ジェイド王子の話1
「兄が10歳の時、僕は生まれました。でも歳が離れているせいか僕には兄と一緒に遊んだという記憶がありません。それどころか話しかけても無視され、兄はいつも冷たい目で僕を見ていました」
「兄というのは、トキ王子のことですか?」
「はい。幼い時にセリア姫も何度か会っています」
ジェイド王子は遠い目をしていた。
「どうしてトキ王子はジェイド王子にそんな態度をとっていたのですか?」
「……分かりません。分からないからとても辛かった……。そんな折、親善国家であったこともあり、父に連れられナギの城へ行くことになりました。僕は5歳だったと思います。そこで初めてあなたに出会いました」
彼は一呼吸おいて続ける。
「あなたは僕を見た目から女の子だと思ったようです。ジェイドと言ったのに、初めて会った僕をジェーンちゃんと呼びました。それから頻繁にナギに遊びに行くようになって、メル姫やライルさんが隣の国の王子だと説明してくれましたが、『ジェーンちゃんはお姫様なの!!』と言ってあなたは決して聞き入れてはくれませんでした」
ジェイド王子は可笑しそうにそう言った。
「……ジェーンちゃん? ごめんなさい。わたし、とんでもなく失礼なことを……」
「いえ。見た目だけではなく兄があんなふうでしたので、僕はすっかり心が弱くなってしまっていたのです。よくめそめそと1人で泣いていました。あなたがそう思い込んでしまっても無理はありません」
「本当に……ごめんなさい」
「謝らないでください。全く気にしていません。寧ろ嬉しかった。あなただけが呼んでくれる特別な呼び方……。あなたはいつだって僕に優しくしてくれました」
ジェイド王子はそう言って微笑んだ。
「それから、1年後。僕が6歳の時です。元々体か弱かった母が亡くなりました。兄は僕への冷たい態度を他人に悟られないようにしていましたが、母は気づいていたようです。亡くなる間際になぜか僕に『ごめんね。私のせいなの。お兄ちゃんを許してあげて』と言いました。母は優しい人でした。でも大抵ベッドに臥せっていましたので、僕が生まれてから一緒に居られた時間はとても少なかったと思います」
「辛かったですね」
「……そう……ですね。だから母の葬儀が終わり、すぐに僕は我儘を言いあなたに会いに行きました。どうしても会いたくて。でも、それが間違いでした」
「メルさんから聞いています。その日、わたしはこの世界から消えたんですね?」
「そうです。アラクネが突然現れ、あなたの魂を肉体から切り離してどこに続くとも知れない異空間に飛ばしました。その時アラクネは僕に、『お前が執着するものは全て奪ってやる』と言いました。でも僕にはそれが彼女の言葉ではなく兄の言葉に聞こえたのです。僕がアラクネ個人から恨まれるような覚えはありませんでしたので」
「トキ王子とアラクネさんが通じていたということですか?」
「……結論から言えばそうではなかった……と答えるしかありません。そもそもアラクネは王家直属の魔術師で、兄ではなく父に仕えなければならないのです。しかし、彼女が一方的に兄に執着していることは周知の事実でした。彼女は兄を取られたくなかったと言いました。兄があなたを好きだと言ったと言うのです。それでアラクネは嫉妬や独占欲からあなたを陥れようとしたと、他国とはいえ王族を葬る大罪だけは避け、あなたの魂を兄から遠ざけたのだと、そう告白してきました。その後、アラクネは自害し父はもう真実を確かめるすべがなくなりました。そして自分は事件には関与していないという兄の言葉を信じたのです。結局彼女の独断の犯行であったと父は結論付けました」
「ジェイド王子はそう思っていないのですね?」
「勿論です。全てが嘘だと思いました。アラクネが言った『お前が執着するものは全て奪ってやる』と言った言葉を忘れていませんでしたし、兄があなたを好きだというのも信じられませんでした。兄はこの時16です。いくら魅力的だといっても、2、3度しか会ったことのない8歳のあなたを恋愛対象に見ていたなんて考えられません」
確かに……。
でも世の中にはロリ……歳下趣味の人だっている。
わたし自身、トキ王子に好かれていたなんて思えないけど、絶対にないとも言い切れない。
「それから父はあなたを探すのに全力を尽くしました。ただ不幸なことにカナンにはアラクネほどの魔力を持つ魔術師は存在しないのです。父は、自分の持つ微力な魔力を全て使って自らあなたを探しました。あなたを失ったナギの人々のためにも何かせずにはいられなかったのでしょう。魔力は時間が経てば回復しますが、魔力を使い果たすことをあまりにも繰り返していたせいか、父は段々体が弱くなっていきました。そして、セリア姫と結婚した方に王位を継がせると遺して、3年前に息を引き取りました」
「カナンの王様は、わたしのせいで……?」
そんなこと、全然知らなかった。
「あなたが責任を感じることはありません。父が望んでしたことです。常に国を憂いていた心労もあったのでしょう。父はナギ王と親しかったので、あなたのことを自分の娘のように愛しく思っていたようです。遺言の文面は簡素で単純なものですが、父の思いはきっと別にあったのだと思います」
「どういうことですか?」
「セリア姫の魂を決して諦めることなく探し出し、幸せにした方に王位を継がせたいという思いです。これからのあなたを幸せにすることが、父が出来る精一杯の償い。そしてそれは、兄には絶対に無理なことです。兄は誤解しています。父の気持ちも分からず、あなたを手に入れさえすれば王になれると……」
そこで言葉が途切れた。
「僕は、幼いときからあなただけを想ってきました。誰よりもあなたを愛しています。ライルさんにも兄にもあなたを渡すつもりはありません」
ジェイド王子は強い瞳でわたしを見つめていた。
彼の想いが強すぎて……苦しい。
なんて返したらいいの?
「また……謝ったりしないでください。ただ僕の想いを知っていてほしいだけです。この国の現状について続けて話したいところですが、日が暮れてきました。夕食をとって今日は休みましょう。姫、長い話に付き合わせて申し訳ありませんでした。疲れたでしょう?」
わたしは首を横に振る。
「ライルさんとクライを呼んできます」
ジェイド王子はそう言って優しく笑った。




