優しい人たち
クライはわたしの部屋の前にいる。
彼の綺麗な濃紺の瞳に浮かぶ黄金色は、日本で見ていた月を思い出させた。
時間はだいぶ経っているようだけれど、外はもう暗いのだろうか……。
「クライも今日は自分の部屋で休んで」
わたしは彼に声をかける。
「あのね、セリア。何回も言うけど、オレ、人じゃないから休む必要ないの」
クライは呆れた顔で答えた。
こっちこそ何回言われても、可愛らしい少年としか思えないんだけど。
わたしがその場から動かないでクライを見ていると、
「もう……ホントにオレのことはいいから、ゆっくり休んで?」
と彼は懇願するように言った。
これ以上クライを困らせたくないから、わたしは渋々自分の部屋に戻ることにした。
ベッドに入ったわたしは、何も考える間もなく眠ってしまった。
ノックの音で目が覚めた。
「どうぞ」と返事をすると、エチカさん、キイロさん、マニさんが「失礼いたします」と言い、部屋に入って来た。
挨拶を交わした後、
「もしかしてもうお昼くらいですか? すみません。なんだか……自分でもびっくりするくらい死んだように眠ってしまって」
とわたしは言った。
「それはそうでしょうとも!!」
マニさんは、何故か嬉しそうに答えた。
「クライ様の魔法です」
彼女は更に得意げに続ける。
「え? 何が……ですか?」
「昨日、セリア様、クライ様に魔法をかけられていましたよ」
「……いつですか?」
「クライ様が"ゆっくり休んで?"と言った時です」
「ええ!? そ、そうだったんですか!?」
全く気付かなかった。
確かに彼の言葉通りゆっくり眠れて、今はとてもすっきりとした気分だった。
「メル姫様がお待ちです。着替えられたらご一緒にお食事を」
エチカさんがそう言って微笑む。
わたしは着替えて身支度を整えると、廊下で待っていたエチカさんの後に続いた。
「セリア、おはよう」
一際大きなシャンデリアがかかる広い部屋で、メルさんが笑っている。
あまりに眩くて、おとぎ話の絵本みたいな光景。
一高校生だったわたしとは世界が違いすぎて、今更だけど彼女に近寄るのが恐れ多いような気持ちになる。
「……おはようございます。メル姉、ライルさんとクライは?」
「クライはコレット・ブライトのところで、ライルはどこかその辺に居るんじゃないかしら」
「その辺って……」
「だってライル、神出鬼没なんですもの。まあ、彼が黙ってあなたから遠く離れることはないから心配しないで」
メルさんは微笑む。
「……そうですか。あの、コレット・ブライトってもしかして港に居た剣と武術の達人のコレットさんですか?」
「ええ。会ったことはないけれど、何かといい噂が立たない彼のことよ」
メルさんはそう言うと、急につんとした表情になった。
確かに変わった人だったけど、冗談好きな愉快な人って感じで、わたしはコレットさんに悪い印象はない。
「それでクライはなんでコレットさんに会いに行ったんですか?」
「船の準備が必要なくなったから、それを伝えに。本当は予定通り船でアサナに渡ってカナンに入った方が安全だと思うんだけど、ライルがそんな必要ないって言うから」
「どういうことですか?」
「手っ取り早く空間魔法を使うみたいね」
「空間魔法……?」
「魔力って使うと回復するのに時間がかかるのよ。何があるか分からないし、私はあなたを守るために極力ライルには魔力を温存しておいて貰いたいって思っているのだけれど、彼はジェイド王子の元に一刻も早くあなたを連れて行きたいようね」
ジェイド王子……。
ライルさんがわたしを何とも思っていないことは分かっている。
寧ろ何とも思っていないどころか、嫌われている可能性の方が高い。
最初に会ったときに、はっきりと言われた。
"俺はお前になんて会いたくなかった。お前をジェイド王子に会わせるために迎えに来た"と。
着替えたドレスにポケットがなかったから、今日はライルさんから貰ったお守りのスカーフを見えないように腕に巻いている。
わたしはドレス越しにスカーフに触れた。
「セリア、どうしたの?」
わたしはメルさんに心配をかけないように笑って首を横に振る。
「一緒にご飯を食べましょう」
メルさんの言葉に今度はゆっくりと頷いた。
食事を終えてスワリのお茶を飲んでいると、勢いあるノック音の後にクライが入って来た。
「セリア、メル姫さま、たっだいまー!!」
「クライ、おかえりなさい!!」
わたしも勢いよく答える。
クライが元気なのが嬉しかった。
「クライ、昨日の夜わたしに魔法をかけてくれたんでしょ?」
わたしは彼を見つめてそう言った。
「ん? ……あれ? ばれてる?」
「マニさんが教えてくれたの。ありがとう。おかげですっごくよく眠れたよ」
「よかった」
クライはちょっと照れたように笑った。
「クライ、港でコレット・ブライトには会えた?」
メルさんが尋ねる。
「うん。ちゃんと話したよ。別に船のことはどうでもいいみたい。なんかセリアに会えなくなったことを異常に残念がってた。それでカナンまで自分も一緒に付いていくって」
「……まあ。コルハの警備隊長が職務放棄?」
「だから、そんな勝手なことするならルビナかカエヒラさまに報告するって言ったの。そしたらあっさり諦めてくれた」
「クライ、それはとてもいい判断だったわ」
メルさんは氷の笑みでそう返した。
「ルビナ……さん?」
わたしは尋ねる。
初めて聞く名だ。
「ああ、ルビナは女性でコレットの直属の上司だよ。お城でたくさん居る警備隊長を統括してるの」
クライが教えてくれた。
「セリア……。カナンから戻ってきたらお父様やお母様は勿論のこと、ルビナやカエヒラ様、お城のみんなに会ってあげてね。この国の民はみんなあなたが大好き。あなたが戻ってくる日をずっとずっと待っていたんだから」
メルさんは続けてそう言った。彼女の表情は、氷の笑みからいつもの温かい笑みに変わっている。
みんなに愛されているこの国の第2王女、セリア・ナナハン。
そんな風に聞かされると、記憶のないわたしでいいのか不安になってくる。
でもメルさんを初め、ライルさんやクライ、コレットさん、それからこの宿の人たちも……わたしがセリア姫だと信じて疑わない。
何も分からないわたしを受け入れてくれている。
ナギの人たちは優しい。
不安な気持ちを気づかれたくない。
わたしは笑って頷いた。




