大人にならないと
「ジェイド王子、だったらわたしも2人と一緒に帰ります。ナギで、改めてきちんとこれからのことを考えます」
「頼むから、お前は……黙っていてくれ……」
ライルさんが言った。
珍しく感情のある声だった。
「セリア……」
クライがわたしの腕に触れ、ゆっくりと首を横に振る。
彼は微かに笑っていた。
でも、その笑みは何だか不自然で、わたしを安心させるために無理をしているように見える。
「俺たちが帰った後は、どなたがセリア姫の護衛を?」
ライルさんはジェイド王子に尋ねた。
「それは、スサトに」
「それなら問題ありません。……分かりました。俺とクライは一度離れます。スサトなら大丈夫だと思いますが、くれぐれもお気をつけください。日数は10日ほどでよろしいですね」
ライルさんの声は、いつの間にか冷淡な声に戻っていた。
「……感謝します」
ジェイド王子はそう言うと、ライルさんに向かって、また深く頭を下げた。
話は驚くほど簡単に、勝手に纏まってしまった。
2人の話はその後も続き、トキ王子に会うという話はいったん保留になった。
彼が危険人物だと聞かされ(わたしを殺そうとしているとか、戦争をしようとしているとか、世界の王になろうとしているとか)警戒する気持ちがこれまでよりずっと強まってしまったことは否めない。
そもそも最初から、会って分かり合おうなんて考えが甘かったのかもしれない。
けれど、それでもいつかトキ王子とはきちんと会って話をしなければいけないと思っている。
あの時、使者の女性から受け取った招待状。
そして、片方の言葉だけ聞くなど依怙贔屓も甚だしいと言われたこと。
気になっていた。
どちらにしたって、トキ王子がわたしの婚約者である限り、無視し続けることなんてできない。
でも、そんなことよりわたしは今、目の前に居る彼に対する怒りに、感情を支配されていた。
「わたし、2人が居なくなるなんて絶対に嫌です!! なんで何もかも勝手に決めちゃうんですか!?」
自室に戻り、わたしは我慢していた思いをようやく思いっきりライルさんにぶつけた。
彼は、答えず俯く。
「ごめんね、セリア……」
クライが謝る。
当然、クライに謝ってほしいわけじゃない。
「どうして?」
「……ジェイド王子の気持ちが分かるから。彼は15年もセリアに会えることを信じて待っていたんだよ? その想いは……本物だから。想いが変わらないのってすごいことだと思う。だから、今は、今だけは彼のことを見てあげて?」
クライは笑ってそう言った。
いつもなら、癒やされる優しい笑顔。
でも何故か、やっぱり無理をして笑っているように見える。
「クライ?」
「……あのね、少しだけ離れるけど、心配しないで。セリアの心がちゃんと決まるまで、オレも主もどこにも行かない。だから信頼して」
「信頼? 勿論、信頼はしてるよ!!」
「ライルさん、分かってると思いますけど、わたしは向こうの世界でただの高校生だったんですよ? 姫? 王女? それで、今度は王妃? 結婚なんて……無理です。ましてや好きでもない人となんて!! やっぱりわたし、そんなことは考えられません!!」
「……王子から聞いたとおりだ。彼がカナンの国王にならなければ、この世界の平和が脅かされる」
「だからわたしに彼を選べと?」
「真剣に考えろ。お前はこの世界がどうなってもいいのか?」
「そんなこと……」
そんなこと思ってない。
この世界がどうなってもいいなんて……思ってない。
だけど……。
ああ……ダメだ。
抑えきれない感情とともに、勝手に涙が溢れてくる。
聞きたくなかった。
だってそんな言い方されたら、わたし、あなたのことが好きだなんて……とても言えない。
両目を押さえたけれど、涙は押さえたその手を伝ってぽたぽたと床に零れ落ちた。
「セリア、泣かないで……。主だって、強制してるわけじゃないよ? ただセリアに、サイネリアのこと、冷静にもっとちゃんと考えてもらいたいだけ」
クライは真剣な顔でそう言った。
「スサトは元々ナギの者だ。剣の腕も確かだし、多少の魔力もある。信頼していい」
ライルさんが言った。
スサトさんのことなんて聞いてない。
側にいてくれるのがライルさんじゃないのなら、わたしにとっては誰だって同じだから。
「セリア、座って」
クライはわたしをソファーに誘うと、どこから出したのか柔らかい布でわたしの涙を拭った。
「セリア、怖いの?」
クライの言葉に、わたしは横に首を振る。
怖いというより……只々哀しかった。
「よく考えてくれていいから。セリアがよく考えて出した答えなら、誰が反対しようと応援する。誰かが責めたり追ってきたりするなら、オレがセリアを連れてどこへでも逃げるよ。元の世界に帰りたいなら、きっとどんなことをしてでも帰してあげる」
「クライ……」
クライだって自分の世界が大事なはずだ。
この世界を守りたいに決まっている。
なのに……。
彼はいつもわたしのことばかり……。
いつだって優しくて……。
優しすぎるくらい。
ああ、そうか。わたしなんかより、ずっとずっと大人なんだ。
見た目だけ大人なわたしは、本当になんて幼いのだろう。
「……ごめんなさい」
わたしの言葉にクライは緩く首を横に振る。
「わたし、2人と離れて……考えます。ジェイド王子とも、もっときちんと真剣に向き合います」
クライは笑って頷く。
それは無理のない、いつもの優しい笑顔だった。
ライルさんの視線は下で、やっぱりわたしを見ようとはしない。
伏せた瞳の色はストーム・ブルー。
なんて暗い、闇に近い色。
彼の心がわたしから更に遠いところへ離れていくように感じる。
「このまま会えないなんてこと……ないですよね?」
呟くと、
「セリア、大丈夫。必ず10日後に迎えに来るよ」
とクライは笑った。




