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歴史と謎  作者: 村背博秋
第2話 「信長にまつわる〜前編〜」
13/37

信長にまつわる 其ノ三

ー愛知県ー


ここは徳川美術館である。

昭和10年に開館した徳川美術館は名古屋市にあり、

徳川家康の遺品を中心に、

歴代の将軍の愛用品などが収蔵されている。


私と野中は美術館の中を見てまわった。

様々な品や場面が再現されている館内をまわると

歴史の中にとけこんだような、そんな気がした。


「徳川家康が中心だから信長に関するものは少ないかもしれませんね」

館内を見学しながら野中が話をふった。


「長篠合戦の屏風があればとりあえずは・・

あと出来たら本能寺の変に関しても何かあれば」


国素裸くにすらさんは本能寺の変をどう解釈しますか?」


「本能寺の変では大きな謎が2つある」


「なぜ明智光秀が主君、織田信長を討ったか・・ですね」


「それが1つ。そしてもう1つの謎が織田信長の遺体の行方」


「様々な説が唱えられていますよね?

信長の家臣が首だけを持って逃げたとか、

本能寺は実は火薬庫で信長は髪の毛ひとつ残らず吹っ飛んだ、とか」


「ああ、でもどの説も有力ではない。

例えば火薬で吹っ飛んだとすれば、本能寺自体とんでもない

爆発だったと考えられる。おそらく当時としては

誰も見たことのない規模の爆発だっただろう。

天変地異でも起きたような爆発だったなら、

その時の様子を記した様々な資料が発見されてもおかしくはない」


「でも、そんな資料はない。

爆死説は考えにくいということですね」



私と野中は一通り館内を見てまわった。

しかし長篠合戦図屏風どころか、信長に関するものもなかった。


「おかしいな・・ここにあると聞いたことあるんだが・・」


美術館の方に尋ねてみた。


「おそらく、企画展示ですね」


「企画展示?」


「はい。期間限定で特集を組んで展示してます。

以前、そういった企画展があったかと思います」


「では今は見ることができないと?」


「申し訳ございません」


的は外れたが、家康に関わる貴重な展示品を目にすることが出来ただけでも

入館料を払っただけの価値はあったと感じた。


少し風の強い、青く澄んだ快晴の日。

私たちは徳川美術館を後にした。


「美術館の方の話だと、長浜城歴史博物館に

長篠合戦図屏風が収蔵されているって言ってましたよ」

野中は少し楽しそう言った。

歴史を辿ることがよっぽど好きなんだろう。


「長浜?滋賀県か・・でも長篠合戦図屏風ってそんないくつも

存在してるのか?」


「全部で八つ確認されてるそうです」


「そうだったんだ」


信長に関しては割と詳しい方だと思っていたが

まだまだ知らないことはたくさんあるようだ。


だからこそ、面白いともいえるのだが。


「滋賀県いきますか?」


「いや、この近くに名古屋市博物館があるんだ。

そこに寄ってみよう」


私と野中は車に乗り込むと、徳川美術館よりほど近い

名古屋市博物館に向かった。


道中の車内でも信長の謎について話は尽きなかった。


「明智光秀が信長を討ったのは明確だ。

問題は光秀の単独だったのか、それとも黒幕がいたのかだ」


私の言葉に野中はうなずきながら応えた。

「単独だった場合、考えられてる大きな説としては

怨恨説えんこんせつと野望説ですよね」


「怨恨説は光秀が信長の対応に怒りを溜めていた。

そしてその怒りが爆発したのが本能寺の変。

でも、この説には疑問がある」


「徳川家康をもてなす際に光秀が不手際を起こし

家臣達の前で信長に足蹴あしげにされたとかって話しも

本当はなかったというのが有力ですしね」


「それ以外の説も信憑性しんぴょうせいは低いと言われてるものばかりだ」


「怨恨説は考えにくいということですね」


「野望説のほうもかなり強引な解釈だと考えられてる。

例えば、光秀が本能寺の変の直前にんだとされるうた


"ときは今 あめが下しる 五月かな"


明智光秀は土岐氏ときしの流れをむ一族と言われている。

この詩の、ときとは土岐氏を指し

あめが下は天下、しるとは治めるという意味だという。


信長に代わり天下をとるという歌だと言われてきた。

だが、別の詩もあるという。それは


"ときは今 あめが下なる 五月かな"」


「下しると下なるの違いですか?」


「一文字違うだけで大きく意味は変わる。

しるとは治めるという意味だが、なるになると

雨の下にいるような苦しい時という意味になる」


「つまり、今は耐え忍ぶ時で時期がくれば光も指す、

そんな願いの歌ということになりますね」


「そうなんだ。ということは光秀が野望を抱いていた証拠はないことになる。

なぜなら、下しるの歌を謀反の証拠として出したのは秀吉だからだ」


「野望説も疑わしい・・と」


歴史談義は終わらぬまま車は名古屋市博物館へと向かう。

日本のそして多くの日本人の運命を変えてきた信長の謎は

私たちに何を与えてくれるのであろう。


そんな思いを胸に博物館へとたどり着く。


そこには新たなる事実が待ち構えていたのだ。


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