嬰美と破魔の剣 前編 ”嬰美ルート”
第55E話「嬰美と破魔の剣」前編
カラーーンカラーーン
一日の終了を告げる鐘が鳴り、
「…………」
俺は同時に席を立つ。
「あぁ、そうだ!そうそう!田中さーん、この間約束したデートの事だけどぉ……」
立ち上がった俺と不意に目の合った前席の軽薄そうな男は――
いったい誰に説明しているのか?わざとらしく理由を述べながら俺とは接点の欠片も無いクラスの女子の方へと足早に去って行く。
「………………ふん」
ガララッ
例の一件から、あからさまに俺を避ける波紫野 剣にそれほど興味があるわけで無し。
俺は特に気にすることも無く、そのまま薄い鞄を担いで教室を出た。
スタスタ……
月日が経つのは速いもので、あの闘いから二週間という時間が流れていた。
「ふぅ……」
歩きながら軽く溜息を吐く。
俺が未だにこの場違いな学園に居る理由、それは……
高校へ行けと西島 馨から受けた命令が未だ取り消されていないから。
ただ、それだけ……
ではなくて――
いやそれとは寧ろ逆というか……
俺を取り巻く環境が俺の意思とは関係の無いところで激変したというか……
「……ちっ」
――つまり俺は、色々と納得がいっていない状況だった
「……」
何故そうなったのか?
俺は”なに”に納得できなく、”なに”に対してこうも苛立っているのか?
ギィィーー
ガッチャン!
耳障りな金属音を響かせ、二メートル程の重厚な観音扉を開いて中に入る。
――
「…………こんな手紙を寄越すってことは、今日は納得いく答えを聞かせて貰えるんだろうな」
そこに入るなり俺はドスの利いた低い声で問いかけていた。
――そうだ……
今日俺は、その納得の出来ない状況を、苛立ちの原因を回収に来たのだ。
――
扉を開いた中はだだっ広い板の間。
二面もあるバスケットコートを横切って、その先の正面には一段高い舞台と校章の入ったご大層な演説机。
そしてその後ろの壁には誇らしくお国の旗が飾られている。
つまり此所は……
天都原学園の体育館だった。
――そこには
俺と――
少し離れた壁際に正座する、胴着姿の凜とした女の二人のみが存在する……
高い天井、遠い四方壁と人口に対して広すぎる……そんな伽藍堂な空間だった。
――
「……」
上下が清潔な白い道着――
袴姿の美少女は背筋が伸びた美しい姿勢で正座し、まるで瞑想しているかのように静かに瞳を閉じたまま微動だにしない。
「他人を呼び出しておいて無視か?波紫野 嬰……」
そこまで言いかけたところで、その女の瞼が静かにそっと開く。
「……」
美しくゆったりとした黒髪を簡素に纏めてアップにした髪型。
白い剣道着姿で正座した彼女の前には竹刀が二振り平行に並べて置かれていた。
「……」
白い肌、紅い唇……
こうして黙って座っていると、その女はまさしく和の芸術品、紛うこと無き大和撫子だ。
「折山 朔太郎……竹刀を取って構えなさい」
俺の質問を全く気に留めることも無く、女は髪の毛一本さえも揺らがない所作で手前の竹刀を右手に取って立ち上がる。
「…………」
俺はその女の……波紫野 嬰美に対し、入り口付近から一歩も動かず睨んでいた。
「悪いけれど、今回は私の流儀に付き合って貰うわ。ルールは剣道、勝敗はどちらかが負けを認めるか動けなくなるまで……」
苛立ちで、ともすれば殺気満々でここに来た俺であったが……
一方的に呼び出しておいて、なんの脈絡も無く自己中心的に話を進める相手に、今の俺は呆れが勝っていた。
「はぁ……なに言っているんだ、お前?」
「防具が必要なら準備室に男子部の予備があるからそれを……」
「だからっ!俺は理由を聞きに来たんだよっ!解ってんだろうが!」
遂に我慢できなくなって俺は怒鳴っていた。
ダンッ!ダンッ!ダンッ!
そしてドアを閉めることも無く、土足のまま足早に女へと迫り、直ぐ至近で睨み付ける。
「意味分かるよなぁ?あ?お前の仕業だろうがっ!俺を……」
グイッ!
「っ!?」
白い道着の胸ぐらを掴まんばかりの剣幕の俺を、竹刀を握った彼女の白い手が押しやる。
「ええ、私の仕業よ。お父様にお願いして……」
ここに来て初めて納得する返しを受けて俺はカッとなる!
「勝手に俺の借金返済して!俺を一世会から抜けさせたってかっ!何様のつもりだ!波紫野 嬰美っ!!六神道かなんか知らんがお前らは他人の人生を勝手に……」
「竹刀を拾いなさい」
「は!?」
「そして構えて!」
「くっ……このっ!」
俺は相当に頭に血が上っていた。
俺を無視して勝手に話しを進める女に対して!
そして……抑も俺の苛立ち、この場に来た大元の理由は今言った通りだ。
――こいつが勝手に……
――俺を……俺の人生に土足で……
グイッ!!
俺は彼女の道着の胸元を乱暴に鷲掴みし、そのまま……
「知りたいことがあるなら、この場で私と試合しなさい」
「だからなに言って……」
「納得いかないのなら、この場で剣を以て私を打ち倒して征しなさい!!そうすれば私は貴方の言うことをなんでも飲むわ!」
「っ!!」
鋭い瞳……
永らく裏世界で生きてきた俺でも希にしか見ない……
いや!”それ”とも違う、本質的に”それら”とは違う……
「……」
――俺が初めて出会う決意の籠もった瞳
「…………」
「…………」
――俺が?気圧されたのか?この嬰美に……
俺はそのままで、思わず動作を止めていたのだ。
――解らない……
だが!
「……ちっ」
僅かな時間の睨めっこの後、俺は無言で、しかし自主的に足元の竹刀を拾っていた。
――続いて靴と靴下も脱ぐ
「そう、それでいいのよ」
嬰美は白い顎を小さく動かし頷くと、俺の前から移動した。
ガラガラガラ――――
ガシャン!
重厚な金属製の扉。
生徒達が青春を謳歌する声が飛び交う校庭や校舎と、この異質な体育館を隔てる扉を閉じる。
――
「随分とそっちに都合の良いルールだな」
扉を閉め、再び此方に裸足の足を運ぶ相手に俺は言葉を投げる。
「嫌なら止めても結構よ。但しその時は事の真相は話さないし、貴方の望む事に答えることも無い」
ガシャ!ガシャ!
俺は足を開いて立ち、右手に持った竹刀を担いで何度も何度も自身の肩に打ちつけるという如何にもガラの悪い態度で歪んだ笑みを浮かべていた。
「所詮は金持ちのお嬢様か?普段は正論を吐いていても下々は金で買える商品って……なっ!」
そして俺は――そのまま斬りかかった!
遮二無二、苛立ちのままに!
「……」
その時見せた、彼女の悲しそうな瞳に気づくことなど微塵も無く……
ガッ!
ガシィィ!
バンッ!
そして一時間程だろうか……
いや、もしかしたらもっとか?
どちらにしても俺には――
「ぐ……はぁ……はぁ……」
それを気にするほどの余裕は無かった。
体育館の冷たい板の間に大の字に転がった俺は――
「はぁ……はぁ……」
顔から腕、腹……と、
上半身の至る所に赤く青く腫れ上がった傷を負い、汗にまみれてひっくり返っていた。
――もともと……適うはずなど無い
こっちは素人で、相手は全国一の剣士……
というより、学生とか社会人という基準にさえ収まらない相手だ。
抑も彼女の修めているのは剣道では無く剣術。
波紫野 嬰美はこの歳にして恐らくこの国で屈指の剣士だからだ。
「ぐ……くそっ!」
震える両手で竹刀を抱え、それを杖代わりに立ち上がろうとするが……
ガシャッ――バタン!
汗で滑ってそのまま床に舞い戻る。
イキがっておいて散々に打ちのめされ転がる男。
――なんとも無様なチンピラぶりだ
――
「驚いたわ、本当に……剣道で戦っても……”試合”という足枷の中でも……貴方はこんなに強いのね」
そう呟いて、薄らと汗をかいただけの無傷の黒髪剣道美少女は俺に歩み寄る。
「ぐっ!ぅぅ」
俺は立ち上がる。
馴れない竹刀を手に、なんとか立ち上がってそれを頭上に構える。
「やめておいた方がいいわ、幾ら竹刀での殴打とはいえ……これだけ打ちのめされては普通は……」
――普通?は?
普通って何だ?
立たなけりゃ殺られる、それだけだ。
――俺は”あの男”にそう教わった……ただそれだけだ
「……はぁ……はぁ」
そして震える切っ先を女に向ける。
「無理よ……もう」
「はぁ、はぁ……たしか……勝敗の条件は降参するか、どちらかが動けなくなるまでだったよなぁ?」
そして俺は嗤っていた。
そういうふうに仕込まれて来たからだ。
「朔太郎……あなたは……ほんとうに……」
嬰美の紅い唇から何故か切なそうな言葉が零れ、彼女は……
――スッ
静かに竹刀を下げた。
「なんだ?止めるのか?なら俺の勝ち……」
「ここから先は”貴方の流儀”でやりましょう」
――?
「おれ……の流儀?」
俺は一瞬……彼女がなにを言っているのか理解出来なかった。
けれど彼女は……
波紫野 嬰美は――
「そうよ、私はわたしの”剣術”で、貴方はあなたの”喧嘩”で……全てを決しましょう」
場違いにも見蕩れてしまうほどの、実に惚れ惚れする微笑みを浮かべてそう言ったのだった。
第55E話「嬰美と破魔の剣」前編 END




