彗星はうたう。
――奏、知ってるか?
その一言ではじまる先輩の話は、いつだって宇宙や惑星のことばかり……。
正直、私には難しくてよく分かんない。
でも私は、そんな先輩の話を聞いてる時間が何よりも大好きだった。
◇◆◇
太陽のフレア活動が長らく停止しているという宇宙NEWSは、一体なんだったのだろう。
ここ半年、テレビやネットでは「ぷち氷河期突入へ」やら、「大規模フレア活動へのカウントダウン」などと騒がれているのに、そんな報道をつい疑ってしまうくらい、じりじりとした日射しが容赦なく私を焦がす。
まだ5月の初旬だというのに、緩やかな坂道を歩いているだけで汗だくだ。
やがて、一段と勢いが増したように色濃くなる緑に囲まれ、海を見下ろすようにひっそり佇む白い建物にたどり着いた私は、中に入ると空調管理が行き届いたその涼しさにホッと一息つく。
休日は、いつもこうやって朝早くからここを訪れている。
受付AI相手に手書きの面会申請書。
全て自動認識システムで事が済むのだが、田舎ではまだまだアナログ手段に根強い認識があり、ひとまず形式としてこのような措置が取られていた。
でも、こういう「自分の手でしてます感」って意外と大事だと私も思う。
さっき登ってきた坂道だって、空中エスカレーターを使えばスィーと来れるんけど、自分の足で一歩一歩踏みしめて、毎回受付で私の氏名と先輩の名前を書く。
ふふふ、なんだか愛を積み重ねている感じがしませんか。
でも、どうせ私がそう言ったところで、きっと先輩は「何、言ってんだか」と呆れた顔で私を見るんだろう。
だけど、私は知ってる。
わざとそんな風に素っ気なく言うのは、本当は「嬉しい」の裏返しだってこと。
だって、先輩は案外寂しがりやなところがあるから……。
私は慣れた足取りでその部屋の前までくると、クリーム色の扉をコンコンとノックしてスライドさせた。
これも本来なら自動認識システムで全て事は済むけれど、あえてこの形式をとっている。
白を基調とした部屋の眩しさに、私は思わず目を細めた。
「おはようございます」
私はいつものように挨拶をしながら部屋に入ると、部屋の主に断りもなく清潔感あふれる白いカーテンと窓を開けた。
――何だよ、急に……まぶしいだろ。
一瞬、そんな声を期待したけれど今日もこの部屋は静かなままだった。
暖かな風が、ふわりと潮の香りを運んでくれる。
私は外の空気を大きく吸い込むと、それを小さな落胆と一緒にゆっくりと吐き出した。
「暁先輩、おはようございます」
私は気を取り直すと、ベッドに横たわったまま眠り続けている男性にもう一度声をかけたのだった。
それからは、いつものように身の回りの物を整えていき、それが終わると次は医療介護AIの助けを借りながら先輩のパジャマを脱がせる。
この他にもほとんどの看護と介護をAIが担ってくれているので、本来なら手を出す必要もないのだけれど、こういうことも家族の希望により応じてもらっていた。
「先輩は熱めのお風呂が好みだって言ってましたよね。このくらいかなぁ?」
洗面器にお湯をため、先輩の好みの湯加減を想像しながら温度を調節して浸したタオルをぎゅっと搾ると、ホカホカのうちに先輩の身体を拭き始める。
先輩は自分のことには無頓着だった癖に、白くきめ細かいその肌にほんの少し嫉妬しながら、指先まで丁寧に拭っていく。
「先輩、ごめんなさい。あの頃の私はこうしているとイケナイコトをしたくてうずうずしていました」
それは、こんな風に二人きりの時間が持てはじめた頃、先輩が文句を言わないのをいいことに、その長い指先をそっと自分の口に含んだり、その素肌の胸にほんの少し顔を埋めたり……。
それは幾度となく繰り返された。
それくらいのことは普通の恋人同士なら問題ないのかもしれない。
けれど私のそれは先輩の意思を確認しないままの自分勝手な行為だったと、今はとても反省している。
あの頃、寂しさを持て余し子どもじみた独占欲に振り回されてしまっていた私を、先輩は許してくれるだろうか。
それとも、嫌いになった?
そう考えると、胸がじくじくと痛む。
未だに私はこんなにも先輩のことが好きなんだと、こうやって何度も思い知らされてしまうのだ。
◇◆◇
独りよがりな懺悔を終わらせると先輩に新しいパジャマを着替えさせて、一旦、溜まった洗濯物をするために部屋を後にした。
すると私がちょうど廊下に出たところで、先輩のお母さんとばったり会った。
「あら、奏ちゃん。おはよう。せっかくの日曜日なのに早いのね〜」
「おはようございます」
「もしかしてそれ今から洗濯するの? あぁ、いいのよ。そんなのは私がやるから奏ちゃんはあの子の側にいてあげて」
「いえいえ。洗濯物は私に任せて、まずは来たばかりのお母さんが先輩に会ってあげてください」
洗濯物をするという行為に、その人との親密度の高さを証明出来るような気がして、時折このように先輩のお母さんと張り合ってしまうことがある。
「いいのよ。いつも奏ちゃんがやってくれるから、すっかり甘えちゃって。だから、たまには私が……」
見えない火花が静かに散り始める。
しかし、そんな私たちの様子を見かねた看護師さんに注意されると、思わずお母さんと顔を見合わせてお互いプッと吹き出してしまった。
仕方ないので今日のところは、一緒に洗濯することで手を打つことにした。
こういうちょっと頑固なところは、お互い案外似ているかもしれない。
この前もそんな私とお母さんの様子に、いつも温厚な先輩のお父さんが珍しくニヤリと訳あり笑みを浮かべ「奏さんは、若いころのアレにそっくりだね」と、こっそり耳打ちされた。
打ちのめされるほどの衝撃と同時に、思わず先輩のマザコンを疑ってしまった瞬間だった。
そして、そのあとお母さんにも同じような事を囁いたのか、私と全く同じようなリアクションだったので、その衝撃が手に取るように分かってしまった。
さすが先輩のお父さんと言うべきか、侮れないものを感じてしまった。
そんな似た者同士の私達は洗濯を終えると屋上に向かい、そこでもどっちが何を干すかでまた押し問答が始まってしまった。
もちろんクリーニングも完備されているのだが、天気の良い日は外干しにというお母さんの意見にめずらしく同意している。
だけど、こういう時は決まってあの話が始まる……。
「奏ちゃん。あれからもう……」
――ほら、来た。
「あ〜あ〜あ〜」
私は何度も繰り返されてきたこの話題に、失礼ながらも子どもじみた態度で遮る。
「もう、またそうやってはぐらかして。真面目に聞いてちょうだい。あれから12年よ。ねえ、奏ちゃんもう……」
「お母さんの仰りたいことは痛いほど分かっています。でもあれから12年です。もうお母さんの方が諦めて、先輩とのこと認めてください」
「でも……」
「それとも、これは早くも嫁いびりというやつですか?」
「なっ……、違うわよ!」
ぷりぷりと怒るお母さんに、私も繰り返し素直な気持ちで応える。
「ちゃんと、分かってます。お母さんがどれほど私の将来を心配してくれているか」
実の両親以上に私のことを気に掛けてくれている先輩のお母さんの優しさを、私は痛いほど感じている。
「それでも、私は……」
これまで先輩と過ごしてきた日々は決して綺麗事ばかりではなかった。
今でこそ先輩のお母さんとこんなふうに話せているけれど、ここまで来るのにお互いどれだけのことを乗り越えてきたか……。
それでも、私にとっては全てがかけがえのない日々だと今なら胸を張って言える。
そんな私の気持ちをいつもお母さんは何か言いたげながらも、静かに受け止めてくれている。
そうやって洗濯物を干し終えると病室に向かうというお母さんに、少し風にあたってから戻るとひとり屋上に残った。
先輩の両親はいつだって私を快く迎えてくれるが、たまには親子水入らずの時間も大切だと思っている。
屋上から見る景色は、病室からとはまた違う。
どこまでも続く青い海。
少し霞がかった水色の空に、ぷかりぷかりと漂う雲。
吹き抜ける風の『音』に、ふいに既視感を覚える。
私は耳をさらうその音に、12年前のあの夜を思い起こす。
◇◆◇
――12年前。
あれは暁先輩と流星群を見に行った夜だった。
当時、私は17歳でひとつ年上の先輩とは、付き合い始めてから季節が一巡して先輩と迎える2度目の冬の初め。
流星群の歴史的大出現のニュースが田舎と呼ばれるこの町に駆け巡った。
宇宙事業進出も珍しくなくなった今でも、退屈な町にとっては一大イベントに違いなかった。
ぜひともロマンチックな「流星雨」を先輩と。
動機は至って単純だったけれど、私はいつになく熱心に先輩を誘った。
「先輩、先輩! 流星群見に行きましょう」
「やだよ。寒いのは苦手だって知ってるだろ?」
「天文部が学校の屋上で観測会を開くんで、毛布とかストーブとかココアとか豚汁とか、え〜と、あとは……。とにかく色んな準備するって話だから、先輩はぽかぽかしながらただ寝っ転がってるだけでいいんですよ」
「お祭り騒ぎだな……。はぁ〜、奏はそんなに見たいのか?」
「はい!」
私はとびっきりの笑顔で力強く返事をする。
「しょうがねーな。付き合ってやるよ」
先輩はいかにも面倒くさそうに言いながらも、最後は折れてくれる。
なんだかんだ言ってそれが二人の間では、お決まりのパターンだった。
「先輩のそういう優しいところ、大好き」
「っ……。そんな恥ずかしいことよく言えるな?」
そっけない言葉とともに先輩はそっぽを向いたけれど、その耳が赤くなっていた。
私の想いがちゃんと先輩に伝わっているんだと思えた瞬間だった。
そして私たちは、あの観測会の夜を迎えた。
屋上で先輩は寒いとぶつぶつと文句をこぼしながらも、ふたり一緒の毛布に包まって夜空を眺めていた。
学校ではすっかり公認のカップルだったけれど、照れ屋の先輩にとって「寒い」が口実にしたかったのかもしれない。
「あ、また流れた!」
「え〜、どこだ?」
「先輩、さっきから幾つも流れているのに、見つけるの下手くそですね」
「おいこら、奏。口には気をつけろよ」
「ふふっ……」
先輩の両足の間に座り、後から先輩ごとすっぽりと毛布に包まれている状態に、ご満悦の私はつい調子に乗って軽口を叩く。
先輩はというと少しムッとしながらも、再々「寒くないか?」と私を気遣ってくれた。
「奏、知ってるか?」
「ん〜?」
「流星って彗星から放出される塵の粒なんだって。今日の流星群はハレー彗星の塵と言われてる」
「へ〜、そうなんだ」
「奏、知ってるか? ハレー彗星は約76年周期で地球に接近する……」
「先輩、興味ないふりして、詳しいじゃないですか!」
「……たまたま、テレビでやってたんだよ」
そう言いつつも、本当はすごく宇宙事業に興味があるみたい。
けれど、ロマン主義科学がどうたらこうたらで、私には難しくてよく分からなかったけれど、あの頃なにかしら思うところがあったのか先輩はその道に進むことをためらっているように感じていた。
でも、こうやって「奏、知ってるか?」ではじまる先輩の話はいつだって宇宙関連の話で、興味があるのは端から見ても疑いようもないくらいだった。
私は、大好きなことを語る先輩が大好きだった。
「……だから、地球で次にハレー彗星が見えるのは52年後かな」
ただ、時刻も深夜に差し掛かり先輩の彗星の話が延々と続くと、さすがにうとうとしてきてしまった。
――コーヒーでも飲もうかな。
私がふとそう考えていた時だった。
ふいに何かの音が聴こえた……。ような気がした。
最初は風の音か何かだと思った。
でも時折何かが囁くような、鳴いているような……けれどしばらく周波数を探るような不安定だった音が、やがてぴたりと合ったかのように一際鮮明に聴こえた。
その瞬間、夜空の暗闇の一点からキラキラとした星屑のような無数の煌きが一気に噴き出した。
それは霧にように夜空を埋め尽くしたかと思えば、やがてふっと跡形もなく消えた。
本当に一瞬のことだった。
けれど、その強烈な印象と圧倒的なまでに美しいその光景に見惚れ、二人ともしばらく口が聞けなかった。
「夢じゃないよな?」
「うん……。私も、たぶん先輩と同じもの見たと思う……」
しばらくして、ぽつりと呟いた先輩に私はそう答えた。
けれどその後、今回の観測会を主催し記録映像も撮っていた天文部の部員たちにも、参加していた他の一般生徒達にも聞いてみたが、結局、屋上にいた中であの光景を見たのは私と先輩の二人だけだった。
けれどこの時の私は、先輩と私だけが出会った奇跡のような体験にまるで恋愛小説に出てくるような運命的なシチュエーションに胸をときめかせているばかりで、その特別感に感動と幸せを噛み締めていた。
「奏、知ってるか? 実は、彗星は歌っているんじゃないかと言われていて実際に小惑星探査機が拾った音源もネットで公開されている。でもその音というのは、普通は人間の可聴範囲のはるか下だから聞こえないんだけど……」
だから、さっきの出来事について真面目に考察をはじめた先輩の話もどこか夢見心地でふわわとした気分で聞いていた。
「でも、ネットで公開されているのは周波数を増やして視聴可能にした音源で、実は俺も聞いたことがあるけれど、今日のあの音はそれと似ている気がするんだ」
「ふぅん。でもあれは歌って言うよりも、何かの鳴き声みたいな……」
「奏は情緒がないな。なぁ、なんで彗星は太陽系を廻って、76年周期で地球に近づくと思う? それは……」
「やっぱ、やめた……」
「えぇ! なんで途中でやめちゃうんですか?」
「奏に言ったってなぁ……。どうせ、奏は単純に『二人で特別な光景を見られて嬉しい』とかなんとか少女漫画チックなシチュエーションで、喜んでるだけだろ?」
「うっ……。そうだけど、そんなところで話をやめられちゃうと気になるじゃないですか〜!」
その帰り道、先輩が私を送ってくれながら終始そんな調子でさっきの光景についての話はつきなかった。
そして、あっという間に私の家の前に到着。
本当はこのまま二人で夜明けを待ちたかったけれど、高校生のうちはままならない事も多い。
けれど、そんな乙女ゴコロをちっとも察していないかのよう先輩が大きな欠伸をした。
「ちょっと疲れた。少し眠るから、明日は遅くなるかも」
――もう!
……と、ちょっとむくれてみたが、寒がりな先輩が私のために観測会に付き合ってくれたのだ。
「先輩。今夜は本当にありがとうございました。帰りには気をつけて、ゆっくり休んでくださいね。また明日、学校で」
先輩に素直に先輩に感謝を伝えると……。
ぐいっと引き寄せられて、唇を塞がれた。
この夜のキスは今も鮮明に覚えている。
いつもは照れくさそうにしていて自分からはあまり行動を起こさない先輩が、こんなふうにキスをしてくれるのは初めてだった。
もう何度目かのキスだろうかと考えるくらいには重ねてきたから、少しは慣れたかなと思ったりもしたけれど、やっぱり心臓はドキドキしっぱなしで、先輩の大きな腕の中でその温もりを感じながら、このまま永遠に時間が止まればいいとベタなことを思ったりもした。
だけど、その翌日……。
本当に時間が止まってしまったかのように、先輩は深い眠りにつくことになった。
事故に遭ったわけでもない。
ただあの夜、無事に家に戻ると先輩は家族におやすみと告げていつもどおりに眠ったらしい。
ただそれから先輩は、一度も目を覚ますことはなかった。
当然のことながら先輩の両親は、眠ったままの状態の先輩を病院に連れて行きありとあらゆる検査を受けたらしいが、原因は解明されなかった。
けれど、私がその状況を知ったのはあの夜から1ヶ月も経ってからのことだった。
最初は眠たくて遅刻しているだけだと思い、その日は体調を気遣うメールを送ったあとはそっとしておいた。
けれど、翌日も先輩の姿は学校になかった。
何度か先輩のスマホにメールや電話を入れたけれど繋がらなくて、心配で先輩の友達や聞いてみたりもしたけれど同じような状態。
思い切って先輩のクラスの担任に聞いてみたけれど家庭の事情というだけで教えて貰えなかった。
先輩の友人達も心配はしているけれど事情があるんだろうし、少し様子を見ようと話していたが、私は居ても立ってもいられなくて、先輩の両親とも面識があったこともあり、思い余って先輩の家を訪ねてみた。
けれど何度行っても不在で、それから1ヶ月通ったところでようやく病院から帰ってきた先輩の両親と会うことができた。
ただ。先輩のお父さんもお母さんもまだ何も分からない状況のため、すんなりと事情を教えてはもらえなかった。
けれど、何度も必死に頼み込む私を見かねたのか、ようやく先輩の現状を話してもらえたのだった。
それから私の世界は一変した。
けれど、まるで荒れ狂う海に放り出されたかのような状況の中、私はひとりあの夜の出来事を何度も訴え続けた。
何の根拠もない空想じみたその話。
それでもそれ以外の理由はないと、自分でも不思議なくらい確信していた。
もちろん、信じてくれる人はいなかった。
先輩の両親でさえ……。
挙句の果てにはそのことで先輩のお母さんと険悪なモードになり先輩への面会は一切拒否されていた。
私は途方に暮れ、あの夜を最後に先輩とは一度も会えないまま半年ほどが過ぎた頃だった。
世界各地から、ぽつりぽつりと先輩と同じような事象が起こっているとの報告があがり始めたのだった。
しかも、中には私と同じような現象を訴えている人がいた。
するとしばらくして、先輩の両親がもう一度話を聞かせてくれないかと連絡があった。
それから幾度となくヒアリングは続けられ、ついに私の突拍子もない話を元に先輩の両親は各方面に訴えかけ始めたのだった。
メディアにも積極的に顔を出し、時には心ない言葉や誹謗中傷を浴びるのも厭わず諦めることなくその活動は続いた。
ちなみに私も公にはされていなくてもネットではすでに晒し者になっていた。だから、最早開き直って私もその活動に加わりたかったのだが、先輩の両親は最後までそれを良しとせず、一度も自分達からは私の名前を表に出すことはなかった。
その活動は幾多の議論を呼びながらも徐々に広がり始め、やがて海外の宇宙進出で多大な利益を手にしていたある研究機関が真相究明に名乗りをあげた。
そして、先輩が今眠っているこの施設がそのアジア支部となっている。
ただ、いまだ何の進展もなくあの夜の出来事との因果関係も認められないまま12年が過ぎた。
でも、先輩と一緒に「奇跡の光景」を見た私だけはその事実を知っている。
先輩の両親の尽力により一縷の望みを繋げこの施設へ転院させることに成功してからも私に対する先輩への面会は断られていた。
その時には、それはこれからの私を思っての事だということは痛いほど伝わっていた。
それでも、私は何度も手をついて先輩の両親だけではなく自分の両親にも許可を求めた。
当然結果は思わしくなかったけれど……。
特に自分の両親からは、
「お前の気持ちも分かるが、それほど罪悪感を抱えてはあちらの両親にも余計な心労を与えてしまうだろう」
「高校生同士の恋愛に意固地にならず、ちゃんと将来のことを考え前を向いたらどうだ。きっとそのほうが暁君も安心するはずだ」
確かに、周りの大人達から見ればまだ高校生同士のお付き合いだったかもしれない。
けれど、私には先輩が唯一の人だった。
そして、ついに頑なな私の態度にそれで少しでも私の気が済むならと面会を許されたけれど、それは単に現実の辛さを実際に体験して諦めてもうらおうという思惑もあったという。
そして、その思惑は半分当たっていた。
ついに叶った先輩との再会。
言葉に出来ないほどの感情が込み上げてきた私は、ただただもう一度先輩に会えたことの感謝に涙した。
先輩が生きていてくれるなら、何があっても乗り越えられる。
自分なりに覚悟していたつもりだったが、けれどその想像を遥かに上回る壮絶な日々の幕開けだった。
案の定、私は周りの大人達が危惧したように、先輩の病室を訪れるたびに段々と磨り減っていき、先輩への想いとは裏腹に贖罪の気持ちや他の……経験したこともないような感情がごちゃまぜになっていた。
あの夜私が観測会に誘わなければ、あんな事を願わなければ先輩は……。
自分を責める思いが幾度となく繰り返され、私の心を蝕んでいた。
それから数年の間、先輩の両親とも自分の両親ともお互いの幸せを願う気持ちが時には激しくぶつかり合い、衝突することも少なくなかった。
それでも、あれから12年。
本当に色んな事があったけれど、私は今もこうやって先輩のそばにいる。
◇◆◇
感傷に浸りすぎてしまったのか、病室に戻ると先輩のお母さんはすでにいなかった。
机の上に用事があって今日は帰るとの書き置きがあった。
私はベッド脇の椅子に陣取ると、先輩の手をとりマッサージを始める。
不思議な事にこれだけ眠ったままでも、先輩の筋力や心肺機能はほとんど落ちることもなく、12年前の姿そのままだった。
「若いままは羨ましくもありますが、どうですか? 私この12年でずいぶん綺麗になったでしょう?」
医療が劇的に進歩したとはいえ、不老は夢のまた夢。
このことも、研究対象として治療費は施設が全額負担しているらしい。
「悔しいですか? 私だけ先に大人の女性に成長して。そういえば、先輩は私のこと、ずいぶん子ども扱いしてましたもんね」
「先輩は……、年上の女性は好きですか?」
「好きですよね? 実は先輩がこっそり年上のお姉さん系グラビアを隠し持っていたこと、先輩のお母さんから聞いちゃいました」
マッサージを施しながら、先輩に笑い掛けてみる。
「先輩は、どんな夢を見てるんでしょうね? 私の……」
最近、たったひとつだけ分かった事もあった。
なんでも先輩は頻繁に、夢をみているらしい。
「私の、夢……だったら、いいな」
ふいに瞳の奥から熱いものが込み上げてくる。
「あれ、おかしいな? さっきまで平気だったのに……。先輩のお母さんが先に帰ったりするから……、ちょっと寂しくなるじゃないですか」
何年も眺め続けても変わることのない、穏やかなに眠り続ける先輩の顔がぐにゃりと歪む。
先輩の掌を自分の頬に添える。
その温かさが唯一の救いのようで縋りつかずにはいられなかった。
何度、こうやって先輩に語りかけたか。
何度、奇跡を願って涙を流したか。
「……っ」
どうして、あの夜同じものを見たはずなのに、私だけ置いていったの?
どれくらいそうしていただろうか。
吹き荒ぶ感情の嵐はやがておさまり、先輩の寝顔と同じように凪いだ心をそっと抱きしめる。
きっと先輩が眠り続ける理由と、あの夜聴いた「彗星の歌」と関係がある。
――なぁ、なんで彗星は太陽系を廻って、76年周期で地球に近づくと思う?
先輩のあの言葉の続きは何だったのか、今なら少し分かるような気がした。
だから、きっと先輩は帰ってくると信じている。
その時、私はもうおばあちゃんになっているかもしれない。
「でも、一生懸命努力して綺麗なおばあちゃんでいるから、たまにお茶を一緒に飲むくらいは付き合ってくださいね」
私はそっと体を乗り出した。
滲んだ涙が先輩の頬に落ちる。
何度、こうやって眠れる先輩に目覚めのキスをしたんだろうか。
祈るように、誓うように、願いが叶うその日まで。
死がふたりを分かつまで。
――ねえ、先輩。私ずっと考えてた事があるんです。
彗星は一体何を歌っているのかなって……。
「明日はちょっと遅くなるかもですが、仕事帰りにまた来ますね」
私は今、自分の名前と同じ道に進んでいる。
まだまだ駆け出しだけど、いつか私の音色が先輩へ届くように。
◇◆◇
幾億光年の太陽系を、大切な想いを乗せて彗星は巡る。
星霜の中で見るは、いつか愛しい君のもとへと帰る夢。