機械症候群
/ …〈零〉
季節は冬から春を目指していたが、まだそれには程遠い。
空は、灰色に染まっていた。
春というにはまだ遠く、冬というには物足りない。そんな微妙な季節だからだろうか。
だが雨は降りそうにない。ただ気だるさを増すだけだった。
そんな気だるい中、向かうのはもっと気だるくなりそうな場所だ。名称は『中央病院』。一般的には全面的に、一般患者も診ているように見せかけているが、裏では『機械症候群』という病気しか診ていない。その病気はきわめて特殊。だから病院も特殊で、限られた条件を満たす者しか入ることが許されない。
そしてこの都市はそういう病院が集まる医療のみが急激に発展した都市なのだ。
ただでさえ雰囲気が痛いような、空気が突き刺さるような街だ。
長居はしたくなかったが、このような病院に潜入し、患者と面会するのは一苦労になる。
「……俺とお前、俺の妹とお前。わざわざ見舞いにくるほど仲、良かったか?」
「今日はたまたまだ」
そんな時は入ることを許される人物の親近者となり潜入するのが得策と言える。
だから彼は待っていたのだ。その人物を。
かれこれ二週間。こんな居心地の悪い二週間は初めてだった。
院内に何の苦労もなく潜入した彼は、
「俺、別の用事があるから」
「……そんなことだろうと思ったぜ。行ってこい、バレるなよ」
人物の言葉を聞かず、彼は階段を素早く駆け上がり五階へ。
彼がここにわざわざ二週間待ってでも潜入しなくてはならなかった理由は、一通の手紙だった。
別に何の異変も異質さもない。至って普通の手紙。ただ違ったのは、その手紙が『仕事』の依頼だったことだろう。しかもこの病院の五階に入院している患者が依頼主だ。彼は『頼まれれば何でもやる』、『頼まれ屋』なのだ。依頼されれば殺しでも、仕事の手伝いでも、傭兵でも、盗みでもやる。
彼の右腕は、そういうことをするためにあるのだ。
だが彼が何でもやるといいながら、依頼を受けたり受けなかったりするのは、彼が人間だからとしか言いようがなかった。だが、もしも彼が何も教えられずここまで来て、何もわからずに『頼まれ屋』をやっていたとするならば、おそらく本当にどんな仕事でもやったのだろう。そうならなかったのは、彼が両親を失った後、必死に育て、教えてくれた存在があるからだった。
「―――ピアノ?」
静かで綺麗な旋律が、音を紡いでいた。
透き通るような音。歌声。誰が、弾いていて、誰が、うたっているのだろう。
一葉はふらふらと歩いていく。
その旋律に引き寄せられるように。
このときから、運命の歯車は狂いだしていた。その狂った狂曲に惹かれ、一葉はここに来たのだろう。
一葉は、広場でみた。
長らく見ていなかった、天使のような存在を。
(――綺麗)
だが確実に人間で、美しくて、そこにあるだけでマイナスオーラを放っていた。
そんな印象をもてる自分はまだ人間か、と思いながら聴く曲は耳に響いた。
まるで何かを洗い流してくれるかのような錯覚に襲われる。
このこびり付いた『汚物』だけはとれないはずなのに、それすらも洗い流していくような錯覚。
少女の演奏が終わるまで、その旋律がやむまで。
一葉はその『錯覚』に襲われ続けていた。
「――本当に、きてくれたんだ」
少女は酷く穏やかな声で呟いた。
大きなグランドピアノをうたわせていた少女はにこりと微笑む。
どこにも機械症候群らしき症例は見あたらないが、動きがなんとなくぎこちないところをみると、身体への変化は訪れているらしい。服で隠れてみえないだけか――。
「貴方が、『頼まれ屋』さんでしょう?」
少女は何処をみて、何を根拠にそう思ったのか。
一葉と出逢って数秒で一葉の職業を見抜いてしまった。
「………」
嘘だ、と一葉は思ったが、それを確認する術は何処にもない。ただ事実なのは、一葉は『頼まれ屋』で少女は一葉のことを知っているのだから、『依頼人』なのだろう。
「ここじゃ目立つわ。病室に行って話をしましょう」
少女は一葉の前を歩いていく。
一葉もすたすたと後をついていった。
その髪がゆらゆらうごめくのをみながら。
病室について、
「アンタか。俺にわざわざ手紙で依頼してきた、籠の中の姫君は」
一葉はぶっきらぼうに呟いた。
普通の人はこの態度で大抵機嫌を損ねるが、少女は違っていた。
「そうよ。わたし。わたしの名前は愧鳳蓮秋乃。呼び捨てで良い」
「………頼まれ屋の辰影一葉だ」
呼び方はなんでもかまわない。
一葉はそう吐き捨てるように呟くと、窓際に背中を寄せた。
「で。アンタの頼みってなんだ。手紙には依頼内容は全然かかれてないが」
ぴらぴらと片手に掲げるのは一枚の便せん。
この発展しすぎて取り返しのつかなくなった世界では、珍しすぎるものだった。
わざわざ文章にするまでもない。すぐに何処へでもいける、この世界ではそんな常識がある。
それを悲しいと思う人間はいなくても、それが便利だと感じる人間は多いのだ。
「わたし、外に出てみたい」
秋乃は窓をみつめ、言う。
「わたしね、一週間前の記憶って無いの。だから、過去が思い出せないの。外の景色、忘れちゃったもの、みたことないもの、全部みてみたい」
一葉が後からきいた話だが、秋乃は一週間経つと、それまでの記憶を忘れてしまうという機械症候群でもごく稀な、だが機械症候群特有の症例を発症させていた。
だがそれすら不満には思っていないのだろう。秋乃は言う。
「残り一週間って今日、お医者様に言われたわ。わたしの残りの期間、貴方と過ごしてみたいの」
叶わない夢だと諦めていたらしい。周囲の人々にも話せなかった。話せば笑われるのが目に見えていた。
そんな、異質な世界。
この病院がどれだけ警備が厳重で患者を逃がさないか、知っていたからこその判断。
だが余命宣告をされて、一週間の中で今、一番やりたいことは「みる」「感じる」「考える」という人間特有の個性。その「暇」「窮屈」「退屈」「無駄」な今までの人生を、切り払ってみたかった。
それが秋乃の願い。彼女の依頼内容。
一葉にはその気持ちがわからない。わかるわけもないのだ。
だが『機械症候群』の被害者である事実は、変わらなかった。秋乃の自由が奪われて良い理由は何処にもなかった。あるわけもなかった。だからこそ一葉は。
「……わかった」
承諾したのだろう。
その決断は。選択は。
彼の今後を大きく左右する、決断だったとは知らずに。
だが知っていても同じ決断をしたのだろう。
結局は―――。
「秋乃、もういけるのか」
「……準備はできているけど、抜け出すにはまだ早いと思う」
空はまだ夕焼けにもなっていない。
昼のままだった。一葉が乗り込んで一時間と経っていない。太陽はまだまだ照らし続けていた。
明るい空の下で逃走をするのは好ましくない事実だ。だが、そういう事実もやってみれば面白いことを、一葉は知っていた。無謀と無茶と、言われても。成功する時は成功するのだと、教わったから。
「問題無い」
一葉は呟いて、窓をあけた。
「え、えと、一葉くん……?」
何をするのかわからない秋乃に対し、一葉は何でもないことのように言った。
「飛び降りる」
反論を言おうとした秋乃の身体を強引に抱きかかえ、その窓から、一葉は台詞通り飛び降りた。
嘘でしょ―――。
絶句する秋乃。秋乃からみえる、一葉の無表情な顔からは、何も伺えなかった。
ただ、一葉はその五階の高さから飛び降りた。
「――っ」
着地に一瞬、衝撃が一葉の身体を駆けめぐったが、これといって支障はない。
あるとすれば、通行人が驚愕に目を見開き、警備員がこれに気付いたことだ。
思い切り目立ってしまったが、それにかまわず一葉は続けて走り出した。
「ちょ、え、貴方、人間ですよねっ?」
ありえないスピード。ありえない跳躍。ありえない着地。そしてあり得ない思考を持ち合わせていた、一葉に対し、人間なのか疑問視した秋乃は、訪ねたが、返答は帰って来なかった。
ぷう、と頬をふくらませ、機嫌を損ねる秋乃を連れて、一線も交えることなく一葉は街の外に止めてあった戦車へと乗り込んだ。背後から、おそらく病院のものであろう戦車が何台も走ってくる。
それに焦ることなく、一葉は戦車を緊急発進させた。
「きゃんっ」
体感速度が物凄く、体験したことがなかったのか秋乃が声をあげ、怖いというのかと思った一葉だが、秋乃は逆に笑顔で、まるで楽しんでいるふうであった。
これも、『みたい』ものに入っているとでも言うのだろうか。
しばらく走行して、追っ手を巻いたところで、戦車は停車した。
「どうかしたんですか?」
「……今日はここで寝る」
「え? どうしてですか?」
意味がわからない、という顔をする秋乃に一葉は、ああそうか、常識が無いんだな。と判断した。
「夜の砂漠は危険がつきまとう。夜は動かず安静にするのが冷静な判断であり、常識だ」
「……ここって、今、砂漠?」
「そうだが」
「みてみたいです! これ、外にも出ちゃいけないんですか?」
目を輝かせて言う秋乃に改めて一葉が感じたのは、本当に病院で過ごした毎日しか覚えていないことで、本当に色々みてみたいというのは、みたことがないからなのだと確信した。
そんな生活を、考えたこともない一葉には、わからないことなのだろう。
一葉は戦車のハッチをあけて、そこから上へとあがる。
秋乃も続いたが、自力では上ってこれず一葉が手を貸すことになった。
(病院でしか生活しないから、筋肉も弱っているのか)
だが秋乃はひろくてひろい砂の世界に、目を輝かせていた。
こんな景色、一般人ならば誰であれ、一度はみる景色だ。
確かにわざわざいろいろな景色を追い求めている写真家や、画家などならば知り合いもいるが、そういうやつのいうことも全く理解できない、芸術性がない一葉にはわからなかった。
「――一週間経ったら、その後アンタはどうするんだ? この一週間、アンタはどう生きるんだ?」
秋乃は生まれて初めてみる星空を見上げながら、
「残りの時間は少ないし、わたしも病院暮らし、嫌いじゃなかった。けど、やっぱりいろいろなものをみておきたいじゃない? わたし、まだ、みて感じることができて、みて考えることができるもの。だから、いままでのぶん全部。いろいろなことを感じてみたいし、考えてみたいの」
そう語る秋乃の顔は、前向きだった。
自分の病気に諦めがついているのではない、と一葉は思う。受け止めて、ちゃんと考えているのだ。一週間経てば記憶がリセットされてしまう、その、頭脳で。
「それに、人とも関わっておきたかった。わたし、忘れちゃうから、最後は一人かなって諦めてたんだけど、一週間経って死ぬのなら、忘れないかもしれないし、貴方のことは覚えていたい」
わすれたくない、と続けて、秋乃は微笑んだ。
こんなに人間的な考え方ができるのは、恐らく進行性が遅く、症例が軽いため。こんな性格だから、なのだろうか。一葉は尋常ではなく早いスピードで侵食されていった。それは、自分の心自体が弱くて、諦めていたからだろうか。
少なくとも、あの時代の一葉は諦め、そして逃げていた。受け入れたくなかったのだろう。理解したくなかったのだ。知らないでいたかった。事実なんていらなかった。真実なんていらなかった。ただ優しい嘘が欲しくて泣いていた。現実を受け止めはしなかった。こんな考えも、こんな生き方もできなかった。
今、この『頼まれ屋』を営んでいるのさえ、「銀髪の天使」に諭されたからだ。理解もしなかった。理解できなかった。それはそのはず、受け止めていなかったのだから。
理解もしようとしない、考えようとしない奴に、わかるはずも理解できるはずもなかった。
一葉の右腕は、ずっと手袋をかぶる。
それは機械症候群が彼に後遺症として残していったもの。右腕は、機械化している。
だがこれ以上の侵食は無い。父親が、命がけで助けてくれたから。
父親が命を賭けてくれたその証でさえ、一葉は受け止めていなかった。
だから何も感じないふりをしているのだ。何も考えたくないのだ。
(俺の方が、よっぽど『機械症候群』みたいだ……)
自分は今まで何をしてきたのだろう。
せっかく救ってもらった命で、いったい何をしてきたのだろう。
秋乃をみて、そう思った。
その一葉の真上。
何もかも終わりかけた時も。銀髪の天使と居たときも。頼まれ屋を営んできた今までの中でも。
月も星も、天体だけは、ただ変わらず、そこにあった。
/ …〈壱〉
微睡みの中で、みた。
その天使は銀髪で、二つ縛りにしていて、格好も普通の女の子と変わらなかった。
彼を育ててくれたのは他でもない彼女。
声をかけてもらえないのか、と一葉は歩くが、少女は笑いながら去っていく。
何故、何も言ってくれないのか。昔は、あんなに教えてくれたじゃないか。
大丈夫。側にいるよ―――。
ああ、昔きいた言葉――。昔? ……ああ、これ、夢なんだ。
それではっとして目が覚めた。
「……夢、か」
呟いてベッドの上に秋乃がいないことに気付く。
同時に、
「…………うた?」
綺麗な、透き通るような歌が、響いていた。
耳を澄ませば、小鳥たちの声がきこえてくるような気がしたが、この時代に小鳥がよってくるわけもない。一葉が幻聴か、と決めつけ、おそらくハッチにいるのであろう秋乃を呼び戻すため、ハッチをあけて上へとあがろうとした。
「――――」
目に入ってきたのは、本当の小鳥たち。
楽しそうに、安らかにうたう、その姿はまるで天使のようだった。
朝日に照らされ、その輝きを増す。
何処か安心するような旋律に、このまま聴いていようと想えた一葉は、黙って聞いていた。
想えばこれは、あの「銀髪の天使」が教えてくれたうたじゃないか。よく、うたってくれたうたじゃないか。ああ、だからこんなに安心するんだ。理解した一葉は、ぽつりと呟いた。
「……あいつ、元気かな」
「あいつって誰ですか?」
「おわっ!」
目の前に、秋乃の顔があった。
思わず驚いてしまった、その一葉の表情に秋乃は笑う。
秋乃の笑顔を間近でみた一葉は、耳まで赤くしてそっぽを向いた。
だが秋乃は笑っていた。とても楽しそうに。
「――その歌、ガキのときに、うたってもらった」
「そうなんですか? わたし、いくつかお母様に歌を教わったんですけど、この歌がお気に入りなんです」
えへへ、と微笑む秋乃は、ひしひしと感じることがあった。彼女には他人の感情を自然と意識せずに感じ取れる能力がある。この能力も、いつかは消えてなくなってしまうのだろうが。
(一葉くん、寂しいんだ――)
貴方のことが、わたし、もっと知りたくなった。
少しの時間で良いから、貴方の寂しさを紛らわせてあげたい。
そう決意した秋乃は、小鳥たちと別れ、戦車内に戻った。
走行中の戦車内の様子にはしゃぐ秋乃を片目でみながら、操縦する。
そういえば行き先はどこなんだ? と疑問に思った一葉は即座に質問。
「で、何をみてみたいんだ?」
「……わたし、一葉くんの思い出の場所とか、そういうのみてみたい」
思い出の場所、といえば、うたの影響かは知らないが海を思い浮かべる一葉。
この干上がった世界で唯一、一つの海。
「――海とか?」
「海? 海ってなんですか?」
「水がいっぱい溜まった場所だ。――結構綺麗なモンだぜ」
そこで一葉は色々教わった。
銀髪の天使、から、色々なことを話して貰い、そして教わったのだ。
「わたし、それみてみたい!」
一葉の感情が「懐かしさ」に変わったのを感じて秋乃が行き場所を決めた。
海には一日かかる。
補給地点で食料などを補給することを説明し、一葉たちは進路を変え、街へと進んだ。
「――今日の俺、なんか変だ」
その感情にぎこちなさを感じながら。
その街は安全だった。
内戦もない。ましてやあるのは犯罪のみ。
その街は自衛団という存在に守られていたのだ。
一葉は久しぶりに訪れる。
「わーっ。これ何ですか? これは? これは?」
片っ端から質問してくる秋乃に全て答えをあげ、食傷の補給を済ませた一葉は、露店について説明しながら銃弾を補充するため、これは秋乃にはみせられないな、と思い、店の外にある広場で待っているように教えた。それはもう子供に教えるような感想を抱くものだった。
それと、もう一つ教えておく。この街のルールを。暗黙の了解を。
この街で起きている犯罪には、この街にいる者には、深く追求をしてはならないし、安易に過去をきいたりしてはならない。干渉してはならない。他人に関わってはいけないのだ。
それを言うと、少し不満が残るようだったが、秋乃は大人しくしたがってくれた。
ように、一葉の目には映っていた。
「――と思ったんだけどなぁ、オイ」
店を出た一葉の目に映ったのは、小さな機械化しつつある子供を庇っている秋乃の姿だった。
その二人を取り囲むようにして柄の悪い男たちが取り巻いている。
あれほど教え込んだのに……! と、報復覚悟で一葉は走り、一瞬で秋乃に危害を加えようとしていた男の首を持ち上げていた。
手袋の方の、腕で。
その腕力に目をむく男たちと、首の骨が軋む音がし、恐怖に駆られる男。
折れる寸前で、秋乃は素早く状況を理解したらしく叫んだ。
「待って!」
「……?」
一葉はそれが誰にかけられた言葉なのか一瞬、理解できなかったがすぐに理解し、男にかけていた圧力を減らした。
「殺しちゃ、だめ……。殺しはだめ……」
随分な偽善者だ、と一葉は思った。
関わるならば、徹底的に叩きのめさなければ、自分の身を危険にさらすことになるのは分かり切った事。それを理解したうえで、関わる時は関わるのだ。そんな覚悟も無しに、何故。
だが一葉は懇願する秋乃をみて、何故か、男を掴んでいた手を放していた。
男はすでに失神していたが、その男の有様をみて腰を抜かした男たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。逃げ足が速い連中だ。その足でおそらく、親玉のところにいくのだろう。
どうせ夜にでも報復にくるつもりだろう。
「もう大丈夫だよ、ボク……あ」
後ろを振り向いた秋乃がみたのは、ただの金属のかたまりだった。
虚ろな目をした少年は、もう生きてはいなかった。
機械と化していた。いずれは秋乃もそうなるのだろう。いずれは一葉も、そうなっていたはずだ。
だからこそなのか、どうなのかは一葉にはわからなかったが、秋乃は泣いた。悲しかったのだろう。助けられなくて、悔しかったのだろう。
だが一葉は違った。
涙一つみぜず、挙句悲しいとも思わなかった。
こんな見ず知らずの子供のために流せる涙は一滴もなかった。そんな自分に慣れてしまった。
そんな事実があるからこそ、やはり、秋乃よりも自分の方がよっぽど―――。
そんなことを考えながらとった宿の布団の中で、一葉は不振な音をきき、報復にきたな、と理解した。
なんと推測しやすい連中なのか。ワンパターンな連中らしい。
宿屋を襲えば自衛団が出動しかねないというのに律儀な連中だ。
しかもこの宿にいる客が物凄く強かったらどうする気だろうか。喧嘩両成敗は基本中の基本だが、夜の奇襲になるとわけが違ってくる。そんなことも考えられない連中なのだろうな、と思いながら一葉は秋乃の身体を揺らす。
「秋乃、起きろ、秋乃」
「……うん……、あと五分………」
「おい、起きろって!」
その声と、秋乃が起きたのと、男たちが侵入してきたのは同時だった。
そして発砲された弾を寝起きで理解できていない秋乃を抱え避ける。
目の前に経っている長身の男が、頭らしい。
「そこの娘は高く売れそうだな……」
ニヤリとした男は剣を引き抜いた。
それと同時に一葉は窓から飛び出し着地。戦車へと一気に駆け抜ける。
なんか最近は窓から飛び降りてばかりだな、と一葉は内心思ったが、戦車まではいけなかった。
「………アンタ、魔術師か」
目の前に先ほどの男が立っていた。
剣は魔力でかたどられ、それが刃だけの時点で一葉は見切った。
魔剣士は強いし手強いが、まだこいつ程度ならば、倒せると。
「私は見ての通り、魔剣士だが?」
余裕をみると、こちらを見くびっているらしい。
一葉は秋乃を背後に降ろす。
「数分待ってろ。みたかったら、みててもいい。みたくないと思ったら目でもつぶってろ」
「え、う、うん……」
手袋を、とった。防護服も、とった。
その機械化した腕があらわになる。
その腕をみた瞬間に魔剣士の表情が変わった。
「お前、機械症候群の――!」
いう間に跳躍。
そしてそのまま首を握ろうとしたが剣に遮られる。
剣を隠し持っていた銃で間近で発砲し、魔力でかたどられた刃を折ったところで一葉は腹に機械化した腕でアッパーをくれてやった。その人間業ではない強大な力に殴り飛ばされた自称魔剣士は、白目をむき、倒れていた。魔剣士というのだから魔力でなんとでもなるだろう。
だが骨の一本や二本は軽く折れていることだろう。
殺さなかったのは自衛団の戦車音が聞こえたからというのと、昼間の秋乃の言葉を鮮明に思い出したからだった。一葉は一葉なりに気にしていたらしい。
素早く店のカウンターに戻り、金を置いてから離脱。戦車へと走り、自衛団が駆けつける前に一葉と秋乃は街から出て、夜行発進した。しかも緊急離脱発進という戦車への負担が大きい発進の仕方。普段は絶対使わない、その発進方にしたのは自衛団につかまると面倒だから。
沈黙の戦車内。走行音だけが響く。
何を言って良いのかわからない、お互いはじっと黙っていた。
張りつめた空気の中で、ある程度走ったところで戦車が停止し、
「寝てろ」
秋乃にはそう言い残して一葉は外へと出た。
機械化した腕は、もう手袋などを装着していた。機械は砂に弱い。精密機械であればあるほど。
昔もよくやんちゃをして怒られたな、と一葉は思ってから目をつぶる。
思い出すのは父親の背中。母の笑顔。
そして――。
「一葉くんは、機械症候群の患者なの?」
「……寝てろっていったろ」
一葉は目を開き、隣に目をやった。
秋乃と、背後の砂に足跡がある。
答えない一葉に、
「患者なの?」
秋乃は、なお問いつめてきた。
一葉は別に隠すことでもない、とし、頷く。
「ただし今は違う。これはもう進行しない」
その悲しげにひかる金属質な腕は、何も言わず月の光を跳ね返す。
その表情に何を感じたのか、秋乃は俯いた。
一葉は、無表情だった。
数分して、秋乃は決心したように一葉に、言った。
「わたし、貴方の過去が知りたい」
返答は無いかもしれない。
もしかしたら、無視されるかもしれない。
だけど秋乃は言った。言い切った。
一葉は。
「……もう寝るぞ」
これだけだった。
話す気はなかった。まだ話せない。話したくない。逃げたい。逃げたくない。
だがいつかは話してやらなければ、いや、ここには触れないでほしい。
よどみ、うずまいていくそんな多数の感情に戸惑い、一葉は戦車内に戻った。秋乃も戸惑いながら続く。
(怒らせちゃったかな……)
反省しながら、こんな気持ちも、こんな考え方するのも初めてだなぁ、と感じ、秋乃は布団に潜った。
その拒否反応へのショックを隠すように。大丈夫、明日になれば光は差す、と言い聞かせるように。
ふと、だがきになって、一葉がいるコックピットに目を向けた。
一葉はコックピットの操縦席で、静かに目を閉じているようだった。
戦車内に静寂が戻る。
その静寂を振り払うように、秋乃は夢の中へと歩き出す。
嫌な悪夢を、みたような気がした。
そんな悪夢をぬぐい去りたい、と思えば思うほど汗が噴き出してくる。
嫌な汗だった。拭えば拭うほど吹き出す。
そんな一葉の耳に届いたのは。
「―――歌……か」
秋乃はまたうたっているようだった。
そのうたに気付いて、一葉はほっと安心したような気持ちになる。
悪夢が、消え去っていくようだった。
汗をタオルで拭き、ハッチにむかう。
そこにいつものように秋乃は微笑んで座っていた。
当然のように声はかけず、一葉は歌を鑑賞することにした。
そして気付いたのは、
(癒されている、のか)
秋乃に出会わなければこんなことも考えれなかったのだろう。
秋乃に出逢わなければこの悪夢の感触のままだったのかもしれない。
うたが終わって、一葉は秋乃に声をかけた。
「そろそろ発進するぞ」
「……うん」
昨日のことを気にしているらしい秋乃。
どこかしおらしい。
そんな秋乃をみて何を感じたのか、
「……秋乃の歌で目をさますの、悪くない」
一葉が、呟いた。
その呟きは秋乃の中で大きく響き、
「……えへへ」
ほほえみに変わった。
ぶっきらぼうだったが、その中に再び優しさをみつけたからなのだろうか。
その後は自動操縦。
ハッチをあけ、戦車の上で風を浴びながら、一葉は一番言いたかったことを言った。
「……秋乃。昨日は悪かった」
一晩考えて、考えた結果。久しぶりに脳を使った結果。
あの拒絶反応は少なくても良いものではなかったという結果。謝った方が良いと、一葉は思ったのだ。
少なくとも秋乃は一葉にたくさんのモノを、決して目に見えないモノではあるがあげている。
そんな秋乃に何も思考しない自分は拒否をした。
主語も何もはっきりしない言葉だったが、秋乃は理解していた。
秋乃には、感情を感じ取れる能力があったし、何よりその表情から何かを感じたのだろう。
「わたしこそごめんなさい」
秋乃も謝罪をした。一葉にその意味はわからなかったが、秋乃は、そして、続けた。
「でも、話してもいいとおもったその時に、わたしがまだいたら、話して欲しい」
その願いに、今度は一葉は頷いた。
自分は、変わってきているのだろうか。今、一瞬だったが話してあげたいと思う自分がいた。
だから、一葉は思考する。
/ …〈弐〉
秋乃が余命宣告をされてから三日目の昼。
携帯食料を紹介し、秋乃がその味と形にびっくりするリアクションを楽しみながら走行。
戦車は森の道を走っていて道が酷く、ガタガタと揺れた。
一葉は一応科学者たちの動きを知りたかったのだが、PCでアクセスしたところ、安易にブロックされ悪戦苦闘を強いられた。それとは対照的に揺れる車内の中で秋乃はきゃっきゃっとはしゃいでいた。
挙句頭をぶつけたり、笑われたり、そんなこんなの幸せな時間だったが、秋乃がうるさいので一葉は本を貸すことにした。秋乃が好きそうな冒険ファンタジーもの。旧時代には数多く出回っていたらしいが、戦争で紛失し、今では数少ない書物だ。
「わたし、今、この本の登場人物の気持ちがわかるわ」
秋乃は思った通り感動していた。
「わたしも今、こうやって冒険してみたいにドキドキしてるもの」
まあ確かに秋乃も冒険といえば冒険だ。
一葉は何も語らない。だが、微笑を浮かべた。
表情がやわらかくなったのをみて。心情を感じ取って、秋乃も笑った。
このまま、幸せな時間が続けばよいと思っていた。
森内で停車し、明日の昼には着くことを言う一葉。
秋乃は理解し、森の中では空は見えないのでそのまま眠ることになった。
もうすぐ、誰とも話せなくなる。もうすぐ、考えられなくなる。だが、このあと残り少ない時間になっても秋乃はまだ感じることがいっぱいあった。最終日には、何もわからないのだろうか。
不安はあった。不安の無い人間なんかいないのだ。
だが、秋乃の場合は、希望の方が大きかった。
それでも一葉と話せなくなるのは、なんとなくいやだと感じるのだ。
時間が止まってほしい。でももっといろいろなものを早くみてみたい。
渦巻いていく気持ち。その気持ちを、心地よいと思う秋乃だった。
一方一葉も、
(……あと、四日なんだな)
と理解していた。これについては、何故か受け止めていた。
なんとなく、こんなことを考えられる自分は、人間に戻ってきたようだと感じる。
思えばあの時、身体は人間に戻ったが心はずっと機械のままだったのではないだろうか。
秋乃をみるまで気付かなかったが、自分はきっと心はまだ人間に戻れていなかった。
きっとそうなのだ。
父親には申し訳ないが、きっとそうだと一葉は思った。だからこそ、一葉は新たに思う。
秋乃と出会って、いろいろなことを感じるようになって、人間なのかもしれないと思えてきた。
ならば、秋乃に感謝しなければならない。出会えたことに。一緒にいれることに。
だから、命がけで守ってくれた父親のために、自分も生きてみようと思ったのだ。
その光景を、生涯忘れたくない、と秋乃は思った。
ひろくてひろい海。
みたことのない世界。
蒼くて寛大で猛々しい世界。
ああ、なんて美しいのだろう。
「わたし、まだ人間なんだね。こんなに綺麗って感じてる」
目を輝かせる秋乃はほっと安堵すらしていた。機械症候群の症例に完全に飲み込まれていないことを、立証させる証拠の一つだったから。『綺麗』と感じられたから。
思い出を思い出す一葉もまた、何処か安らいでいた。
そこはとてつもなく寛大にみえて、どんな感情も受け止められる、心のダムのようだった。
秋乃はいう。
「もしもわたしにもう少し時間があったら、もっといろいろみるために旅をしたかったなぁ」
その願いは、叶うわけもない。
もうあと四日しかないのだ。
だが一葉はふと思ってしまった。
――叶えてあげたい、と。
そんなことできるわけもないのに。無理だとわかっているのに。
そんあことを思う、自分がそこにいた。おかしい、とわかっているのに。
秋乃の横顔は相変わらず前向きで、希望に満ちていた。恐怖などみじんも無いのではないかと、疑うほどに。一葉は、過去を思い出す。何故だが、話したくなってしまった。
「――昔、俺を育ててくれた人がいったんだ」
海をみても心すら開かず、ふてくされていた一葉に、銀髪の天使はいつも言った。
彼が「奇跡でも起こらない限りそんなことありえない」と弱音を吐くたびに。
奇跡は起こるものじゃない。起こすものだよ。
秋乃は、黙って聞いていた。
「意味わかんねーって正直思った。どうやって起こすんだよって」
それは理解すらしたくないと思って呟いた反論。
だがそれをいうときまって天使は言ったのだ。
貴方の答えだよ。貴方がみつけなきゃ。
と。天使はずっと微笑んでいた。一葉はなおも理解しようとはしなかった。考えようともしなかった。
そんな一葉を相手に、天使はずっと二人きりの授業を続けていたのだ。
人間は考えることが出来る。
機械には思考という概念がない。もちろん、持たせれば機械にも思考という概念はできるのかもしれない。だがこうやって感情を感じて考えれるのは、奇跡を起こせるのは人間だけだと天使は言った。
「だから、秋乃の願いも叶えって思ったら叶うよ」
唐突に口から出た言葉。自分でもびっくりした。なぐさめているつもりなのだろうか。
だが秋乃は笑顔で、
「ありがとう」
と言った。
何に感謝されているのかわからなかった。なんであんなことを言ったのかわからなかった。だけど、その「ありがとう」は誰に言われるよりも、嬉しいと感じる言葉だった。
一葉は微笑を隠すようにしたを向く。
そんな一葉の表情をみながら、秋乃も微笑んだ。
(こんなに綺麗なものをみれてよかった。一葉くんのこと、知れて良かった)
だから、思いを歌にのせてうたった。
その声は、海にも届くだろうか。一葉の心に届くだろうか。
断崖絶壁の、このてっぺんから、真下の海へ。その海から大地へと伝わって、一葉の奥深くへと。
秋乃は笑う。一葉も、つられて、今度は微笑じゃなくて、思い切り笑った。
その笑顔に顔が赤くなるのを感じながら、
(わたし、一葉くんが好きなんだ)
ぼんやり思う。
こんなに幸せと感じる時間をあたえてもらって、わたしは幸せだ、と秋乃は思った。
もっとはやくに貴方と会いたかった。もっとはやくに――。
夕暮れになっても歌は響いていく。
一葉の心にも、その寛大な海にも、しっかりと届いていた。
風に乗っていく歌声は、もっと遠くの人々に届くのかもしれない。
そう思うと、ワクワクした。
もっとうたっていたい。そう思えた。
もっときいていたい。そう思えた。
そして。
「駄目だろう? 脱走しちゃあ」
この世でたった一つの穏やかな時間を壊すように、科学者は現れた。
/ …〈参〉
科学者の声と同時に、一葉の前を刃が通った。
避けた一葉を追わず、秋乃を抱えて科学者の前に戻る。
「テメェ――ッ」
手袋と防護服をはずし、力任せに一気に攻めるが魔剣士の前では無意味だった。
それは、先日戦った魔剣士よりもずっと上のレベル。
本能が語る。勝てない。自分と魔剣士のレベルが、違いすぎる。
秋乃は理解できないまま、科学者の隣に置かれていた。
あまりの展開の早さに、思考は追いついていないのだ。
「いずれは死んでしまう小娘一人のために、何故戦うのか理解できんな。それに――」
魔剣士はその剣全体を魔力で造り出しているらしい。
圧倒されながらも向かってくる一葉の腕を、余裕をかましながら、その魔力でかたどられた剣で切り落とした。やけに切れ味がよく、やけにスパンという綺麗な音が響いた。
そして魔剣士は言う。
「貴様では、私には勝てない」
「な――」
機械化した腕だ。神経は通っていない。傷みもない。血も出なかった。だが。
これでは、戦えない。唯一の武器を壊された。圧倒された一葉は今度は驚愕に目を見開く。
さらに、これは、父親が命をかけて守ってくれた、証だった。
その証が、こんなにもたやすく、切れた。
「貴様が弱いからだ」
その言葉と同時に突き抜けたのは衝撃。傷み。
肩から胸にかけて、一線したその刃はもうすでに消えていて、一葉は倒れ込む。
その傷口からは、遅れて血が噴き出した。
それをみて慌てて秋乃が叫ぶ。
「い、一葉くん!」
その秋乃の声を、意識の片隅できいていた。
「キミが逃げなければ、彼もこうはならんかっただろうね」
あざ笑うかのような口調。
秋乃は科学者を睨み付けたが、魔剣士が秋乃の腕をがっちりと押さえ、そして抱えた。
向かう先は武装された航空機。数日間過ごした戦車ではない。
一葉は、死んでしまったのだろうか。いや、生きているに決まっている。でも、こうなったのは自分のせいなのかもしれない。頼まなかったら、彼はここにはいないのだから。
「キミにそのような感情は必要ない」
科学者は秋乃の表情をみて呟く。
秋乃は腹が煮えくりかえるような感情を感じたが、それでも、科学者を無視した。
一葉をみて、涙を流してただ一言言うのみ。
「ごめんなさい――」
か細く消えそうな声を、一葉はちゃんときいた。
動けよ、身体。
だが意志とは反し、身体は動かない。機能をしない。
少なくともあと三日、時間はあった。あったはずなのに。
(チクショウ――)
自分がもっと強ければ、こんなことにはならなかったのに。
自分がもっと………。
意識は途切れて。決意は薄れた。
「久しぶりだね、イチくん」
夢の中なのだろう。銀髪の天使は言った。
みれば自分の身体も小さい。これは、やはり夢なのだろう。
そして昔とまったく変わらず、あの海で、一葉は聴かされた。
「奇跡は起こすものでしょ。起こるものじゃないよ」
そんなわけない。第一、どうやって起こすんだよ。
「何かを本気で守りたいって想えたら、イチくんは本当に強くなれるよ」
そんなこと想えるわけねぇだろ。
「信じる強さも、生きていくうえでは必要だよ」
誰が俺なんかを信じてくれてるっていうんだ。
今だって、女一人守れなかった、俺を。
だが天使は優しく呟いた。
「大丈夫。今のキミなら大丈夫。ちゃんと信じてくれている人がいる」
あの時は理解できなかった。
今なら、理解出来る気がした。
機械質な音が響いたのをきいて、目が覚める。
見覚えのない風景。部屋。ここは何処なのか、という疑問に一番最初に湧き上がる。
「起きたか、ボウズ」
口調は男。声は低い女の声だった。
ドアに背を寄せ、立っていたのはやはり女性。
赤い髪の、赤い瞳の、女性だった。
顔には古傷のようなものがたくさんある。
すくなくとも、一葉の知り合いではなかった。
「……誰ですか」
「冷静な質問だな。思考は大丈夫らしい」
はぐらかすように女性はベッドへと近づき、そして名乗った。
「俺の名前は焔慚。テメェを育てた女の知り合いさ」
んで、あっちで機械いじってるのがゼノン。と紹介する。
みえはしないが、隣の部屋で何やらやっているらしい。
「テメェの腕、治したのも奴だぜ」
みれば、腕も治っていた。
しかも少し重くなっていた。改良でもしたのだろうか。質が違うようにみえる。
そして所々装飾が多くなっているようにみえた。
黙っている一葉に焔慚は言った。
「しかしテメェは回復が早い」
まだ一日も経ってねぇのに、と焔慚が言う。
だが明らかな夕暮れ。恐らく、今日は五日目なのだろう。
こうしてはいられない、今すぐ秋乃の元へ行かなければ、と一葉はとっさに思った。思ってから、何をしにいくのかわからないと悟った。助けにいくのか? だがいずれはこうなる可能性もあった。じゃあ、何をしに? ただ、行くというのだろうか。
「キミの身体の状態はものっすごく悪いよ。一日は安静にしておいた方が身のためだよ」
奥の部屋から出てきたのは、少女。陰湿で陰険そうな雰囲気を漂わせていた。
この人がゼノンなのだろうと直感する。
金髪でくるくるした髪を揺らしながら少女はゆっくりと部屋へと踏み入れる。
ベッドのすぐ側にきた。
そして酷く楽しそうな邪道な笑顔をたたえながら、
「そんな身体で、キミは何処へ行くの?」
と一葉に問う。
何処へ。何をしに? ……そんなの、決まってる。
秋乃に会わなくちゃ。依頼されたままだ。依頼は終了していない。
依頼を破棄するのか。それとも――。
顔に受ける風を受けながら、一葉は黙っていた。
――このまま行ったら、死ぬよ? キミ。わかってる?
――会うまでは死ねねぇよ。
一葉は先ほどの会話を思い出す。
その言葉を言った瞬間、焔慚は爆笑し、気に入ったと言い、戦車に乗り込んできた。
当然多くの重火器を奥からひっつかんで出してきて、それを戦車に無理矢理詰め込み、戦車は重い。
ゼノンは科学者のアジトを知っているという。だがついてきてはくれないという。
死ぬなら勝手に行ってこい。手引きはしてあげる。……と。
遠隔操作のみをしてくれるらしい彼女に感謝しながら、一葉は決意を固めていた。
戦車内には武器が散らかっていた。焔慚が出して手入れをしているのだ。
戦車の奥、しまっておいた刀を一葉は取り出していた。
(父さん、使わせてもらうぞ――)
決意はある。
本気で守りたいって想える人がいた。ちゃんとできた。
だから一葉は行くのだ。
そして六日目の今日なのだ。
七日目にはつくのだろう。ギリギリだ。タイムリミットがくるかもしれない。だが、奇跡は起こるもんじゃない。起こすものだと言われた今、やるしかない。やって駄目でもなんだがいい気がしてきた。
「守る、守らないはテメェの意志だ」
「もしも秋乃って奴が一緒に行かないって言ったとしても、お前はそれで良いんだろ?」
「せっかく守られた命で、せっかく俺に救ってもらった命だが、それ投げ出してでも守るもん、テメェはみつけたってことなだけだろ」
難しいことじゃねぇよ、焔慚は続けた。
むしろ、簡単なことなのさ。
一方的に喋る焔慚に、一葉は何も言わなかった。
代わりに焔慚は、言った。
「明日は決戦だぜ。寝とけ」
その言葉に後押しされて、半ば強引に久しぶりに眠った。
天使は、再び夢の中にいた。
そして穏やかな表情で言うのだ。
「もう俺の出番は無いね。キミなら大丈夫。俺、ちゃんと見守ってるよ」
ありがとう。と言いたかった。
でもまだ終わっちゃいないのだ。
ハッチのうえで酒を飲みながら、焔慚は空へと言う。
「――テメェの息子はちゃんと立派になってんぞ。なあ、死神王さんよ」
みてやがれよ、と焔慚は微笑む。
そしてその紅い刀を、まっすぐ正面へと突きつけた。
明日は敵地で大暴れ。
おもしれぇ。やってやろうじゃねぇの。
不気味にそびえ立つ屋敷の前に二人。
同じく不気味な風が通りぬけていく。
「準備は良いか?」
「良くなかったら立ってない」
「そりゃそうだ!」
ど派手な花火が開幕の合図をあげた。
いよいよ最終章。クライマックス。
焔慚の手榴弾はみごと門を吹き飛ばし、警備員が殺到するなか、もう一度手榴弾が輝いた。
ど派手な花火の下、一葉はその敵の群れを駆け抜ける。
その背中に、罵声が飛んだ。
「バックは任せな! ――好き勝手に暴れてこい!」
一葉は開いた道を迷わず直進。
たった一つの、それを守るために。貫くために。
「秋乃――ッ!」
/ …〈死〉
揺れ動く屋敷のたった一つの存在でしかない少年が、驚異となり、焔慚は猛威となって牙をむく。
屋敷はもうすでに壊滅状態に陥っていた。屋敷内に残っていたのも手練れたちだったが、一葉にとっては関係の無いこと。迷いも無い。決意しかないこの胸中。どんな言葉もどんな敵も、関係無い。
あともう一つ上の階へ行けば、秋乃に辿り着く。
「やはり、貴様だったか」
聞き覚えのある声がして一葉は迷わず刀を抜き放った。
相手は魔剣士。剣には刀で対抗するしかない。
父親の形見である、刀。
それは死神の刀。つかうべき人間が使えば、死神の刀は鎌へと変形を遂げる。
それすらも見抜けなかった魔剣士は、少し前と全く変わっていないはずの一葉へと、吠えた。
「面構えは変わった。だが、実力はそう簡単には変わらない!」
そして一気に斬りかかる。
一葉は落ち着いて、幼少の頃習った抜刀術を思い出す。
カッコ良い。俺も大きくなったら、父さんのような死神になるからな! そう思った、幼少の頃。
大きくみえた父の背中を重ねて合わせる。
そして。
金属音は響きわたり、刀の刃と魔力の刃が交わって、大きな波動を生み出した。
それは決意と決意が交わったその瞬間。
そしてそれは魔剣士がその刀が、普通の刀では無いと悟った瞬間でもあった。
「ほう――、死神の刀か」
「父の形見だ」
通常の刀ならば砕け散っているところだが、死神の刀は作り方が違う。
だからこそ見抜けた。だがだからこそ変形しないという点で、一葉が死神ではなく、それほど変わらないと判断したのだ。
魔剣士はいっそう魔力を高めて、これで終わりにするつもりで走り出す。
「今日が貴様の命日だ! 折角助かった命を、捨ててしまったと後悔するが良い!」
その挑発に乗らず、一葉は冷静に構えた。
その構えをみて、魔剣士は走りながら驚愕する。それはその構えが死神王とうたわれた最強の死神の構えと似ていたからに過ぎないが、だが走り出した勢いは今更止められない。
(……目の錯覚だ。目の錯覚に過ぎん)
自分に言い聞かせながら、斬りかかったその瞬間。
死神の刀は、威力を増し、その黒い刃の周囲をエネルギーが実体化して取り巻いた。
「貴様、やはりその構えは――!」
「誰が後悔するって? 誰の命日だって? 違ぇよ。今日はテメェの命日だ!」
後悔しやがれ! と叫んで放ったその技は。
一撃で魔剣士を粉砕した。跡形も、悲鳴すらも、残さずに。
からん、と乾いた音がした。
階段を駆け上がり、一葉は秋乃に駆け寄ろうとしたがアンドロイドの邪魔が入り飛び退く。
秋乃は、虚ろな瞳をしていた。気がつけばもう真夜中なのだ。辺りはすっかりと真っ暗になっていた。今までずっと屋敷内にいたからだろう、気付かなかったのだ。秋乃は恐らく、最期が近いのだろう。その前にいわなければいけないことがある、と一葉はアンドロイドをぶっ飛ばし、秋乃に近づこうとするが、科学者の存在に邪魔立てされる。
アンドロイドの軍団は無限に出てくるのだ。科学者が、とりとめなく生産装置を起動させているため。
手のコントローラーさえ壊せれば……。と一葉はアンドロイドを倒しながら科学者を狙う。
「いずれはこうなる運命だったのだ。キミも諦めたらどうだね?」
秋乃くんは諦めたのにねぇ。
科学者が続けたその言葉に、一葉は吠えるようにアンドロイドの半数を撃退した。
「――簡単に諦めろとか言うんじゃねぇ」
なおもアンドロイドたちを一撃で粉砕し、そのまま精算装置自体をぶっ壊す。
運命? 諦めるしかない? んな現実、くそくらえ。
そんなものが決まっているのなら、自分はとうに死んでいた。
そうならなかったのは――。
「諦めたら何も始まらねぇだろうが! 何もそこから生まれてこないだろうが!」
吠えて、同じように装置と共にアンドロイドを粉砕。
残ったのは生産されたばかりのアンドロイドの軍団。
だが一葉の腕はもう悲鳴をあげていたし、刀だけが唯一の武器だった。その中で。
一葉は笑っていた。
「貴様。ついに乱心したか? 安心しろ。貴様の身体は利用し尽くしてやる」
それがせめてもの報いだ。――やれ。
アンドロイドはその指示に素直に従い、一気に襲い掛かった。
だが尚も一葉は笑っていた。
「テメェは運命なんざ信じてやがる、小物ってわけだ」
一葉の刀が、変形した。
黒い光は鎌をかたどる。
「奇跡は起こるもんじゃねぇ。起こすものなんだよ!」
その一降りは、一葉の叫びと共に、全てを破壊した。
その状況さえも、その運命さえも。その、足枷に過ぎなかった機械症候群さえも。
魂の一降り。
あふれ出したのは黒い光だったが、すぐに温かい光に包まれた。
その白い世界で一葉は秋乃の側にいた。
秋乃は一葉を確認したらしい、笑った。
笑って、「ありがとう」と呟いた。
その姿は人間。目も、先ほどまでの死んだような目ではなかった。
「わたし諦めてた。最後の最後で諦めちゃった」
自嘲するような表情。
「でもね、信じてた。心の何処かで、一葉くんならって信じてた。しかも一葉くんは本当に奇跡を起こしちゃった。こうやってまた貴方と出会えて、お話できてるって、やっぱり幸せなことね」
秋乃は続けた。
その白い世界の中で。
「わたしね、とっても幸せだった。やっぱりこの選択が間違ってなかったんだって想えるもの」
微笑んだその表情をみて一葉も言った。
言いたかったことを。
「……お前だけ幸せだったんじゃない。俺も幸せだった。お前は、俺を人間に戻してくれた」
あの時。あの機械症候群になってしまったあの時から止まっていた時間は、やっと動き出した。
だからこその。
「ありがとう、秋乃」
世界にひびが入っていく。ぱきん、ぱきんと乾いた音がした。
「……わたし、消えちゃうのかな。やっぱり死ぬんだよね。……今更になって死にたくないって思えてる」
えへへ、遅いね。こんなこと思うの。
秋乃は続ける。もうすでに、身体は透明な光へと変わって行きかけていた。
一葉は秋乃を抱き寄せて、言った。
「消えさせない。俺はちゃんとお前を掴んでる。――ここまで奇跡起こせたんだ。最後までちゃんと起こしてみせるさ」
崩壊を続ける世界の中で、交わったのは『ありがとう』の温かい意思。
奇跡は起きるものじゃない。起こすものだ。という決意。覚悟。思考。
人間にしか奇跡を起こせないのは、それは人間にしかないものがあるからだと一葉は知っていた。
知っていたけど理解したくなかったのだろう。
「もし奇跡が本当に起きて、わたしがまた生きられたら、わたしね、今度はもっといろんなものをみたい」
一葉はぶっきらぼうな口調と声で、
「もし、じゃない。起こす。お前はちゃんと生きられるし、俺はその依頼ちゃんと受け続ける」
だからまた一緒にいてくれますか。タイムリミットは過ぎてしまうけれど。
神様はこんなわがまま、許してくれますか。
いや、許せよ。許してくれよ。一緒にいさせてくれよ。
秋乃にまだいろんなことをみせたいんだ。
そう思えた自分は、しっかりと秋乃を抱えていた。
はらはらと舞う白い世界の欠片は。
季節を間違えた、桜の花びらのようで。
/ …〈+〉
新しい季節の象徴である桜。
その花びらを携えた大樹はそこに堂々とそびえ立っていた。
「わーっ。大きいねー」
感嘆の声をあげる秋乃をみながら、一葉も微笑みを浮かべる。
大樹は秋乃の身長の遙か上。そのてっぺんは見えそうにもない。
だがこれだけ大きいということは、その生きてきた年数も多いということなのだろう。
秋乃は人工的なものをみるよりも大自然を感じる方が好きらしい、と気付いたのはつい最近のことで、この前は科学館にも足を踏み入れたがあまり興味を示さなかった。それでのリベンジは桜の大樹。
思った通り嬉しそうな表情をしている。
「ね、一葉くん。カメラカメラ!」
「はいはい」
デジタルカメラを手渡し、一葉は戦車の上からその大樹を眺めていた。
あの秋乃救出作戦から随分と経つ。
どうやら秋乃の機械症候群は何故か進行をやめ、その後遺症も残っていない。
(――俺にも死神の力があったんだな)
それは一葉の父と同じことをしたということ。
それでも命を失わなかったのはおそらく、いや、なんとなく、「銀髪の天使」が関係ある気がしてならない。だがそれでも良かった。またこうやって一緒にいれるのだ。
助かった後はもう二人で笑い合った。
笑うしかなかった。
屋敷は全壊。その瓦礫の中から焔慚が出てきた時は驚きと同時に焦ったものだ。
だが焔慚も笑っていた。
そんな芸当、人間じゃできねぇよバーカ!
と。しかも笑いながら怒っているようだった。
「一葉くん?」
「……え、あ。えと、何?」
「何か考え事? 次行きたい場所ならあるから大丈夫だよ」
いや、そういうことじゃねぇよ。とツッコミを入れつつ、カメラで撮り終わったらしい秋乃はもはや戦車内へと姿を消していた。
一葉も感傷に浸るのをおしまいにし、戦車内へと戻る。
そして数分後、戦車は発進した。
そのハッチから、もう慣れたように顔を出す秋乃。
春の季節の、新しい風が、その髪を揺らしていた。
彼らは続けるのだろう。
終わらない旅を。
「やれやれ。とんだヤンチャボウズだったなぁ」
大樹の枝の上に腰掛けているのは焔慚だった。
その片手には酒。
二人のその後を見に来たのだが、問題はなさそうだった。
問題があればまたどうせ自分がいけ、とか言われるのだろう。その時が楽しみだ。
「……そういや、あいつもあんなバカだったっけな」
ククク、と笑う。
自分が死にかけている時に他人の心配をし、ましてや死ぬ覚悟で敵地に乗り込んで敵地を全壊させてしまうような、バカ。だが自分も変わらないのかもしれない。自分もそういう、バカなのだ。
「会いに行ってみっか」
とん、と大樹から軽く飛び降りて、焔慚は歩き出した。
ちょっとした心境の変化。出会いが残していった、気まぐれな感情。
それと、もう一つ。会いに行こうなどと考えたのは、恐らくこの風に吹かれたから。
新しい風が吹き出す季節である春。始まりである春。
だからこそ、歩きだそうと思ってしまう、そんな季節なのだ。
人々の心をもなびかせていく、そんな風なのだろう。
それでも変わらず、太陽は、世界を照らし続ける。
おはようございます。こんにちは。こんばんは。
どうも、はじめまして。
白憂ともうします。
この小説を閲覧いただき、どうもありがとうございます。どうでしたでしょうか。これが初投稿になるんで、これからもっとがんばって連載ものも執筆していこうかと思います。
実はこれ、中学卒業時に書き上げ、担任の先生――恩師に差し上げてきたものです。
かなりがんばって書き上げました。
これからもがんばって執筆していこうと思います。
これからよろしくお願いします。