2話 酒と煙草と異世界と邂逅
第二話です。
酔って寝潰れていたあの場所から、時間にしておよそ20分ほど歩いたであろう。
前を歩くカタリナに先導されるまま歩くと、突如視界から木々がなくなり、開けた土地と人工物が見える様になった。
そうか、ここがそうなのか。
「ようこそ、ジャック。ここが我々オーク族の集落よ」
カタリナが手で指し示しながら、ニコリと微笑む。
ざっと見たところ、動物避けであろう簡単な木製の柵に囲まれた、十数件程度の家が並ぶ集落といった印象だ。
家々は木を組んで作った柱の上に作る、高床式。しかも梯子で上り下りする様だ。壁なども木でできているが、屋根は木の葉や枝を組み合わせた物の様だ。俺がこの世界に来た直前にも雨が降っていた様だし、きっとそのために床を高くしたのだろう。恐らく、この土地は雨が多いのだろうな。
地面は踏み固められ、人の通りが多いことを感じさせる。
「さあ、いらっしゃい。この時間なら皆狩りや畑に行ってるけど、長ならいるわ」
「分かった」
柵の一部をどけるカタリナの招きに従い、集落へと入る。
しかしそうか。人の……オークの姿を見ないと思ったら、単に仕事で不在なのか。
まあ、それもそうだろう。むしろ、俺みたいに酒に酔って地面で寝て、太陽が昇ってから救助されるなんてのがおかしいんだ。
「そういえば、畑で何作ってるんだ?」
長の家まで歩く途中、ふと気になったことを訊ねてみる。
「ああ、ロータを育てているのよ」
「ロータ?……知らないな、後で見せてくれ」
「ああ、アナタはこの土地の人じゃないから、ロータを知らなくてもおかしくないものね。良いわ、長に会った後、畑へ連れて行ってあげるわね」
「ありがとうな」
約束をして、また道を歩く。
とは言え、そう大きくもない集落であり、すぐに目的地には着いた。
「ここが長の家よ。ちょっと待ってなさい。長にアナタの事を説明してくるわ」
「ああ、分かった」
長の家に入っていく彼女を見送り、手持無沙汰になる。
とりあえずポケットから煙草の箱を取り出して、中身を確認すると残りは16本程度。
異世界に煙草が売ってるか分からないし、仮に売っていたとしてもどこで売っているのかも分からない。
最悪、この16本が最後の、俺の人生で最後の煙草となってしまうかもしれない。
ふと、頭をよぎるのは昨日飲み干してしまった、愛しのジャックくん。
彼にももう、出会うことはない。
そう考えると、普通に辛くて辛くてたまらない。
「……今は吸わないでおこう」
煙草の箱をポケットに仕舞い、自分自身に誓う。
この16本は、大事に、大切に吸おうと。
真面目に煙草かそれに近い植物はないだろうか……。
いや、むしろこの世界に紙巻き煙草よ売っててくれ……!
この世界の通貨を持ってないけど……!!
などと差し迫った問題について考えていると、
「ジャック、長が会ってくださるそうよ。こっちに来なさい」
「おぉ、分かった」
長の家から姿を現したカタリナが、声をかけてくれた。
それに手を振って応え、梯子を登り、扉へと足を向ける。
さて、オーク族の長とやらは、どんな人物なのだろうか。
煙草を持っているならば、そして持っているならば譲ってくれると、非常に嬉しいのだが。
扉に近付くと、カタリナがスッと開けてくれる。
礼を言うと、小声で「……粗相はしないで。そして……気をつけなさい」とだけ言われる。
それに口の端だけを上げた笑みで応え、中に入る。
そこは板敷に板壁で出来た部屋で、上がり框がない所を見るに、どうやら土足のままでも構わないようだ。
というか、床に土の跡がある時点で察せられるといったとこだろう。
部屋の中央には囲炉裏があり、パチパチと音を立てながら、火がゆるりと焚かれている。
そして、その囲炉裏の向こうに、長は座布団に座して待っていた。
身長は、見たところはやや高い程度。立てば俺と同じ、175cm程だろうか。
年月を経たであろう、色の抜けた長い白髪。皺の刻まれた褐色の肌に、カタリナと同じく横に長い耳。
衣服は毛皮の貫頭衣なのも同じだが、飾り紐があちこちにあしらわれており、身分の高さをうかがわせる。
「ふむぅ……貴様が、カタリナが森で見つけたという、トールマンの若造か」
「若造って……」
開口一番の言葉に、思わず苦笑いになる。
いや、実際俺はまだ26歳だし、この爺さんからしたら若造だろう。
だが、初対面で若造とは……。
「まあ、そこに突っ立てるのもなんじゃ。そこに座れ若造」
「……じゃあまあ、遠慮なく」
指さされた囲炉裏の対面に、胡坐をかいて座る。
「若造……名は?」
「『ジャック・ダニエル』。カタリナから聞かなかったか?」
見た目相応にしわがれた声での問いに、肩を竦めながら、そしてできるだけ人好きのする笑顔を作って、返答をする。
「違う……そっちではない。本当の名はなんだと、聞いているんじゃ」
しかし、帰って来た言葉は、本名を問うものだった。
俺達は初対面だし、そもそも文化が違うはずだから、偽名だと確信があるわけがない。
なのに、本名を問われるということは、まあ最初から疑われているという事なのだろう。
それが何に対する疑いなのかは、現状は分からないが。
「……今は『ジャック・ダニエル』だ。それで良いだろう?」
だから、俺の返答はこうだ。
そもそも、世界が違うのだから本名を名乗る必要もない。
偽名を名乗る必要もないが、まあ気分と習慣の問題だ。
「……それで良し……と言っても良いが、貴様からは嘘の臭いが染みつき、漂うておる……」
「じゃあ、『ワイルド・ターキー』に『ブラック・ニッカ』、『マルス・エクストラ』。何でも好きに呼んでくれ」
人好きのする笑顔のまま、しかしやや口の端だけを歪めて笑いながら、適当に羅列する。
本名を名乗る不都合は、この世界ではないというのに、この口が勝手に動いてくれる。
これだから、染みついた習慣ってのは困る。
「……その軽薄な笑み。それこそ嘘吐きの笑みよの……」
「……分かった、降参だ。実のところ、本名なんて覚えてないんだ。あんたが言う所の、嘘を吐きすぎてな」
わざとらしくため息をつき、両手を上げて降参のポーズをとる。
勿論、本名を覚えていないのは嘘だ。
まあ、実際覚えてはいるが、本名を名乗ったのなんて、コンビニでポイントカードを作ったのが最後だったと思う。しかもそれも、3年は前の話しだ。
「……そうか」
それだけ聞くと、長はため息をつき、囲炉裏の薪を火かき棒で崩し、数秒間を作る。
「……まあ、それで良かろう。もし、森で野垂れ死なれても気分が悪いしのぅ。……家畜小屋の隅で良ければ、寝泊まりすると良い」
「ありがたい。感謝する」
床に手を付き、頭を下げる。
一見扱いが悪いようにも見えるが、これはこれで状況としては悪くない。
最悪、滞在の許可が出ないどころか、怪しいのでとりあえず殺そう。となってもおかしくない状況と身の上だ。
屋根と壁があって、雨風が凌げるなら、上々と言えるだろう。
「家畜小屋の場所は、カタリナに聞くと良い。……それと、この集落には働かない者を食わせる余裕はない。明日からでも働いてもらうから、そのつもりでおるのじゃぞ」
「ああ、分かった。食い扶持程度には、働かせてもらうさ」
これで話は終わったと、手をヒラヒラさせ退出を促される。
それに従い、もう一度頭を下げてから立ち上がり、背後の扉へと向かう。
扉の外にはカタリナが控えているだろうから、案内はすぐにしてもらえるだろう。
そう思いながら扉に手をかけると、背中から声が聞こえて来た。
「……名乗り忘れておったが、儂の名は『グレグソン』。……この集落の長をしている者じゃ」
振り向くと、目線をこちらではなく下に落とし、火かき棒で囲炉裏を掻きまわしている長。いや、グレグソンがいた。
ゆるり、と先ほどまでとは違う笑みに、自分の顔が動くのが分かる。
「…………どでかい迷子のジャックだ。……『ジャック・ダニエル』。今はそう名乗ってるし、そう呼んでくれ」
それだけ告げて、反応は聞かずに扉を開ける。
そこには予想通り、紫の長髪に褐色肌の美人が待っていてくれていた。
「ジャック、長は何て言っていた?」
「家畜小屋の隅なら住んで良いってのと、明日からは働け。だとさ」
「そう、なら早速家畜小屋に案内するわね」
そう言うと、軽やかに梯子も使わず、地面へとジャンプするカタリナ。
インドア派な俺は、堅実に梯子を下りて、後を追う。
これが狩猟民族との差か。などと思いながら、ふと、大事なことを忘れている事に気が付いた。
「なあ、カタリナ」
「何よ、ジャック?」
先を歩くカタリナに声をかけると、すぐにこちらを振り向いてくれる。
「これから、よろしく頼むな」
「ええ。こちらこそ、よろしく頼むわね」
微笑みながら返してくれる彼女。その瞳に映る自分を見て、先ほどから久しぶりに。随分と久しぶりに、作っていない笑顔になっていると、そう思った。