕を組んで考え込んでいる。
「とにかく、私の役目はどんな真似をしようと彼女を彼の方のもとへ連れ行くこと。邪魔をしないでいただきたい」
「別人……だな。俺の知っているお前ではない」
ライルさんの言葉に、ようやくクライが諦めたように頷く。
「どうやらトキ王子の人を惑わせる力というのは本物らしい」
ライルさんはそう言うと、突然右腕から黒い球状のものをショートカットの女性に放った。
「っつ!! そなた、何をする。いきなり女に手を上げるか!!」
「キリク様!!」
「大丈夫でございますか!?」
彼女の後ろに控えていた黒ずくめの女性たちが心配そうに彼女に駆け寄る。
「……キリク? お前は男だろう。お前がそんななりでずっと俺の攻撃から逃れようとしていたことは知っていた。だが、もはやそれも意味のないこと。お前が女だろうと男だろうと、俺がこのまま黙ってこいつを連れて行かせると思っているのか?」
ライルさんの口調はいつにも増して冷淡だ。
彼女はお腹を押さえ、よろめきながら舌打ちする。
彼女?
……じゃなかった?
どう見ても綺麗な女の人だけれど、キリク……さん。いや、今は明らかにわたしの敵……。
キリク……は男だったの?
いつの間にか、薄暗かった視界が鮮明になっている。
スサトさんとわたしを包んでいた闇の膜のようなものは完全に消えた。
そして、わたしの目の前に……。
「ライル……さん」
「待たせた」
そう言うと、ライルさんは素早くキニュちゃんでわたしを覆った。
キニュちゃんは液体と固形の間でぐにょぐにょとしている。
キニュちゃんはスサトさんにも容赦なく張り付き、彼は途端に身動きが取れなくなった。
右手で無理に刀を抜こうとしたようだが動けはしない。
わたしはスサトさんから逃れて、ライルさんに手を伸ばす。
「スサト!!」
その時、突然キリクがお腹を押さえながら野太い声で叫んだ。
「……スラカ……カ……ヒ……ド」
合図かのようにスサトさんは不思議な言葉を発する。
「禁呪か? なぜ魔術師でもないお前が……。死ぬつもりなのか?」
いつも冷静なライルさんの声が微かに震えている。
「元より、命などとうに捨てております。その気持ちは、貴方にもお分かりになることでしょう?」
スサトさんはそう言って、後ろからわたしに覆いかぶさった。
わたしとスサトさんを覆っていたキニュちゃんは弾かれ、開けていた目の前は再び暗くなる。
でも、さっきの薄闇とは比にならない。
スサトさんは……。
背にあるものは、もう人の感触ではなかった……。
闇が膨れ上がっていく。
ライルさんがどこかへ飛ばされていくのが見えた。
「嘘でしょ? 主が弾かれるなんて。これじゃ、あのときと同じ」
クライがそう言って、わたしに近づこうとする。
けれど、一定の距離まで近づくと彼もライルさんのように飛ばされてしまった。
「クライ!!」
叫んでもクライの姿は見えない。
「本当にこれでは、まるで15年前と同じ……」
ジェイド王子はそう言って、クライが飛ばされた方向を見つめる。
先に飛ばされたライルさんは、いつの間にかキリクの前で彼を見据えていた。
「これは私の魔力ではない。私を攻撃しても止められない」
キリクはそう言った。
「お前が埋めて発動させた。スサトを捨て駒にしたのか?」
「スサトが望んだことだ。そんなことより、姫はもう落ちかかっている。私の相手をしていて良いのか?」
彼は笑っている。
2人の会話を聞いていたジェイド王子がキリクを睨みつけ、わたしに駆け寄るがすぐに飛ばされてしまう。
「ジェイド王子!!」
わたしは倒れている王子に近づこうとするけれど、どうしても闇に捕らわれて体が動かなかった。
ライルさんは素早くわたしを覆っている闇に向かって何度も球状の光を打ち込む。
そして、その光に進みわたしとの距離を縮めたが、どうしても一定の距離まで来ると弾き飛ばされてしまう。
「何度やっても無駄だ。ナギの魔術師、そなたの魔力は既に全て研究済み。いくら強大でもこうして相性の悪い魔力をぶつけてしまえば、決して本丸まで届くことはない」
キリクはわたしが闇に呑まれていくのを嘲笑うかのような目で見ていた。
それでもライルさんは諦めず光を打ち込み続け、わたしに手を伸ばす。
闇は深くなり、いよいよ足元までも覆われる。
闇に……落ちる……。
「セリア!!」
ライルさんがわたしの名を呼ぶ。
彼の瞳は紺藍。
今までこんなに切なげな表情は見たことがない。
ライルさん……ライルさん……!!
必死に手を伸ばしたけれど、あと数十センチという距離で彼はわたしの視界から消えた。




