信長にまつわる 其ノ八
静かに水がせせらぎ、静かに風が吹き
そんな木漏れ日さす小道を私と野中は歩いていた。
本能寺の変の真実を語りながら。
「そんな・・信長の自作自演って・・・」
野中は私の推理に戸惑いを隠せない様子だった。
「さっきも言ったように屏風には
イエズス会の手の者と思われる男達が描かれている。
これは信長が常に監視下にあったことを示している。
信長は宣教師たちを優遇していた節がある。
それはキリスト教を信仰していたからではなく
日本との圧倒的な技術差のある海外の力を利用しようとしていたからだ」
「それが鉄砲などですよね」
「そう。
だが信長は自らが神になろうとした」
「それによってイエズス会の怒りを買った」
「イエズス会は信長を暗殺しようと考えたのだろう」
「だったら黒幕はイエズス会じゃないんですか?」
「いや、確かにイエズス会が暗殺を計画していたかもしれない。
秀吉を実行役にして」
「秀吉を?光秀ではなく?」
「これを見てくれ」
私は野中に写真を手渡した。
野中は立ち止まり写真を受け取った。
「これは?」
「長篠合戦図屏風の写真だ。設楽原歴史資料館の。
信長を見てくれ」
「あ!白装束の男達がいない!
どういうことですか?」
「じゃあ徳川家康を見てくれ」
「!!!!
家康の側にいました!
でも、さっきの屏風には居ませんでしたよ?」
「長篠の合戦が教科書に載り我々の常識となったのは
信長公記に記されていたからだ。
信長公記は秀吉が書かせた物だとも言われている」
「聞いたことあります。信長の活躍を書かせた物だって」
「だから本来は長篠の戦いは徳川家康の戦で、
信長は加勢だったにも関わらず
信長の戦のように書いてあるんだ。
そして屏風絵も秀吉が描かせた。
名古屋市博物館、あそこにあったものが真実。
あとは秀吉の命によって生み出された」
「秀吉の都合のいいように書いたってことですか?」
「秀吉にとって家康はライバルだ。その家康を陥れるためと
信長がイエズス会と繋がりがあることを隠すために
屏風の信長の側の白装束の男達を家康の側に書き換えたんだ」
「つまりそれが、秀吉とイエズス会が繋がっていた証拠」
「イエズス会は秀吉を信長の後釜に考え、
秀吉を使って信長を暗殺しようとしていた。
それに気付いた信長は光秀と共に自らが死んだことにする
自作自演を計画した」
「それが本能寺の変!」
「江戸幕府が黒船の驚異に怯えあっさり開国し不平等条約を結んだ。
それは外国と日本の圧倒的な力の差があったためだ。
信長も外国、つまりイエズス会の恐ろしさは分かっていたはず。
逃げれられないと悟った信長は光秀に相談したのだろう。
そこで自らが死んだことにする計画をたてる」
「それなら信長の死体が見つからなかったことの説明もつきます。
信長はそもそも本能寺に居なかった」
「死体が見つからなかった説も様々ある。
だがどれも納得できなかった」
「爆死説は考えにくいですよね。
家臣が首だけ持って逃げたっていうのもありますよ」
「明智光秀は1万3千の兵で本能寺を攻めたんだ。
そんな数の兵が本能寺を取り囲んで本当に信長の首を逃すと思う?
何が何でも手に入れたい信長の首は絶対に逃したりしない。
首を持って逃げるのは不可能だ」
「確かにそうですよね」
「つまり信長は本能寺で死んでいない。
そして光秀も山崎の合戦で死んではいない。
二人共死んだことにして生き延びたんだ」
岐阜城が臨むお膝元で本能寺の真実を推理する私に
野中は終始驚きを隠せず目をまあるくしていた。
「少し整理させてくだい」
少し混乱気味の野中はそう切り出した。
「つまり、イエズス会が秀吉を使い信長を暗殺しようとしていた。
それに気付いた信長は光秀と共に自らを死んだことにする為
本能寺の変を起こした。そして信長も光秀も実際には死んでいなかった。
と、いうことですよね」
「信長と光秀の不仲説も秀吉が作り出した偽の歴史という可能性も
十分有りうるわけだし、そうならば光秀が信長の為に
壮大な計画を立てたとも考えられる。
それが現在、謎とされている光秀の動機になるうえに
信長の死体が見つからなかった説明にもなる」
「だとすると、殺された光秀は影武者?」
「実は殺された光秀は影武者だったという説はいくつかある。
ちなみに光秀を討った秀吉は本能寺の変の僅か二日後に急遽、京へと兵を返した」
「世に言う中国大返しですね」
「これも実に不自然ではあるが、あえて光秀が本能寺の変のことを
秀吉に流していたとすれば納得できる」
「それも計画の内・・」
「そうすることで光秀自身も死んだことにできるからだ」
新たな歴史の真実に頭上より語らず見守る岐阜城は
今もまた静かに2人を見つめているかのようだった。