表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
歴史と謎  作者: 村背博秋
第2話 「信長にまつわる〜前編〜」
16/37

信長にまつわる 其ノ六

小早川の話に野中は驚いた。

信長は自らが神になろうとしていたのだ。


「そう考えられています。更に信長が安土城内に建立こんりゅうした寺に

神が宿る石とされる盆山ぼんさんまつったと言われています。その盆山に宿る神が

信長自身だとしたそうです。その盆山を人々に礼拝れいはいさせた。

それはキリスト教に対する挑戦だったと捉えられています」


「そうすることで自らが神になろうとした・・・

でもそんなことをしたら、仏教徒やイエズス会の怒りをかうことになるんじゃ?」


「はい、イエズス会宣教師バリニャーノやルイス・フロイスは

神をも冒涜する所業とも思っていたようです。

信長が死んだ後、

信長は神の怒りをかい地獄に落ちたとまで言っていたそうです」


「ということは、安土城は単なる城ではなく

信長が神になるための言わば象徴だったのですね」


様々な話を聞き、野中は安土町を後にし愛知へと戻った。


すでに日は暮れ始め、辺りは闇に包まれかけていた。

私と野中は愛知県内のホテルに宿泊する予定で、

そのホテルのロビーで待ち合わせしていた。


フロントでチェックインを済ませ後で食事にでる約束をし

それぞれの部屋に入った。


土岐頼春ときよりはるより依頼を受けてから3日が過ぎた。

正直、信長の埋蔵金に関してまだ何も分かっていないのが現状だった。


ロビーで野中と待ち合わせをし食事にでた。

土岐頼春より経費は貰っていたが、贅沢などせず居酒屋で済ませることにした。


居酒屋で私たちはお互いに、これまで分かったことを報告しあった。


「お疲れ様でした。野中さん」


「ありがとうございます。国素裸くにすらさんも」


「ありがとう。で、どうだった?」


「長浜城歴史博物館には長篠合戦図屏風はありませんでした。

年に1ヶ月だけ公開するそうです。

時期が違ったので見ることが出来なかったです」


「そうなんだ」


「でも、その後立ち寄った安土城郭資料館に

長浜城歴史博物館に所蔵されている合戦図屏風の写真が載った本がありました。

それがこれです」


野中は1冊の本を取り出し私の前に差し出した。

私はパラパラと本をめくり屏風の写真が載ったページを開いた。


「なるほど、これが長浜城歴史博物館所蔵の合戦図屏風か」


私たちの知る合戦図屏風ではあるが、なんとなく暗い印象を受けた。


野中は話を続けた。


「その後、安土城天主 信長の館に行ってきました。

安土城の5階、6階を再現したものがあって圧倒されました。

そこで館内の案内をなさってる方がいたので

いろいろ聞いてきました」


私は野中から信長の館での話を詳しく聞いた。

それによると、信長は朝廷のみならず神をも超えようとしていた。

そしてそれによって、キリスト教を世に広めようとする

イエズス会とも決別していたとも考えられる。


「なるほど・・となると、もしかすると本能寺の変の真実は・・」


国素裸くにすらさん、なにか解ったんですか?」


「僕はまず、設楽原歴史資料館に行ってきたんだけど

そこで分かったこと、長篠の戦いは我々が知るような規模ではなかった」


「長篠の戦いはなかったと考えてもいいということですか」


「そういうことになる。

その後、犬山城いぬやまじょう白帝文庫はくていぶんこ歴史文化館れきしぶんかかんへ行ってきた」


「白帝?」


「犬山城の別名だよ。白い城だったからそう呼ばれてたらしい。

そこにも長篠合戦図屏風はあった。その写真がこれだ」


私は写真を野中に手渡した。


「ずいぶん、明るい色使いですね」

野中は写真を片手に、それでも食べることもやめず。


「おそらく、屏風を見本に現代で描いたものじゃないかな」


「ここで何か分かったんですか?」


「まぁ、いろいろとね。関係者の人に話しも聞けた。

前田さんって方なんだけど、明智光秀に詳しくて

光秀について聞かせてもらった」


「光秀がなぜ謀反を起こしたかわかったんですか?」


「いや、僕なりの推理はあるがまだ確信がもてない。

ただ、本当に光秀は謀反を起こしたのか?

そこが少し疑問に思えてきた」


「どういうことですか?」


「前田さんに聞いた話では光秀が残した文書もんじょ家中軍法かちゅうぐんぽうというものがある。

その軍法の最後には忠義と感謝の気持ちが書かれているという。

その文書が書かれたのが本能寺の変のちょうど一年前、

天正九年六月二日」


「少なくとも一年前まで光秀は信長に忠誠心があった」


「そういうことだ。それで少し分からなくなった」


国素裸くにすらさんの推理では本能寺の変の真実はどんなんですか?」


「その前に行きたいところがある」


「どこですか?」


「岐阜だ」


「岐阜?」


「岐阜市歴史博物館に行こうと思っている。

僕の推理はその後で話すよ」


私たちは翌日、岐阜へと向かうことにした。

信長が名付けた岐阜。

そこに全ての始まりと終わりがあるような、そんな気がしていた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ