雪の華
第02話「雪の華」
「は、はい、なんでしょう?」
――交渉ごとは機先を制するに限る!
これは俺の人生経験からの教訓だ。
何事もイニシアティブを取った方が後々までの選択肢を多く保持することが出来る
……はずだ、多分。
俺の思慮をよそに、少女は少し緊張気味でありながらも入部希望者の可能性に期待してだろう微笑んでいた。
――チッ
――なんだよ
途端に俺のことを自分たちの同類だと思って疑わない輩達から、先を越されたとばかりの舌打ちが聞こてくる。
――くだらねぇ、興味ないんだよ!
俺は心の中でつい、いつものフレーズを吐き捨てながら、目前の少女を改めて確認した。
「……」
大きめの潤んだ瞳は少し垂れぎみであり、そこから上目遣いに俺を伺う様子はなんとも男の保護的欲求がそそられる。
ちょこんとした可愛らしい鼻と、綻んだ桃の花のように淡い香りがしそうな優しい唇。
春の光を集めサラサラとゆれ輝く栗色の髪、毛先をカールさせたショートボブが愛らしい容姿によく似合っている。
誰の異論も挟む余地の無い美少女であろうが、どこか頼りなげな仕草と雰囲気から美女という表現よりも可愛らしい少女の印象が一際強い。
――けど、この娘の場合
寧ろそのイメージの方がずっと魅力的だよなぁ……
「!」
俺はそこまで考えて思い直した。
――いや、そう言うんじゃないから、ほんと!
心中で何故か言い訳をする俺。
「あの……」
少女は自身の顔を凝視したままの俺に怖ず怖ずと声をかける。
俺はその言葉で本来の目的を思い出して……
――確かに面影があるともいえる
改めて目前の美少女を見直した俺はそう感じていた。
「あ、あの……」
再度、不安げに彼女は声をかけてくる。
――
しかし、俺の脳細胞は只今別の考えで貸し切り状態であった。
「六花……」
それは自然と俺の口から零れた言葉だった。
「えっ、なに?」
「い、いや」
俺は慌てて口にした言葉を誤魔化す。
――くっ!イニシアティブは完全に失ってしまった
それどころか要らない事まで口走ってしまう迂闊な俺。
――ったく、容姿一つでこれだ
本当に女は怖いな。
俺は責任転嫁な愚痴を胸に、会話を続けることに……
――ドンッ
再び口を開こうとした時、少女の背後に一人の生徒が軽くぶつかってきた。
「きゃっ!」
ほんの軽い接触だったためか相手の生徒は気づかずに去って行ってしまう。
前方に気をとられていた彼女の手からは勧誘用であろう、ビラの束がパラパラと床の上に散乱した。
「あっ!あぁ」
慌ててしゃがんでそれを拾い集めようとする少女。
購買前で散乱したB5サイズの用紙はそれほど広範囲に散らばった訳ではないが、生徒達が混雑するこの場では直ぐに踏まれて揉みくちゃになってしまいそうであった。
――仕方ないな
相手が自分に注意を割いていたことから無関係を装うには多少の罪悪感を感じた俺は、本心では面倒臭いと感じながらも直ぐに彼女同様しゃがみこんでそれを手伝う。
「あ、ごめんね」
気づいた少女は作業を続けながらも困った表情で俺に微笑みかけてきた。
「……これで全部だ」
一生懸命ではあるが、アタフタとあまり捗っていない少女とは対照的に手際良くそれらを纏めて差し出す俺。
「あ……と、ありがとう」
「いや別に」
白い頬を軽く染めた少女は感心した様な瞳で俺を見ながらお礼を言った。
書類を落としたドジさとか、手際の悪さとか、多少の照れが入って恥ずかしそうに微笑みかける少女は、なかなかに愛らしい。
「名前なんていうんだ?」
「え?えっ?」
僅かな沈黙の後に放った俺の質問に大きめのつぶらな瞳をくるくると動揺させる少女。
「だから……なま」
――ズイッ!
しゃがんだままのお見合い状態で再度質問しようとする俺と動揺する少女。
その間に横合いから割り込む白い足!
「……」
俺から少女への視線を遮るなかなかの美脚だ。
「いい度胸ね。入学早々に上級生を校内ナンパなんて」
頭上からの声に俺は自身の視線をスライドさせ声の主を見上げた。
「見た顔だと思ったら、たしか折山……朔太郎ね」
そこには、腰まである艶やかな長い黒髪を揺らした色白の女、
如何にもな大和撫子が仁王立ちに立ちはだかっていた。
「……」
スラリとした女子にしては高めの身長。
薄いグレーのセーラー服にオパールグリーンのタイは、目前の少女と同じ二年生のカラーだ。
しかし何より俺が注目したのは一本芯の通った姿勢から漂う凜とした佇まいで、
それが只者で無い空気を醸し出す。
「……」
本能的に俺の背中辺りにピリリと緊張が走る。
――独特の緊張感
”なにか”やっているな、それも中々のものだ。
もはや条件反射ともいえる反応で、俺はしゃがんだ体制ながら四肢に神経を張り詰めた。
体勢は一ミリも変わっていないものの油断無く黒髪の女を見上げる。
「ふぅ」
その女はこれ見よがしにため息を吐いてみせる。
――しゅるり
そして背負っていた臙脂色で縦長のハードケースを肩から降ろした。
形状から剣道の竹刀袋と考えて間違いないだろう。
なるほど大和撫子の見た目に違わぬ純和風な部活だと……
「心配になって見に来てみれば案の定、変な輩に絡まれてるし……ホントに自覚しなさいよね、蛍。自分の魅力を……」
少女にそう文句を言いながら自身の前に持ってきたハードケースのジッパーを下ろす。
「……」
暫し、なにやら中身を吟味する女。
どうやらそこには二振りの長物が収まっているようだ。
一つ目は素振り用と思われる木刀。
二つ目はごくありふれた竹刀だ。
――
「なにしてんだ?あんた?」
俺は我慢しきれず思案顔の女に思わず声をかけた。
「見ればわかるでしょ?大切な友人にちょっかいを出そうとしている害虫駆除用の得物を吟味しているのよ」
「わかってたまるか!そんな理不尽!」
――マジかよ!
当然の如くに恐ろしいことを言う女だ。
「抑も迷うところか?普通、木刀は無いだろ、木刀は!」
「?」
――だからなんでそんな不思議そうな目でこっちを見る!常識無いのかこの女!
「エイミちゃん駄目だよ」
先ほどまで散らばった用紙を拾っていた少女、黒髪の女に”てる”と呼ばれた可憐な少女が物騒な友人を諫めた。
――ふう……だよな
俺は胸をなで下ろす。
「それ買ったばかりだって言ってたでしょ、血液ってなかなか落ちないよ?」
「そこか!汚れが気になるお年頃かっ!!」
――マジか!マジなのか?
この学園では殴打事件は日常茶飯事なのか?
いや、俺が言うのも何だけどここは法治国家だ。
そんなわけあるはずが無い!
俺は一見、平和の象徴のような穏やかな容姿の少女を恨めしそうに睨んだのだった。
「ぁ……てへ!」
それに気づいた美少女はなにやら本日一番っぽい笑顔で切り返す。
――笑って誤魔化しやがった!
可愛いけりゃなんでも許されるのか?
「……」
だが憤慨する心中とは裏腹に笑顔の美少女に対して思わず口元が緩む俺……
俺が世の理不尽を再認識した瞬間である。
「仕方ないわね、折山 朔太郎。本来なら害虫の言葉なんて聞く義理はないのだけど、竹刀にしてあげるわ」
黒髪の女は心底残念そうな表情でスラリと竹刀を抜き放った。
「えっと……な、なんか、わるいな?」
なにやら我が儘を言ってしまった気がした俺は、理不尽な理由で俺を叩きのめす気満々の相手につい礼を言ってしまう。
――
「いや、違うだろ!暴力反対!暴力女!男女!」
遅ればせながら正気に戻った俺。
――っ!
そして俺が放ったその言葉に、エイミと呼ばれた黒髪の女の眉間が陰った。
「……なんだか聞き捨てならないワードが入ってた様な気がするけど」
「き、気のせいだろ?」
何となく逆鱗に触れたような気がした俺は弱々しく反論する。
「いいえ!確かに言ったわ”男女”って……それはこの、この私の体型が……ち、ちょっとだけ、ほんのチョコッとだけ平均には足らない胸とか……そんなことを指しているのかしら?」
「いっ!言ってない言って無い!」
「無い?胸が!!」
「いや、それは被害妄想すぎだろ!」
俺の言葉には耳を貸さず、鬼気迫る殺気を纏って正眼に竹刀を構える女。
「駄目だ。おい、えっとそこの少女、何とか言ってやってくれ」
目前の黒髪女には最早、言葉は通じないと判断した俺は、傍らにいるはずの”てる”という少女に助けを求めるも、
「清く正しい高校生活のためにぜひ、我が部で奉仕活動を行いましょう」
少女は何事もなかったようにビラ配りを再開していた。
――おーいお嬢さん!諦めるの早すぎっ!
「”てる”さんとやら!何とかしてくれよ!あの女、友達なんだろ?」
俺は恥も外聞も無く泣きそうな声で少女に縋る。
――あれだ、緊急事態だし、命の危険もありそうな勢いだ
情けなくないぞ俺。
「えっと……エイミちゃん、その話になると手の付けられない乱暴者になるから……」
「……」
俺は彼女の返答に暫し立ち尽くした。
――乱暴者になるから……
なるから……って他人事か!元々お前の関係者だろ!
なんか優しい笑みで誤魔化そうとしてるけど、けど……
「……」
――か、可愛い……じゃ無かった!!
「なるから……じゃねぇ!無関係装ってんじゃねぇよ!」
男ならではの葛藤の末に、非常に可愛らしい少女に怒鳴った俺はそこで……
――ゾクリ!
首元に不意に走る悪寒。
ブンッ!
背後から俺の首をなぎ払うかのような鋭い太刀が横一閃していた。
「うわっ!」
それを間一髪しゃがんで躱す!
俺の頭頂部の髪の毛が数本宙に舞っていた。
――おーー!
自然と出来上がっていた俺の周りの人だかり、そこからワッと歓声があがる。
「すごい!すごいよ!キミ!背中に目があるみたい!」
可愛らしい頬を上気させて無邪気に感心する”てる”という少女。
ブオン!
そんな周囲の状況にも俺はかまっている暇は無い!
慌てて振り向いた俺は、続いて大上段から肩口に斬りつけられる一撃を今度は仰け反って躱す。
シュバ!
空振りした切っ先がそのまま床ギリギリのところで弾かれたように跳ね上がる!
「うおっ!ツバメ返しだと?」
俺は体勢を崩していたが、仰け反ったまま後方に一回転することで追い打ちのその一撃をも躱していた。
尚且つ、その所作は相手から一旦距離をとって追撃に備えるという意味もある。
――おおおっ!!
ギャラリーから先ほどよりも大きな歓声が上がった。
「うわっ、バク転だ!生で始めてみたよ!」
興奮気味の少女が手に持ったビラの束は、彼女の豊かな胸の前でギュッと抱きしめられて軽く変形していた。
――うらやまし……じゃなかった!
「お、お嬢さん!てるさん?お願いです!助けてください!」
洒落にならない状況……
今の俺は目前の黒髪剣道女を警戒しながらも、すっかり他人事で観戦に夢中なお嬢様に必死で助けを求めるしか手が無かった。
第02話「雪の華」END