卵の殻 前編 ”蛍(正史)ルート”
第56T話「卵の殻」前編
ザッ、ザッ……
一歩一歩、特に急ぐこと無く――
ザッ、ザッ……
しかし確実に、”その男”は近づいて来る。
――
「馨さん……」
二人の男とは勿論、西島 馨とその舎弟の森永だ。
「…………」
少し距離を取った所からは、六神道の面々が興味深げにこちらに視線を向けていた。
「朔太郎くん……」
隣に立つ蛍も察しているのだろう。
緊張気味の表情で俺と対峙した西島 馨の様子を窺う。
――
「馨さん、すみません。今日は無断で……」
俺は既に目の前に立った、ポケットに両手を突っ込んだままの、とびきりガラの悪い男、西島 馨に謝罪する。
「…………」
鋭い眼光……
この男の眼は何時だって対峙する相手の希望を塗り潰す。
「……馨さん、すみません。どうしても外せない用事があったので……この不始末は必ず……」
言葉の無い相手に、俺が謝罪という名の言い訳を続けようとした時だった。
――スッ
「っ!」
西島 馨はゆっくりとポケットから右手を出して――
バキィィッ!!
「ぐっ!」
次の瞬間!容赦の無い拳が俺の顔面に入っていた!
「なっ!?なにするの!」
六神道の面子はあっけにとられて目を丸くし、隣の蛍は抗議の言葉を叫んだかと思うと俺と西島 馨の間に華奢な身体を割り込ませてくる。
「な、なんなんです!いきなり暴力なんて……」
蛍は俺を庇う様に前面に立ち、見るからに只者で無い男を睨みつける。
「……」
無言の男。
極道者の西島 馨に一歩も退かない蛍の行動は実に健気だ。
「蛍……」
「朔太郎くんは黙ってて!」
――大したものだ……
あの馨さんに――
”その筋”の者さえ、ひと睨みで震え上がる西島 馨と互角に眼つけ合えるとは……
「……」
西島 馨は無言のままで、その視線がそのまま、粋がる小娘……
蛍の身体を下から上にゆっくりスライドする。
「だ……だから……なんなんです……か?」
動物的本能で危険を察知したのだろう、流石の蛍の声にも戸惑いの色が見えた。
「折山……この女、たしか賞金首だよなぁ?ええ、どうだ?確か極道者の間で……」
「…………」
俺は答えない。
いや、応えられない。
「ふん……ああ、確か六神道の永伏さんとかいったか?アンタが依頼したんだよなぁぁっ!」
そして俺に反応が無いならばと、少し離れた場所で固唾を呑んで見守る六神道の面々の方へ頭だけ向け、これ見よがしに大声を上げた。
「ぐ!?……いや……それは……もう……」
他の六神道の冷たい視線を一身に浴びながら、今は大木の根元でへたっている男は焦ってそれを取り消そうとするが……
「永伏さんよぉ?永伏 剛士さんよぉっ!!極道ってのは金で大概の事は請け負うがなぁ?一度受けた依頼は簡単に尻捲れねぇんだよっ!」
ドスの効いた声、そして冗談を許さない鋭すぎる眼光……
西島 馨は既に”この件”で譲る気はないようだ。
「ま、待てって……金は払う、だがもうその女は……」
そして慌ててそう取り繕う永伏 剛士。
六神道の失態、いや、永伏 剛士の失態を嫌と言うほど思い知った男は、これ以上見苦しい事に手を染めるのは遠慮したいと、焦った顔に書いてある。
「折山ぁ、その女をそのまま事務所に連れて来い、それで”今日の件”は帳消しにしてやる」
西島 馨は再び俺に顔を向けてそう命令した。
「…………」
――俺は……
――くっ……
「お?おうっ!!西島ぁぁっ!てめえ俺がもう終わりだと言ってんのが……」
ガスゥゥ!
「なっ!?」
「っ!?」
半ば無視され、そう言いかけた永伏 剛士だけじゃない!他の六神道の面々も……
この状況に、俺の傍で固まっていた蛍さえも……
目を見開いて言葉を無くす!!
「が……はっ!」
それは俺の腹に――
鳩尾に……
なんの前触れも無く、正面の男から放たれた雑な前蹴りが突き刺さっていたからだった。
「言ってんだろうが?尻捲れねぇってな。吐いた唾飲むような出来た人間が極道なんて塵屑やってるわけねぇだろうが!」
ズシャ……
そして俺は、そのまま”くの字”に折れて地面に片膝を着いた。
――重い……
――これだ……これが……
「朔太郎くんっ!!って!!なに?なに?……い、いやっ!」
「まぁまぁ、姉ちゃんも……落ち着いて、こっちこっち」
直ぐに俺を気遣って近寄る蛍を、今度は森永が珍しく優しい声で俺の傍からどかせようと誘導していた。
「な、なによ!朔太郎くんになにをするつもりなの!わたしは絶対……」
華奢な手足を目一杯使って抵抗する蛍。
「うぉ!?この小娘っ!人が下手に出てりゃ調子に……いてっ!いててっ!」
押さえつけようとする森永を振り払おうと、蛍の手が何度も森永の顔や頭を叩き、トレードマークのサングラスがあらぬ方向へズレて苦戦する小太り男。
「もういい、蛍……お前は下がれ」
「え?でも……朔太郎くん、このままじゃ……」
俺はなおも食い下がる蛍に頷いて促す。
――大丈夫だと
――”なんとか”すると
「おら!大人しくしろ……たく、最近の女子高生は乱暴だな……」
「……」
そして彼女の瞳は……
”本当に本当よね!”と念を押しているように揺れた後、頷いて渋々と後ろに下がった。
「折山、お前がその女捕らえて連れて来い。二度と世間に出られない様にって事だったからな……組の奴等に散々輪姦させてから泡にでも沈めるか?」
「勘弁してください、馨さん……俺は……従えません」
俺は地面に片膝をついたまま、目前の男を……
極道が恐れる極道を見上げて拒否をする。
「…………」
しかし西島 馨は、その俺の応えに無言で……
変わらぬ眼光で俺を見据えていた。
「お、おい……朔っ……」
そんな状況に、舎弟の森永がオロオロと視線を馨さんと俺に忙しなく移動させるのみで……
「……」
「……」
俺と西島 馨はお互いを凝視していた。
――凄むでも無い
――怒鳴り合うでも無い
「……」
「……」
ただ無言でお互いを認識し合うだけ……
「折山……今、何時だ」
「…………?」
そして暫く後に放たれた、西島 馨の意味不明の言葉。
「時間だよ、時間」
「…………れ、零時……五分……です」
旧校舎に設置されたアナログ時計の針は既に日付が更新されていた。
「なら、丁度だな。おっ始めるぞ」
「?」
――解らない
――なら?丁度?……何が……
ドガァァッ!
「くぉっ!!」
俺は再び西島 馨の前蹴りを喰らっていた!
但し、今度は俺が膝立ちだった事から顔面にもろに……
「さっ!?朔太郎くんっ!!」
一旦はその場から離れようとしていた少女の叫び声が響き、当の俺はそのまま仰け反って上半身が後ろに倒れ――
ガキィ!
――る前に……
俺は蹴りで伸びきった相手の足を両腕で掴み、そのまま肩の上に担いでから膝の上に掴んだ両腕を組んで乗せた!
「くっ!は……」
鼻血で詰まる呼吸のまま、相手の蹴り足を、膝を着いたままの俺は正面から肩に担いで、まるで橋が架かったような状態の蹴り足を逆関節に……
両手で膝を両脇から挟んで組んで――
バキィィィ!!
一気に引き下ろすっ!!
「お、折った!?」
遠巻きに様子を覗っていた六神道の中から波紫野 剣らしき声が響くが……
――いや、折れてはいない
寸前で引き抜かれた……が!
ダッ!
俺は肩から引き抜かれた相手の足が再び地面を踏む前に、
膝立ちのつま先で地を蹴って相手の懐に潜り込む!
――折れてはいない
――いないが……使い物にならなくはなったはずだっ!
片足立ちの悪バランスの相手に詰め寄って、俺は得意の頭突きを相手の顎先に向け……
「っ!」
一気に伸び上がる!
「……」
ガコォォーーーー!!
「がっ!?……ぐはっ!」
火花が散って目の前が暗転する!
ドサリッ
そして、地に伏していたのは俺の方だった。
「ガキが……捨て身なら最後まで通せ、半端が」
相手は……西島 馨は立ったまま……
ポケットに再び手を突っ込んだままで、足下の俺を見下ろしていたのだった。
第56T話「卵の殻」前編 END




