信長にまつわる 其ノニ
「私ももう歳です。人生の最後にもう一度、
浪漫を追いかけてみたくなったんです」
私と野中は事務所の一室で老紳士、
土岐頼春の話に耳を傾けていた。
「この密書に書かれてることが本当なのか。
信長の埋蔵金は本当にあるのか。だとすればそれはどこに存在するのか。
密書の謎を解き明かしてもらいたいのです。それが私の望みです。
今日はそれをお願いにあがったしだいです」
「そうだったんですね。わかりました。お引き受けしましょう」
私の返答に老紳士は頭を下げる。
「ありがとうございます。謝礼は後でお支払いするとして、
手付け金と経費としてこちらをお納めください」
老紳士はカバンをまさぐり紫色した布包みを取り出した。
その包みをゆっくり開け中身を私の前に差し出した。
それは100万円と思われる帯の巻かれたお札の束だった。
「すごい・・」
思わず声が漏れた野中。
「私は信長の埋蔵金が欲しいわけではありません。
ただ夢をもう一度見たいのです。
もし埋蔵金が見つかったとしてもお譲りしても構わないと思っております」
「もし見つかれば、それは歴史的価値の高いものです。
僕らが貰っていいものとは思ってません。しかるべき所に寄贈すべきでしょう」
「それはお任せします。お支払いの方は別に用意いたします」
これが本当に信長から濃姫に宛てた密書だとするならば、
それだけで歴史的価値は高いはずである。
私は歴史の一端に触れられただけでも素晴らしいことだと感じていた。
そして信長の謎を解くという大役に自分が選ばれたのだと、嬉しくもあるのだ。
「この歳です。あちこち飛び回るのは難しい・・
調べていただいて、ご報告いただければと思います」
老紳士は一通り説明を終えると最後に深々と頭を下げ、
事務所を後にした。
後に残されたのは100万円と密書のコピー。
「さて、どこから調べたものかな・・」
密書のコピーを手に私は考えていた。
その前のイスに座る野中。
「信長といえば本能寺の変が1番知られてますよね。
本能寺に行ってみたらどうかな?」
「確かに本能寺の変は調べる必要はありそうだが、
今、京都にある本能寺は秀吉が別の場所に建て直したものだ。
それに本能寺ともなれば多くの研究者やメディアが調べつくしてるはず、
あんまり行っても意味なさそうだが・・」
「それ以前に信長がどのタイミングで濃姫に密書を送ったかですよね?
濃姫は信長が本能寺で討たれた後に死んだとされてましたが
実際は本能寺の変から30年間、1612年まで生きていたと言われてますよね」
「少なくとも本能寺の変より前だが・・信長は死期を悟っていたのか?」
「もしかして信長は本能寺で変が起きることを知っていたんじゃ・・」
「やはり、本能寺の変は調べる必要がありそうだ」
「この密書の文字は、つなぎ合わせても意味は分からないですか?」
野中はコピーされた紙を覗き込みながら尋ねた。
「相当、汚れやシミ傷みは激しかったようだね。
所々しか読み取れなかったようだ。
でも、このいくつかの文字から真実にたどり着ける可能性はある。
例えば、この文字」
私はコピーの一つの文字を指さした。
「日吉と書かれている。
これはおそらく豊臣秀吉の幼少の頃の名、日吉丸のことだと思われる。
他にもここに明智とある」
「明智光秀ですね」
「おそらく。ただ、信長から濃姫に宛てた密書だとしたら
なぜ明智光秀の名が記されているのか?
やはり本能寺の変が関わってる可能性は高い。
そしていつ、この密書が送られたかを考えると
信長が光秀の謀反に気が付いていた可能性もある」
密書からは他にも、七や鶴や月入、歌、などの文字も読み取れる。
すると野中が一つの文字を指さした。
「じゃあ、この 五 という文字はなんでしょう?」
「五?・・・どこかで・・!!そうか!」
私は椅子から立ち上がりパソコンデスクにすわりなおした。
パソコンをカタカタと操作しながらある屏風絵をだした。
野中も立ち上がり私の隣でパソコンを覗き込む。
「長篠合戦図屏風ですか?」
「そう。この屏風絵の中に・・」
「あっ、ありますね。五の文字の旗が」
「パソコンでは分かりづらいな。
確か徳川美術館に展示してあると聞いたことがあったような・・」
「徳川美術館?どこにあるんですか?行くんですか?」
「徳川美術館は愛知県にある。
長篠の合戦に関しては他にも気になることがあるし、
明日にでも愛知県に行ってみるか」
「じゃあ、私も行きます」
「え!?でも大学は?」
「そんなのどうでもいいです。絶対、私も行きます。
さっそく明日の準備をしに帰ります。
置いてかないでくださいね。置いてったら怒りますから!」
そう言うと野中は自分のカバンを持って事務所を出ていった。
「・・・どうでもよくは・・」
また、半ば強引に押し切られてしまった感じだ。
いずれにしても明日は織田信長の痕跡をたどり愛知県に赴くつもりだ。
現代の人々を魅了し続ける信長の謎。
誰しもがその謎に引きこまれ、そこに何かを追い求める。
それは戦国の世を生き抜いた人々の意思を受け継ぐ、
現代の人々の性なのかもしれない。