もうひとつ、我が儘を言います
ソフィアさんが最近明るい。
いや、表に出る態度はいつも通りなのだけれど、なんとなく接し方が優しいというか、染み出ているのである。
仕事が遅れるとジト目が飛んでくるのはいつも通りだが、いい傾向だと思う。
「……アキラ様」
そして今日、というより今夜、俺とソフィアさんは二人きりの当直を楽しんでいる。
兵站局には俺ら以外は誰もおらず、ペンを走らせる音やソフィアさんの息遣いと声だけが響いていた。
「なんです?」
「コレット様の件、ありがとうございました。私の我が儘なのに……」
「いいんですよ。兵站局的にもメリットはありましたし、ソフィアさんの頼みですし」
コレットは確かにポンコツスパイだったが、彼女は人類軍で教育を受けた身でもある。
彼女が持っている人類軍の情報は、魔王軍の防諜能力や治安維持能力の強化に繋がることだ。
そうすれば、かねてより問題になっていた銀蠅問題も改善するだろう。
「ま、彼女は曲がりなりにも軍法会議で『無期限の奉仕活動』が言い渡された身です。言う程自由な身というわけではないですし、相当コキ使うので覚悟しとくよう伝えてくださいね」
「はい。わかっています」
とはいえ、犯した罪、スパイ活動をした罪に比べれば安いもんだろう。
それよりも、だ。
「私としては、今回のコレットさんの減刑で方々に根回しをした結果、大量の借金が出来たことですが」
「……借金? お金を借りたんですか?」
「モノの喩えですよ。言うなれば貸し借りです」
借りを作ってしまった代表は憲兵隊だ。
クレーメンスさんに言った通り、憲兵隊がコレットさんの減刑措置をする代わりに、前から憲兵隊との不和の問題になっていた「兵站局による定期訓練、屁理屈こねてサボり問題」に妥協することで、折れてもらった。
また軍刑務所の運営に関しても手を付けないとしてしまったので、しばらくはその方面に関しての改革を行えない。
かくて憲兵隊の権益は守られた。
おかげでクレーメンスさんとの仲は微妙なものになった。喧嘩売ってるのはいつもこっちからだから、悪いのは当然俺だ。
しかしそんなことより重大なことが、もうひとつ。
「一番ヤバイのは……魔王陛下かもしれません」
「ヘル・アーチェ陛下ですか? 確かにアキラ様は陛下に上申して、例の軍刑務所運営権の委譲に関して書類を書いてもらいましたよね。まさかあの時……」
「えぇ、条件を付けられました」
曰く、
『私はペルセウス作戦の時、君に助けられたという大きな借りがある。その借りは、あの大震災の時に君を庇うことによって返した。そうだな? つまり君と私の間には貸し借りはない。
だから……今回の件は「貸し」にしておくよ。近いうちに返してもらうから、楽しみに待ってくれよ?』
と。
「……悪い予感がします」
「私もですよソフィアさん。仕事の予感です」
何か兵站局が嫌がる、とっても大変な仕事を押し付けられそうな気がしてならない。
戦争でもおっぱじめるつもりだろうか。
「コレット様を助けたばかりに……申し訳ありません」
「だから気にしないでくださいって。ソフィアさんの我が儘を聞くのも、私の仕事ですから」
大変なことは確かだ。でも後悔はしていない。
コレットさんも罪を償うために必死に人類軍にあらがうだろうし、これでいいのだ。
「…………ありがとうございます」
ソフィアさんはそう言うと、何かを思いついたのか、はたまた何かを思い出したのか、ふと口元を抑えて考え事をした。
なにかと思って彼女の言葉を待っていたら、一分ほどでやっと言葉が放たれた。
ちょっと顔を赤くしたソフィアさんから。
「あの、アキラ様」
「はい」
「……我が儘ついでに、もうひとつ、我が儘いいですか?」
「いいですよ?」
ソフィアさんが我が儘を言ってくれる。それに幸せを感じる。
我が儘ばかりも確かにダメだけど、好きな人に遠慮されるのもまた残念だから。
ソフィアさんは数十秒黙り込んだ。我が儘を言うのを躊躇っているのか、「ま、まずはお茶でも……」と言ってお茶を出してくる。
かわいい。
「……それで、なんです? 我が儘って」
「それは……その……」
もじもじするソフィアさん。意を決したその言葉が出てくるのに、さらに数十秒かかった。
彼女は興奮した様子で、しかし声は極力抑え、音程はやや高めで上ずり、顔は真っ赤だ。
「その――き、キスを、して、くれますか?」
…………。
うん。
「うん?」
「あ、あの、なんでもないです。やっぱり……」
「いいですよ?」
「ふぇっ!?」
こんなかわいいソフィアさん見せつけられて「ダメ」と言う選択肢はないだろう。
むしろ望むところである。
「ソフィアさんが嫌ならいいですが」
「あ、いや、その……して、ください……」
ソフィアさんの、白い肌で覆われた顔は茹蛸のように赤くなっていた。
俺が椅子に掛けている状況なので、ソフィアさんが腰を落とした。
すぐ目の前には、ソフィアさんの持つ綺麗な銀の髪と、金の瞳、そして桃色の唇。
「あの、嫌だったら言ってくださいね?」
「嫌じゃないです」
「口臭が気になったら――」
「いい匂いですよ」
「はぅ……」
ソフィアさんの腰を抱き、一気に引き寄せる。
お互いの鼻や額がくっつく距離にまで、顔は近づき、彼女は目を閉じた。
そして―――――、
「イヤッホウ! アキラちゃーん! 遊びに来たよー!! 起きてるぅ!?」
「れ、レオナさん、夜中にそんな騒いだらまたソフィアさんに怒られるよ……」
喧しいドアの開放音と共に、五月蠅いレオナの声と天使のヤヨイさんの声が入ってきたのである。いや本当に五月蠅い。距離があるのに鼓膜が破裂しそうだ。
「や、やぁレオナ。こんな時間に珍しいな。しかもヤヨイさんまで」
「ちょっと二人で新兵器の構想練ってたところでさー。アキラちゃんにも意見聞くついでに新しく購入する設備の事も相談しようかと思ってさ! はい、これリストね」
「だからってヤヨイさんを連れ回さないでくださいよ。時間が時間なんですから」
良い子は寝る時間。
レオナは悪い子だからまだしもヤヨイさんは寝なきゃいけない時間だ。
騒ぐレオナを余所に、ソフィアさんは自分の席でいつものように淡々と仕事をする。
その図太さは見習い所である。
一方、レオナに連れてこられたヤヨイさんは、
「………………」
「どうしたんですかヤヨイさん。ねむいんですか?」
なぜか黙り込んでいる。
ついでにじーっとこちらを見つめて。
その後数秒挟んで、やや低い声で言い放った。
「……くちびるのよこに口紅ついてる」
…………セーフ。
ありがとう火曜サスペンス。結構聞いたことのある台詞だ。
「ヤヨイさん、何を言っているんですか? そんな古典的な罠に引っ掛かる人なんて、今の時代どこにも――」
いない、と言いかけた時、ヤヨイさんとレオナの首がほぼ同時に横を向いた。
釣られて俺も、彼女らの視線の方向を見ると――、
「……? ??」
『あれ? 私口紅なんてつけていましたっけ?』とでも言いたそうな顔をしながら必死に唇を拭っているソフィアさんの姿があった。
「………………!!」
そしてジト目×六に気付いたソフィアさんは、それがヤヨイさんの用意した罠であることをようやく理解し、耳まで赤くして執務机に突っ伏してしまった。
「「…………」」
俺とヤヨイさんは黙り込み、
「きゅぴーん!」
レオナは何かを閃いてしまったらしい。
「そう言えばさっき、憲兵隊のクレアちゃんだっけ? とすれ違ったわよ」
「…………」
レオナの癖に、交渉の仕方を心得てやがる……!!
「ところでレオナ」
「なーに?」
彼女は良い笑顔で、俺の執務机に頬杖をつく。少し可愛いのが悔しい。
「新しく買う実験設備のリスト……記入漏れとかないよな? 本当にこれだけか?」
「! ……あぁ、そう言えばあるかもなー。ね、ヤヨイちゃん?」
「ある」
笑顔を見せるレオナと、何か不満気に頬を膨らませるヤヨイさんの脅迫によって、金が天へと昇ったり巣立ったりしてしまったわけである。
最終的に局員に振る舞う酒を無償で譲渡することになったところで、ようやく「記入漏れ」の申告が終わった。
「ま、私はなにも見てないわ」
「私もなにも聞いてない……」
ヤヨイさん、恐るべし、である。
なおソフィアさんは机に突っ伏したまま、その後十分程は動かなかった。
用が済んだのにも拘わらず、二人はその後も兵站局に残った。
レオナはマシンガントークを続けて、ヤヨイさんはじろじろとこちらを見て多くは語らない。
挙句の果てに、ヤヨイさんは「ひざ」と短く言うと、俺の膝の上にちょこんと腰かけ、そしてそのまま子供のように(子供だけど)寝入ってしまった。
この時には既にソフィアさんは立ち直っていたため、私は漏れなく彼女のジト目を一身に浴びている。
「罪な男だよね」
楽しそうにニマニマと笑うレオナの顔を殴ってやりたいと思うのは俺だけだろうか。
「ヤヨイさんはともかく、レオナはもう帰ったらどうだ? 今何時だと思ってる」
「まだ夜の二時よ。それに私の目的はコレ!」
彼女がそう言って鞄から取り出したのは、いつぞや見たラジオ。
人類の発する放送電波を拾うための装置だ。
「これがどうした?」
「何言ってるかわからないから翻訳して! 人類の言葉わかるのアキラちゃんくらいだから!」
「人を便利屋扱いしやがって全く……」
「あのこと言いふらしちゃうわよ?」
「来年度の予算ゼロな」
「ひどーい!」
人の弱みに付け込んで強請るレオナの方が酷い。
ラジオの放送は特段面白味のあるものではない。
ニュース番組をやっているらしく、マクレスターFCというサッカーチームが土壇場で三部降格を回避したとか、選挙の結果与党がボロ負けして近く政権交代が起きそうだとか、その手の放送ばかりだ。
「つまんないわねー。もうちょっと面白いのないの? タイムトラベルが可能になったとか!」
「俺のいた世界でもなかったよそんなの。それはさておき、俺は寝ちゃったヤヨイさんを設計局に送り届けないと。流石にここに置いておくのはまずいから、ソフィアさんは留守をお願いできますか?」
「え、あ、はい、畏まりました。」
ヤヨイさんを抱き上げて、ミサカ設計局へと向かう。
「あら意外。アキラちゃんはソフィアちゃんと夜中デートしたいんじゃないかと思ったのに」
「それはない。まだ仕事の途中だから、やるなら仕事の後にする。あとレオナ、留守中に変な事するなよ?」
「しないわよ!」
まぁ、したらさっきの強請が意味なくなるし、それにソフィアさんもいるしな。
「んじゃ、行ってくるよ」
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アキラがヤヨイを送り届けるため兵站局を出ると、部屋は静まり返り、ソフィアとレオナの息遣い、そしてラジオの音声だけが響いていた。
「ねー、ソフィアちゃんつまんなーい」
レオナはアキラの執務机に腰掛け、暇そうに足をぶらぶらとさせる。
「そうですか」
「初キッスの味はどうだった!?」
「…………」
「反応してよー!!」
一方で、ソフィアはレオナの言葉に反応せず、淡々と執務をこなす。時たま前線から緊急の物資支援要請の連絡が来ては、ソフィアは素早く対応した。
自然と、レオナはやることがなくなる。
しかし仕事の邪魔をするわけにもいかない。
だから彼女の相手は、未知の言語を利用して各地域に放送を流すラジオの音声のみ。
『――いてのニュースは――学――す』
「ねぇ、ソフィアちゃん。これなんて言ってるの?」
「すみません、今仕事中なので」
「ぶー……」
レオナは頬を膨らませ、何を言っているかわからない、雑音の多いラジオに耳を傾ける。
『「E=mc^2」という――な公式で著名な――ルム・アイン――タイン教授は、本日、―――で開催され――――おいて―、一般―――理論を発表し――』
「もう、何言ってるか全然わからないじゃないの!」
フラストレーションの溜まったレオナは、ついにラジオを殴った。
その勢いが余りにも強かったのか、ラジオは机から落ちてしまい、派手な音と共に、ラジオは物言わぬ存在になってしまった。
「あ、やばっ……」
「何をやっているんですか、カルツェット様は……」
「えへ、へへへ。ちょっと壊しちゃって……か、開発局に戻って直してくるから待っててね」
「ごゆっくりどうぞ」
「この天才レオナ様にかかればこんなものすぐ直せるわよ!」
そう言って、レオナは兵站局から慌ただしく出て行った。
だが彼女がその日のうちに戻ってくることはなく、またラジオが音を鳴らすことは、二度となかった。
魔王暦一〇七〇年。
この年、一人の凡才が、魔王軍内において淡々と事務処理をしていた。
正暦一八八一年。
この年、一人の天才が、人類の科学の歴史を一気に前進させた。
どちらが最終的な勝利へと結実させることとなるのか、この時点でそれを予見する者はいない。
やっと3-3/3-4章が終わりました。
本章だけで9万字。プロット書かなかった結果がこれだよ。
次からはもっと短くしたい……でも案がない……。
しばらくお待ちください。




