ウソっぽいんだよ！
第11話「ウソっぽいんだよ！」
「よう、早かったじゃねぇか」
「馨さん……」
暫く裏路地で身体を冷ました後、俺が店舗の控え室に戻ったときには……
さっきまで森永が偉そうにくつろいでいた応接セットに腰掛けていたのは、西島 馨という男だった。
――”一世会、哀葉組若頭、西島 馨”
痩けた面長な輪郭に鋭く光る刃物のような眼光、そしていつも不機嫌そうな、への字に固定された薄い唇が特徴の男。
一世会からこの辺り一帯を取り仕切ることを任され、この業界でも特に武闘派として名を馳せているヤクザだ。
「……」
そして先ほどまで偉そうにしていた森永はというと、
兄貴分である西島の隣に畏まって突っ立っていた。
「相手はボクサーだったんだろ？」
「いえ、ボクサー崩れですよ」
俺は"ふん”と満足そうに鼻を鳴らす西島 馨に平然と答える。
西島 馨という男がこんな風に笑みを浮かべるのは……なかなかに珍しい。
――そうか、今日は集金の日か
俺は西島の早めの時間に来訪した理由に思い当たり、心中で小さく納得していた。
「朔！精算はしたんだろうな！」
俺が少しばかり考えていると、西島の横に控えた小太り男が乱暴な口調で割り込んでくる。
「はい、森永さん。どれくらい精算すれば良いのか俺には分からなかったので、とりあえず……」
そう答えて森永の前に革製の草臥れた長財布を取り出した。
「おう！」
森永はチラリと西島 馨の方を伺いながらそれを俺から受け取る。
「じゃあ、俺は。後始末をしてきますので……」
「いや、いい。それは軽部と小池にでもさせとけ。折山、お前は今日はもうあがれ」
西島 馨は後処理に赴こうとした俺を呼び止めて、そう指示すると立ち上がった。
「……」
受けて俺も無言で頷く。
俺の”勤労以外のやる事”……
寝る事とあと一つ……
西島 馨の”あがれ”は”それ”を意味していた。
――
――ガチャ
俺は直ぐにロッカールームへと向かい、自身のロッカーを開いて学園の制服を取り出す。
「……」
ロッカールーム……
俺が唯一、我が儘を言って使わせてもらっている設備だ。
本来なら、俺なんかは事務所のその辺で着替えるのが当然だが、
俺は西島 馨にそれを頼み込んだ過去がある。
理由は……まあ言わずもがなだが。
俺の胸の傷……いや、胸だけじゃ無い、
服を着ていると見えないところにある無数の古傷。
普段、世間からわかりにくいところに刻まれた傷は、簡単に言ってしまえば虐待の後だ。
満足に抵抗できない子供の時に刻まれた傷……
信じていた者に刻まれた傷……
未だにそれを他人に見られたく無いのは何故だろう？
――こんなに拒否反応が出るのは？
傷跡が酷すぎて気持ち悪がられるから
無力なかつての自分を思い知らされるから
かわいそうねって無責任な同情されるから
他人に……両親を悪く言われるから？
――いや、最後は無いな
そして後はどれも正解だろう。
ちっぽけなプライド。
――くだらねぇ
ガサッ
「！」
乾いた音がして、俺のロッカーの奥から床に何かがヒラリと舞い落ちた。
――これは？ああ、入学式の時の……
すぐに俺はそれが何かを思い出した。
もうかれこれ二ヶ月以上前の事だ。
入学式の日に出会った少女、彼女が落とした勧誘のビラを一枚だけ密かにくすねた俺は、その夜のバイト先であったこの場所に放り込んで忘れてしまっていたのだった。
「……」
同時にその少女、守居 蛍の人なつっこい笑顔が頭を過る。
「…………だから、ウソっぽいんだよ」
俺はおもむろにそれを拾い上げていた。
”蛍雪の会へようこそ！”
部活勧誘のビラにはそう書かれていた。
「蛍雪……ね」
――”蛍雪”
かつて晋の車胤は家が貧しく、灯油が買えなかったので蛍をたくさん集め、その光で勉学に励んだという。
また孫康と言う人物も、雪を集めてその光で勉学を極め、後に二人は政府の高官にまで出世したという。
まぁまぁ有名な故事だ。
確かに苦労して勉学に励んで、後に功を為すという意味の、学生のクラブ活動にはふさわしい名前ではある。
「……」
しかし何故だか本来の意味である”蛍雪”とは別のイメージが俺の頭には残っていた。
”ほたる”と”ゆき”
――その何れもが脆く儚げな……
"蛍”と”六の花”
「蛍雪」
俺はもう一度だけ、冷めた瞳でその文字を追って呟いていた。
――
―
――再びBar”ＳＥＰＩＡ”の路地裏
「おい、これって一昨年までライト級日本チャンピオンだった……尾崎じゃね？」
「マジか！あの尾崎 大河か？うわぁ、こええな、折山」
森永の指示を受けた二人の男、軽部と小池が店の裏手で見たのは――
大の字に横たわる男の姿。
「よっと！あのガキ、折山のことだけどよ……」
「とっ！あ？なんだ？」
倒れている男を二人がかりで担ぎ上げながら無駄話を始める二人。
「七年前に……なんて言ったか？関西の何とかって言う闇金屋から買ったんだろ？」
「千田だよ、千田。闇金の中でも特にたちが悪い奴らしいけどな」
軽部と小池は完全に意識のない男を裏通りの奥の方まで運びながら会話を続ける。
「たしか親が騙されて、えらい借金を作った上に飛んじまったらしいな」
「それであのガキが借金の形に？時代劇かよっ！」
軽部の情報にゲラゲラと下品に笑う小池。
「詳しい経緯までは知らんが、西島さんがそう判断したらしいぜ」
小池の言葉に軽部が薄ら笑いを浮かべながら続けた。
「それで、あの歳でこんな仕事をしてんのか？それって西島さんの子飼いって事か？」
「子飼い？そんな上等なご身分かよ……体の良いオモチャだろうな」
「おもちゃ？」
「十歳にもならないガキの頃から結構やばいヤマを手伝わせたりしてるみたいだけどな、機嫌の悪いときはいつもサンドバッグだし……」
「マジかよ！？西島さん、機嫌の良いときって殆ど無いだろ？」
小池が顔をしかめて自分たちの兄貴分を思い浮かべる。
「……まぁ、機嫌の良いときでも結構サンドバッグだけどな？」
「ぷっ！くはははっ！」
下品な笑みを浮かべながら”くだらない”言い回しで落ちをつける軽部と、なにがそこまで可笑しいのか、同様に下品な顔で声を出して笑う小池の二人組。
ーードサッ
裏通りの路地、その更に奥まった場所に投げ捨てられる意識のない男。
「西島さんの……恐ろしいな」
ひと仕事終え、再び小池がぼそりと呟いた。
「……ん？あぁ、ほんと怖い人だよ」
路地の奥に移動させられた意識のない男の傍らで、愛用のタバコに火を付けながら軽部が同意する。
「いや、折山だよ……あのひとに日常的にド突き回されながら、未だに生きてる！」
意図が違うとばかりに頭を軽く振り、小池は同様にタバコを懐から出した。
「……まったくだな」
二人は冗談とも本気ともとれる表情で折山 朔太郎の経歴を肴に会話を続けていた。
ザザザッ
ザザッ
暫くして、闇の中から数人の小汚い男達が現れる。
「おう、いつも通り適当なところに運んどけ！その代わりコイツの所持品は好きにしていいぞ」
軽部の見下した言葉にコクコクと頷く男達。
！！
！？
ジメジメとした暗闇の中、未だ意識の戻らない哀れな男にて……
目だけが爛々と光った有象無象が、まるで死骸にたかる蟻のように群がっていった。
第11話「ウソっぽいんだよ！」END
