信長にまつわる 其ノ十四
土岐氏一日市場跡。
明智光秀の祖とされる土岐明智氏、
美濃源氏発祥の地とされる場所。
二つの光秀出生地、恵那と可児のちょうど中間に位置する瑞浪は
光秀にとっても意味のある場所だったはずである。
「昨日、ネットでここを見つけたんだ。
さらに、この近くには鶴ヶ城跡もあるはずなんだ」
「鶴ヶ城跡ですか?光秀と関係あるんですか?」
野中が尋ねる。
鶴ヶ城についてはよく知らない。
しかし私は何らかの手がかりがある気がしていた。
土岐氏一日市場跡を出て私たちは鶴ヶ城跡を探すことにした。
一日市場跡から旧19号線を恵那方面に向かい車を走らせていると、
間も無く鶴ヶ城跡の看板を見つけた。
「ここだな」
私は案内板に従い車を国道から脇の道へと進めた。
中央自動車道と並行して続く道を進み、坂を上り行く先の頂上は
中央自動車道を見下ろすほどの場所にでる。
そこには鶴ヶ城跡と書かれた石碑があり
さらに、そこから山道を歩いて本丸跡まで向かう。
その途中には井戸の跡もあり、現在も水が溜まっている。
本丸跡に辿り着くと、そこには説明看板が設置してあった。
野中が看板に駆け寄り私を呼んだ。
「国素裸さん。見てください。
ここには信長も来たことがあるみたいですよ」
確かにそこには、信長、信忠
親子も本城に入城したと書いてある。
「やはり、ここは信長にゆかりがある城だったんだ」
しかし、そこにはそれ以上の情報はなかった。
説明看板より少し離れた場所からは眼下を臨める。
中央自動車道さえ見下ろすその場所に立ち
信長、そして恐らく光秀も眺めたであろうその地に佇み、
かつての武将たちの見た夢を想像し鑑賞にひたる。
強者達は何を考え何を望んだのだろう?
この場所でも天下の想いを語りあったのだろうか?
それは今では知り得ぬ過ぎ去りし時の夢の跡なのだ。
「ここで手掛かり、あわよくばこの地に埋蔵金があれば
と思っていたが、やはり甘かったな・・」
特に手掛かりがつかめなかった私たちは、本丸跡を去り下山した。
登山口の石碑まで下りてきた時、
地元の人と思われる方と遭遇した。
私たちは鶴ヶ城のことをいろいろ尋ねてみた。
この城は主郭から2つの尾根が延びており、
それぞれに出丸と呼ばれる大きな郭が存在していた。
これが鶴が羽を広げた形状に似ているということで
鶴ヶ城と呼ばれるようになったそうだ。
さらに、信長が天正10年(1582年)甲斐へ侵攻した際に
鶴ヶ城に宿泊していたという記述があるという。
信長、光秀。
この2人が関係していると思われる鶴ヶ城。
確かにここに埋蔵金につながる何かがある。
そんな気がしていた。
地元の方から、さらにおもしろい話しを聞くことができた。
なんでも、鶴ヶ城があった山の裏手には村があり
かつて鶴ヶ城の武士であった者達が城の裏側を
守る役目を担い移り住んだという。
その村がある町の名を聞き、私たちは驚いた。
その町の名が、日吉町。
「国素裸さん。
日吉って!?」
「ああ、密書に書かれてた日吉の文字はおそらく
この日吉町だ」
「秀吉の幼少期の名が日吉丸といのは
無かったらしいですね。後から創作されたものみたいです」
「となると、やはり密書の日吉というのは
日吉町、もしくは日吉神社の可能性が高い」
「日吉神社ですか?」
「日吉町というぐらいだから
日吉神社もおそらくあると思う」
私たちは地元の方にお礼をすると
鶴ヶ城の裏手になる瑞浪市日吉町に向かうことにした。
信長の埋蔵金に近づいている。
そんな予感がしていた。
「でも、鶴ヶ城の武士達ってどんな人達はだったんでしょう?」
野中が疑問を投げかける。
「おそらく普段は農民として暮らして、
なにかあった時は城に駆けつけてたんだろう」
「だとすれば、武士達の子孫がいるかもしれませんね」
「山県市の荒深の子孫もいたしな・・」
「国素裸さんは、そこに手がかりがあると
考えてるんですよね?」
「条件的には十分ありえる。財産を隠すとしたら
分かりやすい岐阜城や安土城などには隠しておかない。
かと言って全く無縁の場所も考えにくい。
ここなら見つかりにくく、信長、光秀
共にゆかりがある」
「光秀が信長の財産を隠したと
国素裸さんは思ってるんですか?」
「おそらく信長は生きていた。それを隠すため光秀は
持てる知能をフル活用してその事実を隠した」
「信長の生きてる痕跡を隠すことに必死で
自分が生きていた証拠を隠しきれず
現代までいろんな光秀の伝説が残っったてことですよね」
「信長は本能寺の変の後、数年は生きていたんだろう。
その後、光秀が信長の財産を隠した。
そう考えられる」
信長の埋蔵金の謎は進みゆくこの先に必ずあるはずだ。
そんな期待を胸に鶴ヶ城の裏手に位置する日吉町に向かうのである。




