信長にまつわる 其ノ一
「人間50年 下天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり」
時は天正10年 少し暑くなりかけた6月のこと。
場所は本能寺。
一人の男が炎を前にしてたたずんでいた。
織田信長である。
その男の目に映るは憎しみか悲しみか・・
少なくとも時代は、この男を見離した。
それから400年以上の時が流れた。
世は平成の時代。
とある街の、とある事務所の一室。
そこから物語りは、はじまる。
ある日の昼下がりのこと、
探偵事務所に一人の老紳士が訪ねてきた。
歳の頃なら70過ぎと思われるその男性は、
事務所に入るや深々と頭をさげた。
スーツを着こなし、いかにもお金持ちにもみえるそのたたずまいは、
決して傲慢になることなく謙虚さがにじみでていた。
お掛け下さいと、着座をうながす。
すると老紳士は座る前に自己紹介をはじめた。
「突然の訪問、失礼しました。
私は土岐頼春と申します」
深々と頭をさげるその姿に私もつられ頭をさげる。
「ご丁寧にありがとうございます。
僕は国素裸ちノニと申します。まあ、どうぞ」
そう椅子に手を差し出す。
その後ろから野中がお茶をだしながら挨拶をした。
「野中と申します。どうぞ掛けてください」
老紳士は再度、頭を下げ着座した。
「今日はどういったご用件で?」
私も椅子に座りながら用件を伺った。
老紳士はおもむろに説明を始める。
「私の家は代々続く旧家なのですが、
残念なことに跡取りに恵まれず、
私の代で家を処分せねばならんようなんです。
娘は一人おりますが嫁いでしまって・・
娘夫婦も子供に恵まれなかったので孫もおりません。
私もいつお迎えが来てもおかしくない歳になってしまいました。
生きてるうちにと思い家の物を整理、処分しております」
老紳士の話しはなおも続いた。
「家には古い蔵があるのですが、
私もほとんど立ち寄らぬ二階の奥を整理していた時のことです。
私は埃のかぶった古い箱を見つけました。
その箱の表面には、うっすらですが帰蝶
と書かれていることに気がつきました」
「帰蝶?」
「帰蝶って、織田信長の!?」
座っている私の横で立って聞いていた野中が驚きながら聞き返す。
「ええ、織田信長が正室、
濃姫こと帰蝶でございます」
「でも、なんで帰蝶の名が蔵の中の箱から?」
「私も初めは濃姫のこととは思いませんでした。
ですが箱の中から書状のようなものが出てきたのです。
かなり傷みが激しく破れている箇所も多かったのですが、
気になった私は書状を専門家に鑑定してもらいました」
私と野中は老紳士の言葉に聞き入っていた。
「すると、書状の年代が織田信長の頃のものとわかったんです。
もしやこれは密書ではないかと思い、
なんと書かれているかも解読していただきました」
「なぜ密書だとおもわれたんですか?」
「蔵で書状を見つけた時、
文字の一つが "埋蔵" と書かれているように見えたからです」
「埋蔵って、まさか信長埋蔵金ですか!?」
野中は食い入るように老紳士にたずねた。
「確かではありませんが、その可能性はあると私は思っております。
ですが残念ながら傷みが激しくいくつかの文字が読み取れただけでした。
そのいくつかの文字を見たところ、
信長が濃姫に財産を隠した場所を教えた密書ではないかと思ったのです」
そう言うと老紳士はカバンから書類を取り出した。
「こちらが、その密書と密書の文字を解読したもののコピーです」
その書類には見つかったと思われる密書と、
読み取れた文字を解読したものがコピーされていた。
「確かに信長は楽市楽座をおこなったり、
長篠の戦いでは三千挺の鉄砲を用意したりしてるところを見ても、
相当な経済力があったと思われます」
「埋蔵金があったとしても不思議ではないですね」
野中は私の言葉にうなずきながら少し興奮気味で私に語りかけてきた。
「そうなんだ」
「でも、濃姫って信長を恨んでたんじゃ?
そんな濃姫に信長が財産をのこしますかね?」
野中が思い出したかのように尋ねた。
「たしかに信長は濃姫ではなく側室の
吉乃の方をちょう愛していたといわれている。
濃姫は信長が敵対していた斎藤道三の娘で、
信長から情報を聞き出すための政略結婚だったという。
そのために信長を嫌っていたといわれるが、
信長は道三を実の父のように慕っていた。
道三もまた、信長に美濃の国を託したといわれている事などからも
濃姫が信長を恨んでいたというのも実は疑わしい」
「てことは信長から濃姫に宛てた書状があってもおかしくないってことですよね」
しばらく私と野中の会話を聞いていた老紳士はうなずきながら口を開いた。
「さすがにお二人ともお詳しいですね。これなら安心してお願いできます」
「そんなに詳しいわけではありません。常識の範囲じゃないです?」
「それだけ知っていれば大したものです」
織田信長は憧れる者も多い歴史の偉人である。
その信長に関する謎が私たちを待ち受けている。
新たな歴史の1ページを目の当たりにできる期待に私は満ち溢れていた。