裏世界のひとびと 後編
第09話「裏世界のひとびと」後編
――っ!?
思わずビクリと反応する巨体。
あくまで学園の代表として冷静に対応した御端 來斗。
無礼な来訪者にくってかかった波紫野 嬰美と彼女の押さえ役に徹した波紫野 剣。
この場の面子でそれぞれが、そのキャラクターとも言える個性を見せる中、唯一人……岩家 禮雄だけがそれを黙って傍観しているという、彼のキャラクターに無い行動に甘んじていた。
本来なら岩家 禮雄という男の直情的な性格から来る気の短さは波紫野 嬰美の比ではない。
現に最初の永伏の言葉には波紫野 嬰美と同様で不快感を露にしていた。
それであるのに、この場で彼一人、これといってリアクションが無かったのは確かに不自然極まりないといえる。
「な、なんですか?永伏さん……俺になにか?」
応える岩家の声はわずかに上ずっていた。
「……」
永伏は無言で間を詰める。
「だから、なんですか……ながふ……」
ドスッ!
ほんの数十センチの距離まで近づいた直後、永伏の右拳が何の予告も無く岩家の腹筋に突き刺さっていた。
「が、がはっ……な、なにをする!?」
いきなりの腹への殴打に、さすがに頭に血が上る岩家。
傍目にはかなりの打撃のように見えたが……
岩家の鍛えられた屈強な腹筋には決定的なダメージは無いようだ。
「ふっ」
岩家の腹部に、縦に握った拳を宛てたままニヤリと笑う永伏。
ボクシングなどと違い縦に握った拳は、この国の古武術特有の拳の使い方である。
「き、きさまーーー!」
これでは如何に今日は妙に大人しい岩家でも!
ここまで無法極まりない相手では、さすがに岩家 禮雄なる猛獣が我慢できるはずも無かった。
ガバァァッ!
一気に沸騰した野獣は丸太のような両腕を振り上げて、至近距離の男の胸ぐらと襟足の部分を乱暴に掴んで相手のジャケットごと締め上げる!!
「おらぁぁーーー!」
ここから投げに持って行くのが彼の修めた武術の常道であろうが、岩家の常識外れの膂力ならば生半可な相手ならこれだけでも窒息して失神モノだ。
――――――ガコォォォッ!!
「っ!?」
巨獣に完全に捕らえられたヒョロリとした男は、
その窮屈な体勢から、人間離れした相手の分厚い腹筋に宛がっただけの縦拳を――
”真っ直ぐ”に押し込んでいた!
「が……はっ!」
反動も何もない。
数センチの距離から”ただ押し出されただけ”の拳。
「ぐ……ばぁぁ」
しかし巨獣の四角い顔面は醜くゆがみ、血走った眼球が見開かれていた!
ビリリィィーー
そして――
ドサッ!
相手の上着を引き千切りながら垂直に崩れ落ちる巨体がそこにあった。
――
永伏のジャケットだった端切れを握ったまま崩れ落ちた巨獣。
ある意味、この状況でも握りを解かない岩家 禮雄の両手の握力は驚異といえる。
「ぐはっ……はっはっ……ぐぅぅ……」
両の膝で立って、辛うじて体制を維持するが……
その姿はまるで神に許しを請う信徒のようだ。
「はぁ……はぁ……」
顎を上げ、酸素を求めて鯉のように口をぱくぱくさせる岩家は、言葉どころか呼吸もままならない状態で苦しそうに呻く。
「ふふん」
永伏 剛士は、持って生まれた常識外れの巨体から普段他人を見下ろすことしかないであろう無様な大男を見下ろしながら心底、愉しそうに嗤っていた。
「雁鐘……」
波紫野 嬰美が呟いた。
「いわゆる寸打だね。だけど岩ちゃんのデタラメなマッチョボディを貫くなんて……相変わらず凄まじいですね、永伏さんの雁鐘という業は」
波紫野 剣がなぜか楽しげに解説する。
「いーわーいーえー」
そして永伏が上機嫌で膝立ちの巨漢に追い打ちをかけようとしたその矢先――
ガシ!
その永伏の肩を掴んで制止させるブロンド髪の美少年。
「説明をお願いしますよ、永伏さん」
いつの間にか立ち上がり、傍若無人な男の背後に立っていたのは金髪、碧眼の美少年だった。
「ああ?」
永伏は首だけ振り返った状態でギラついた眼を美少年の澄んだ碧眼にぶつけた。
「……」
「……」
永伏 剛士の凶悪な眼光はまるで御端 來斗を射殺そうとでもしているかの様だ。
対して表情は平静そのものだが決して友好的とは言いがたい雰囲気を纏うブロンド髪の美少年、御端 來斗。
一触即発……
――
「なーんだ?もう終わりかぁー」
ピリピリと張り詰める空気の中で緊張感の無い、唯々残念そうな声を上げたのは波紫野 剣だった。
「剣!?」
軽いノリで、ふざけた、まるで空気を読まない弟に姉の嬰美が思わず声を荒げる。
「だって終わりでしょ?いろんな意味で……ねぇ、永伏さん」
ニコニコと意味深に笑う波紫野 剣。
「…………別に……終わりじゃねぇよ……ちっ!」
暫く間を置いてから永伏は、一転、不機嫌に吐き捨てると不貞不貞しい態度で戦闘態勢を解いた。
そのやりようは、飽くまで自分から止めたのだと誇示しているようだ。
パシッ!
次いで、自身の右肩に掛かった御端 來斗の右手を鬱陶しげに払いのけた。
「まあいい、話してやる……そうすりゃ、てめえらの暢気な頭もまともに働くだろうよ!」
「はは」
”最初からそうすれば良いのにねぇ”とばかりに、呆れ顔で笑ってあからさまに目配せをする波紫野 剣。
「……」
そして、これ以上ややこしいことになるのはご免だとばかりに、人一倍に空気を読めるくせに、あえてそれをしない弟の悪ふざけを見なかったことにして流す波紫野 嬰美と、
「……」
黙ったままの御端 來斗は、大人しく永伏 剛士の話を聞くようだった。
第09話「裏社会のひとびと」後編 END




