ただのひとつの神話の終わり 前編 ”蛍(正史)ルート”
第58T話「ただのひとつの神話の終わり」前編
天都原市総合病院、個室病棟の一室にて――
「……」
俺はちょっとした所用で因縁のあるこの街に舞い戻っていた。
――
「そうか、奴らは後から来ると?」
俺の目の前には病室のベッドに窮屈そうに横になった男が居る。
「そうなんだよ、岩ちゃん。ちょっと諸事情があってね、とはいえ、取りあえずは順調に回復に向かっているようで、なによりだね」
俺の横には、久しぶりに会ってみても相変わらず緊張感の無いニヤけ面の男。
中性的で一見物静かなインテリっぽい容姿だが、その中身はそれとは正反対といえる、馴れ馴れしさと気さくさが絶妙に味付けされた波紫野 剣という名の人物だ。
「おぅ、まぁな。だが、記憶がな……」
病院の大きめなベッドでさえ若干窮屈そうに見えるくらいの、横になった巨漢は”岩家 禮雄”だ。
「本当に俺は十九になっているのか?俺の記憶が確かなら俺はまだ高校一年の……」
短髪で四角いゴツゴツとした無骨な顔と太い首。
入院患者であるにも拘わらず堂々とした胸板は、奴が言うような高校生どころか既に立派な大人?プロレスラー?いや、そもそも人類というのも憚られる、相変わらず常識離れした体格の持ち主である。
「ふぅぅむ……」
腑に落ちないように四角い顎をさする岩家。
パジャマ越しでも分かる隆々と盛り上がった肩の筋肉、そして丸太のような……
――”片方だけ”の腕
「記憶が曖昧なのは仕方無いよ、三年も意識不明になる大怪我だったからなぁ……なにせ四十度以上の熱でフラついたひょうしにビルの四階から落ちて、その後、四トントラックにはねられた後に、たまたま脱走していた餓えた土佐犬五匹に散々に囓られてから、駆けつけた救急車にも轢かれたんだからねぇ……」
――おいおい……
嘘吐くにしてもどんな素っ頓狂な状況だよっ、それ!
騙す気あるのか六神道の軽薄剣士!!
俺は波紫野 剣の隣で終始、黙ってはいたが……中々に微妙な表情だったろう。
「うむ、確かに大変だったらしいな」
「……」
――いや……
本人が納得しているのならばもう俺はなにも言わないが……
「…………この脳筋ゴリラ」
俺はそう思いつつも、つい小さく呟いてしまう。
本当のところ――
岩家 禮雄が実際に寝ていたのは略一年である。
片腕を失った……重傷を負って意識不明だった原因はあの事件だ。
――”六神道事件”
御端 來斗が岩家の身体を使った人体実験とテロ行為。
その事実は地元の名士である六神道の長老達により隠蔽され闇に葬られた。
「それで……そこの男は?」
岩家は不承不承ながらも頷きながら波紫野 剣の隣で突っ立った俺を見ていた。
「あ、ああ!朔ちゃんね。朔ちゃんは岩ちゃんとは初対面だけど……俺の親友でね、ちょっと今日はついてきて貰っただけだよ」
「そうか」
――白々しいな、波紫野 剣
俺は小さく溜息を吐く。
「……」
岩家はあの人体実験で記憶を失った。
古の悪神、”禍津神”を降臨させるような無茶を施された身体。
大量の”負の気”……災厄を招く”大禍神”の気とやらを無尽蔵に詰め込まれ、変質させられた岩家の身体は無事回復した現在もその時の後遺症でその後の記憶どころか、それ以前の、遡って二年もの記憶を消失していたのだ。
――記憶……
つまりその時間の存在を、人生を喰らわれたってことだ、あの悪神に……
「取りあえず養生した方が良いよ。これは俺と朔ちゃんからのお見舞い、ここに置いてくから」
波紫野 剣は全く以て平然とした顔で幼なじみ相手に虚偽の経緯を押し通し、奴が横になったベッド脇の小型テーブル上に俺と二人で金を出し合って買った見舞い品の”ド定番”ともいえる”フルーツ盛り合わせ”のバスケットを置いた。
「おお、悪いな、波紫野と……」
岩家は目が覚めてからもう今までで色々な人間から散々そう説明され続けたのだろう、いい加減納得しきった表情で俺達を見ていた。
「おお、ええと、波紫野と……」
「…………折山 朔太郎です」
俺の顔を少し不思議そうに見ながら言葉を詰まらせる相手に俺は再度、自分の口で自己紹介をする。
「そうか、悪いな折山。気を遣わせて」
そして実に屈託無く笑って礼を言った。
「いえ、お大事に」
――だが、俺は……
結構複雑だった。
岩家の意識が戻ったと一年ぶりに波紫野 剣から連絡を貰った俺は、一応は岩家と闘った相手として……
というか、腕をもいだ犯人として、ちょっとばかり気にかかっていた。
だから久しぶりに天都原市に戻ってきたのだが……
――本当にこれで良かったのか?
――と……
「じゃあ岩ちゃん、また」
ギィィ
その間にも、軽い口調で別れを告げた波紫野 剣はサッサと病室のドアを開ける。
「……」
思い悩んだ所で仕方ないと、俺もペコリと軽く会釈してその後に続……
――
「折山!」
――!?
途端、病室を出る直前で岩家 禮雄に引き留められる。
「……」
「……いや……すまん……ちょっとな」
岩家は気まずそうな顔でこっちを見ていた。
「あれだ……俺が退院したら……もう一度試合を……」
「……」
そして戸惑いがちにそう口にする。
「えっと?……朔ちゃんは、武術とかやってないから」
驚いた顔をしながらも俺の代わりに剣がそう答える。
「そ、そうか……そうだな……それに初対面だったか?すまん、忘れてくれ」
そうして岩家は恥ずかしそうに、ごつい顔の頬をかいていた。
――――バタン
そして今度こそ病室のドアを閉めて俺と波紫野 剣は外に出た。
「驚いたね……記憶は彼の人生ごと喰われて消滅したらしいから絶対に戻らないって事だったのにね」
信じられない事だと頭を捻る波紫野 剣を前に俺は――
「……」
何故だか、そうでも無いと感じていた。
――記憶と感覚は違う……はずだ
なら、きっと刻まれていたのだろう。
俺との闘いが奴の魂の根底に……
「朔ちゃん?」
病院の廊下で独り納得した顔の俺はついフッと笑みが零れる。
「岩家とは確か”一勝一敗”だったからな、機会があったらそれもいいかもな」
「いや、秘密だって”六神道事件”の事は……はぁ、なんだかんだで好きだねぇ、朔ちゃんも」
呟いた言葉に剣は呆れていた。
「そうだったか?はは」
「だよ、まったく朔ちゃんは……ふふふ、あはは」
そして俺達は暫しの間、どちらとも無く笑い合い、病室の前を通る看護師達や患者達の奇異な目を集めていたのだった。
「ああ、そうだ。こうして笑ってる場合じゃ無かったよ、あんまりモタモタしていたら嬰美ちゃんと真理奈ちゃんが来ちゃうから……」
「嬰美と真理奈が来たら何か問題なのか?」
「…………」
俺の素朴な疑問に波紫野 剣は今度は笑い無しで溜息を吐く。
「自覚ないんだねぇ……朔ちゃんは」
――自覚?はぁ?
「だ・か・らぁ、あの二人は寧ろ岩ちゃんの見舞いじゃなくて、一年ぶりに朔ちゃんに会えるっていう機会の為に……」
「…………」
――いや、それこそ意味不明だ
俺なんかに会っても面白くともなんともないだろうに……
「兎に角、現在はW県で蛍ちゃんと上手くやってるんだろ?余計な波風立てたくないなら直ぐに帰った方が良いよ」
――なにが波風になるのか、いまいち解らんが……
確かに、俺は一年ぶりに訪れたこの天都原市で既に三泊もしている。
忙しい職場に無理を言って休みを貰ってまでそうしたのは、波紫野から連絡があった岩家の事がきっかけではあるが、この機会にお世話になった……
”一世会”をクビになって行く当ての無い俺に、住む場所と仕事を紹介してくれた大田原夫人にもちゃんと挨拶をしておこうとそう思ったからだ。
「そうか?そうだな、確かに用事は済んだしな」
――まぁ、なんというか
波紫野の忠告を理解してって訳では無いが、既に用件を全て済ませた俺は素直にその言葉に従う事にする。
「じゃあな、波紫野」
そして決めたからには長居する意味も無い。
俺は短く挨拶して、右手をあげると既に背を向けていた。
「…………あ、朔ちゃん!」
――?
去ろうとする俺を不意に引き留める波紫野 剣。
直ぐに帰れと言っておいて今更なんだ?という顔で俺は立ち止まって振り返る。
「……あ、いや……じゃあ朔ちゃん、またね」
「…………」
そして俺は、妙に含んだ笑みを浮かべた波紫野 剣を置いて――
再び背を向けたのだった。
――
―
「ほんとに……また会おう……折山 朔太郎」
六神道の波紫野 剣は、聞こえないような声でそう、既に小さくなった意外と律儀な変わり者の背中に言ったのだった。
第58T話「ただのひとつの神話の終わり」前編




