8 時代をかたるもの
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大陸東部 トーロ・コロの集落 23日目 自機標準時0524 海抜20m
北緯30度 東経60度 ソータ・タッタの館から200mほどにある離れ
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私は何か悪夢を見ていた気がする。姿の見えない数多くの影が私を取り囲んで詰め寄ってくる正体不明の何か。
追い詰められた私は力の限り走りだそうとするが身体は重く全く進まない。苦しみに耐え切れず固く目をつむり叫んだ。
そこから急に意識を取り戻す。見知らぬ天井。
そうだ、ここはあの孤島ではない。
私は昨夜、トーロ・コロの集落内にあるソータ・タッタ戦士長の自宅の離れを借りて夜露をしのがせて貰ったことを思い出した。
ミャンも近くで高床に身体を預けて毛皮の外套にくるまって眠っている。
夜が明け始めようとしていた、離れの庵にも夜明けの日差しが伸びてきていた。
私は入り口に陣取って各種センサーに警戒待機状態を維持させながらTASを脱装せずにいつの間にか眠ってしまっていたようだ。HMDで時刻を確認して立ちあがろうとする、上手く行かずに転ぶ。
脅威の防御力を持つTASではあるがこの通り操縦者が熟練していなければ立ち上がることすら難しいただの置物、仰向けになってしまった哀れな亀だ。
未熟な私はTAS装備で横臥状態からの起立訓練が一番苦手なのだ。90kg近い装備を筋力だけで直立させるのは並大抵のことではない。
苦手意識はそれを忌避する意識を生む。苦手でも問題ない。私には優秀な相棒がいるではないか。補助人工知能Caesarを呼び出す。
「Caesar、パワーアクチュエイト駆動、起立補助」
そういった途端自らの動きに追随して転がり起きようとする私の動きに勢いと馬力が追加されうつ伏せになって4つ脚状態になり、そこからさらに直立状態になるまでスムーズに補助された。
つまりTASといえども搭乗者によって熟練の度合いがあり、使用者でなければ解らない苦労というのは普遍的に存在するのだった。
そういえば私の上官であるグレイ少佐は極限訓練で10G下でもパワーアシストなしで転がり起きていたな……彼は別格な気もするが。
「アイン、おはようございます。まず定期報告です。定時通信への反応はいまだありません、周辺5kmの3次元音響センサーの反応は6時間前よりも本集落の個体数が増加していることを示しています」
私はCaesarの定時報告を聞きながら、外部環境の変化を感じるためにTASに設定されていた感覚遮断のレベルを下げ、HMDを収納して頭部を覆う透過バイザーを開放し外気に顔を晒す。
少しの息苦しさを感じながら大きく身体を伸ばし深呼吸をして壁際によせてあった荷物から包みを取り出して朝の補給準備を始めた。
次にCaesarのDBの保全作業を今のうちに終わらせるべく命令しておく。パワーアクチュエーターのみ手動で駆動できるよう設定した後
「DB全領域最適化開始。未知の言語分析領域最適化を優先、作業完了は2時間後です。最適化中は補助AIの機能が一時的に制限されます確認してください」
若干不安は残るがこの集落がある程度安全と見込んで前倒しですませておくことにした。
眠っていたミャンが私の起こす物音に気付いて起きたのか寝ぼけ眼でこちらを呆然と見ていたかと思うとあわてて跳ね起き、
「先生!おはようございますっ、すみません、すみません、起きるのが遅れてしまって……すぐに朝餉の支度をしましょう」
朝食の支度はミャンが率先してやっていたが昨晩はあれだけ働いてくれたのだ、ねぎらってやっても罰は当たるまい。私は準備をしながら声をかける、
「ミャン、昨日の大手柄は君のものだよ、こんなに早く集落に辿り着いてしかも戦士の長と対等に交渉できるとは私も驚かされた、そのあたりの話も今日は聞きたかったんだがそれはあとにしようか、さてこんなものかな」
包みを開くと島で捕獲した小動物の干し肉と採取した植物をすり潰して作ったスープをこれまた自作の加工したシダ製の器に盛り付けて簡素な食事の準備を終えた。
私とミャンはふたり向い合って床に座り手早く食事を済ませていく。ミャンは毛皮のフードとマスクで覆って目だけ出し、それも前髪でほとんど隠れた状態で器用に食べていた。後始末をするためにミャンが外へふたり分の器をもって出ようとすると入り口に来訪者があった。
槍を掲げた見覚えのない黒人男性だ。逆光で顔が判別できないが背はかなり高くTAS装備の私より20cmくらい低い程度だろうか。ミャンは警戒して身を翻し入り口から離れて私の居るところまで戻ってきた。そんな彼女の様子をみて彼は苦笑したかの様な仕草をみせてから槍の穂先を地面に刺し、
「私はソータ・タッタの一族に名を連ねる者、戦士アインと戦士ミャンが起きられたという報告がありましたので急ぎソータ・タッタ戦士長の使いで参上しました、本宅へご案内せよと申しつけられております。お二方ともに準備はよろしかったでしょうか」
そういって彼はにこやかに笑い白い歯を燦然ときらめかせてこちらに返答を促してくる。私は彼の動きに不審なものがないことがわかり、傍らにいるミャンもそれがわかったのか警戒を解いていた。
「承った、使いの戦士よ。ほんの短い間でいい、時間をくれ。すぐに準備をするから待ってもらえるかな」
私はミャンに目配せをすると彼女は使いの戦士の傍らを通りぬけ家の外へ出て行く。その様子を見た彼は、
「畏まりました、ところでもう朝餉を終えておられるようで、実は戦士長も準備なさっておられますが」
彼はそういってくるものの私たちの朝餉は大した分量でない、饗応に預かるのに問題はなさそうだ。
「気にするな、これはいつでも動けるように準備する我々の習慣なのだ、彼女が戻ってきたら案内して貰いたい。それまで待ってくれ」
彼は頷くと槍を地に刺したまま身体の向きを変え私とともにミャンが戻るのを待った。彼女はすぐに戻ってきて荷物をまとめると私は彼に声をかける。
「お待たせした、戦士長に朝のご挨拶にうかがおう、案内お願いしたい」
彼は私たちの先導をして離れの庵のある敷地を抜けてその先にある大きな木造りの家というには大きすぎる館へと誘っていく。櫓構えの門をくぐり抜けるとその先に草葺の大きな屋根を設えたソータ・タッタの屋敷が見えてくる。屋敷は4m程の高さをもつ2つの同じ大きさを持った館が左右に分かれていた。案内の戦士は右側へ進むようにと私たちに云うとくぐり戸の前に立ち槍先を地面に突き刺し、
「戦士長、昨夜の客人をお連れしました」
とくぐり戸の向こうへ届く大きな声が響くと応、とこれもまた大きな声で応えが帰ってきた。そうしてくぐり戸が開いて現れたのは昨晩と同じ佇まいのソータ・タッタであった。
「よろしいオィティ・ツカワ、お前は任を果たした。持ち場に戻る前に集会所の長老たちに一声かけていけ、嫁にやる髪飾りを頼んでやっておいただろう出来ているはずだ。さあはやくいけ」
「本当ですか、あいつも喜びます、それでは戦士長これにて」
一礼するとオィティ・ツカワは素早く踵を返して駆けていく。戦士だけあって素晴らしい脚力だあっというまに見えなくなってしまった。そのあとには私たちとソータ・タッタが残る。彼はにこやかにこちらに笑いかける朝日に照らされる白い歯は相変わらず黒い顔に映えて眩しい。
「さあさあなぜそんなところに立っている?こちらへ来い、皆偉大な戦士たちがくるのを待っていたのだ」
私たちは彼のあとについてくぐり戸を抜け彼の母屋と思われる館の中へ入っていく。
……
30分後私は苦境に陥っていた。ソータ・タッタの一族が集まり摂る朝食は、朝食といえば聞こえがいいが実際は宴会であった。
ここに至る30分前に起きた出来事を私は思い出していた……
……
様々な「私のみたことがない料理」が大量に低く大きな卓に置かれていて、その前に座るよう促された。私が座り終えると別室で控えていたのかソータ・タッタの家族たちが次々と入ってきて私の卓のまわりを囲うように座り始める。50人はいるだろう。男も女も老人もそして子どもたちすら混ざっていた。そしてソータ・タッタが私の座った卓にやってきて正面に立ち、
「今日は祝福される日だ、我が友、巨獣を斃せし偉大なる戦士アイン、そしてその弟子ミャンを我が家に迎えることができた。さあ者ども食え、叫べ!、今日ばかりはコヌリ草に酔っても黄昏の神もお赦し下さるだろう」
……
時間を戻そう、この集落のもの達は最初からしきりに騒いだりわめいたりそれはもう宴会というよりはまるで喧嘩でもしているのではないかというように取っ組み合ったあと、コヌリ草の煙草を吹かして食事をし、再び騒いでわめいて次はアルコール臭のする飲み物をあおって飲み干しまた以下略とそれの繰り返しをしているのである。それも老若男女問わずだ。
半時間で宴は大惨事であった。
そして今襲いかかっている危機はTASを装備している私にからみつくミャンだ。
宴の最初から私はほとんどの食べ物や飲み物に手を付けなかった。未知への恐怖もあったが、TASの頭部モジュールシールドを解除せずに居た、なんとか適当に彼らに合わせて食べたふり呑んだふりを決め込んだのだ。
そのうち私の傍らで静かに食事に手を付けていたミャンがアルコール臭のする水が入った小壺に手を出そうとしていたので私は止めた。
こんな子どもに呑ませてよい事などあるはずがない。この時の私の判断は正しかった。
そして今それは間違っていた。あたりに立ち込める妖しい煙、コヌリ草の煙草を吸ったあとの煙だ。おそらくその煙を吸ったミャンが副次的な効果を受けてしまったと思われる、思われるのだが……
「ミャン、ミャン、離れなさい。これでは動けない。どうしてこんなことに……」
「せんせーい、きょうはいいひですよぉ~ごはんはおいしいしおまけに……あはっせんせいが三人いる~」
私が両脚を投げ出して座っている正面にミャンがガッシリと抱きついて来ていて何もできなくなっていたのだ。
他の子供たちにそんな気配はないのだが、なぜだ。ともかくこんな状態の彼女をここから外に出すわけにもいかず結局動けずにいる。
パワーアクチュエイターの操作パネルは股間部にあり、私に抱きついて離れないミャンの尻が載っている。何度か手を伸ばそうとするがコンソールに届かずミャンの尻を撫でてしまっているかのようなありさまだった。
そんな私にソータ・タッタが近づいてきていた。その手には盃が握られている。彼はまったく酔っていない足取りで私の目の前に座り込むとまたあの白い歯が輝く笑顔を向けてきて、
「友よ、楽しんでくれているか?そうか楽しいだろう!我も楽しい。今日はよい日だ。おや戦士ミャンは草に酔ってしまったか?それならあとで此れを飲ませておけばいい、草の酔いをすぐに止めてくれる」
そういってソータ・タッタは豪快に笑いながらいうと私に小さな葉包を寄越してくる。そして盃をあおってそれを空にするとまた立ち上がり今度はニヤリと笑って私に向かって
「戦士ミャンはよい子を産めるだろう、我が友は彼女の尻が気になっているようだが、彼女を娶るわけではないのか?ああ、そうか弟子だったな、残念だ偉大な戦士同士の子を見てみたいと思ったのだがな、ははは!」
といって他の席へと移っていく。私は不意打ちを食らい混乱した、傍からみてそんな風に見えてしまったのか?これはよくない誤解されている気がする。私に少女趣味はない。
私は誤解を解こうとソータ・タッタを追いかけようとするがミャンは酩酊しているにも関わらずTASが立ち上がろうとすると巧みに重心を変えて私を転がそうとする。どこにこんな力が?
抵抗むなしくミャンの巧みな寝技の前に床に転がされた。いや違うバランスを崩して倒れただけだ。起ち上がらなければ!そして誤解を……ああ!また転がされた!
あ、TASは食べ物じゃないんだ美味そうに舐めてこないでくれ。ああ、噛んでどうするんだ、やめてくれ、おい、まさか私の言葉が聞こえてないのか?
Caesarを呼び出すが反応が無く補助ディスプレイに表示が出た――DB最適化中のため搭乗者は操作パネルで手動設定してください……?だめだTASをあらかじめ全部脱装しておくべきだったか。
TASの起立訓練が苦手で訓練を怠ったことをいまさら後悔した。結局立ち上がることもミャンを引き剥がすこともかなわず、私は仰向けに転がされ彼女のなすがままにされていた。
そうして宴は日が中天に登るまで続けられたのだ……
宴が終わったあと、騒ぎに疲れ果てて倒れ伏していたソータ・タッタの一族はまるで酔っていないかのように立ち上がり皆で後片付けをし始めていた。彼らの脅威的な生命力に私は舌を巻いた。
最後に私の名誉のためというわけではないがミャンにはきちんとソータ・タッタから渡された酔い止めを飲ませた。正気に戻った彼女はフードに表情を隠していたがしばらく私の顔を見ることができなくなってしまったようだ。
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大陸東部 トーロ・コロの集落 23日目 自機標準時1229 海抜20m
北緯30度 東経60度 集会場前
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私たちとソータ・タッタ、そして幾人かの彼の一族のものが集落の中心部にある集会場の前に佇んでいた。
「ここでこれから市を始める、集落の者や外からの商いびとが皆品を揃えここに集って取引するのだ」
そういってソータ・タッタはおもむろに黒い旗を持ち出してきた、中心に十字星が描き込まれている。私がこれは何だと尋ねると、
「戦士長の旗だ、我が集落が戦に赴く時決して離してはならない。族長や戦士長が身につける。裸になってこれを巻き付け戦いに赴く姿をみて女たちはそれを祝福するのだ」
市を開く時は槍に巻き付けてソータ・タッタ戦士長の縄張りであることを示すらしい。そして私たちはその一角を間借りしていた。持参した手荷物は間借りした場所が広すぎてそこに小さく固めて置いてある。
ミャンに荷物番をさせた。彼女はまだ態度が変であったがおとなしくそこにひとり座り込んでいた、相変わらずこちらを見ない。昨日沐浴していないから機嫌が悪いのだろうか。
Caesarにそのことを統計的にみて判ることはないかと尋ねてみたが黙りこんで何も云わなくなってしまった。我が女性陣は今日すこしおかしい。
そのあと私が一度離れに戻り巨獣の頭骨を持って集会場に向かう先々で集落の人びとが私を見てささやきあっているのがわかった。そして集会場の私たちの場所へそれをゆっくりと下ろすと周りがざわめき始めた。
しつこいようだが私は軍人だ、商売人ではない。しかしこの頭骨をみた集落の人びとの反応を見て私はいらぬ期待を持ってしまい不敵な笑みを抑えることができなかったのだ。
ソータ・タッタの率いる一団が取引物を屋敷から一同全員で運んでくるので留守を預かって欲しいと云われると私は二つ返事で快く引き受けた。
留守を守ると云ってもあくまで場所は変わらない。気付くと目の前に老人がいた。相変わらず肌は溶かしたチョコレートの様に黒く表情は皺だらけで目は落ち窪んで目だけが鋭い眼光を放つそれは頑なな印象を強めている。その老人は私の姿を認めるとゆっくりとこちらに歩み寄ってきて私を見上げる。ミャンよりも小さいのではないか。そういう第一印象を受けて私も老人へ向き合う。
ふたりの視線が少しの間交わると先に老人から目線を逸らした。そのあと老人の興味はミャンへと変わったが彼女はまだ宴の酔いが抜けていないのか終始呆然としたままで彼の視線に気づくことはなかった。ひと言も発することなく老人はゆっくりとした歩みで私たちの前から去った。
やがて辺りが賑わい始め打楽器の音が響き始めると市が始まった。この小さい集落のどこにこんなに人がいたのかと思うほどこの市は騒がしく賑わっていた。行き交う人並みで通路向かいの催事が見えなくなってきている。その頃にはミャンが気力を取り戻したのか広げた毛皮の上に取引品を並べ始めていた。
私は市の雰囲気に呑まれていた。
いつの間にか戻ってきていたソータ・タッタが私に紹介したい者がいるといってきた。傍らにいるのはソータ・タッタより頭ひとつ低いすらりとした身体を持ち、纏っている毛皮の長衣だけがゆったりとしていて彼の身体の線を隠している。艶のある黒髪はまとめられて頭上に巻かれ、さらに爽やかな美貌が彼の魅力を惹き立てていた。どうもこの集落の者たちは顔が黒くて私にとっては背格好だけで年齢や性別がわかりにくい。
彼は私に向き合ってこう自己紹介をする
「はじめまして、偉大な戦士アイン。僕はこの集落の長の一族の者でスユゥアンといいます。僕は戦士ではないけれどこの集落を誰よりも深く愛している。どうかお見知り置きを」
しなやかに一礼する彼はこちらの返礼を待つ間もなく、
「それで、牙頭の巨獣の頭骨はあれですね?すごい品だ。ご存知でしょうか、牙頭の巨獣の頭骨は力の象徴と言い伝えられ、戦士が持てば末代まで子々孫々繁栄し、またあらゆる病に効くと云われ、商いをするものにとっては垂涎ものの逸品であることを!」
矢継ぎ早にまくしたててくるスユゥアンの迫力に私もミャンも絶句している。
「これを王国との次の取引で使えるのなら当分彼らに集落の守りを頼まなくて済むようになります。ご迷惑でなければ是非この頭骨を僕、いや集落にお譲りして頂けるようお願いに参りました」
早口ではあったがスユゥアンはこちらの様子を逐一伺いながら話していた。言い終えると敷布を懐から取り出して地に敷くと腰を下ろして私たちの前に座り込む。
「ご返答頂けるまでここでお待ちしますからお連れのお弟子さまと心ゆくまでご相談の上お決め下さい。ああお構いなく、飲み物は持参しましたから」
そういってスユゥアンは腰の隠しから取り出した革袋を口につけて傾けて含んだ。飲み終わるともうこちらには関心が無いかのように別の店子を見やっていた。
私は多少驚きはしたものの、彼が悪い人間とは思えなかった、疑うのは当然ではあるがそれでは取引というものは進まない。
相談を始めようとミャンへ振り向くと彼女は相変わらず私と正対しないように顔を逸したり、身体を捻ったりしていたがいよいよ業を煮やしたので最後の手段に出ることにした。
左手を彼女の頭の上に伸ばしてフードの上から乱暴に撫で付ける。彼女の表情が目まぐるしく変わる、喜怒哀楽が一度に交じり合ったようななんとも言えない表情だ。
「ミャン、客人が来た。私たちの後ろに飾ってあるあの巨獣の頭骨を譲って欲しいという、私はとくに問題がなければ受けようと思うのだが、どう考えるかな?」
私が彼女を諭すように尋ねると、彼女は私に聞こえないような声で何か呟いている。私はそれをみて彼女が上の空であったことに気付いて
「ミャン、ミャン、呆けている場合でない、彼を待たせるのは失礼だろう」
そういいながらスユゥアンに詫びようと彼の様子をみると私を吃驚した顔で見ていた。なんだ?私の対応は間違っていたか?ここでやっとミャンが口を開いた。
「先生、失礼なのは先生です。スユゥアン様は女性ですよ、お判りになられなかったのですか?」
私は目を見開いて硬直した。硬くなった首を全力で捻りミャンからスユゥアンに視線を移す。少しの沈黙のあと何度もまばたきしてやっと口から出た言葉は
「本当に?」
彼女は頷いた。
……
私はまずスユゥアンに非礼を詫び、ミャンとも話し合って結局彼女と取引することに決めた。
彼女は最初に取引に当たってこの牙頭の巨獣と対等に交換できる物品は単品ではこの集落では無いということを告げてきた。それでは何と交換するのか、という問に彼女は集落のものであれば食料か屋敷などを代価として支払えるがそうでない外部のものと行う場合、地域周辺の別の集落と取引するときに品物の代価をトーロ・コロに請求することのできる割印を代価として交換するのだという。
原始的だがある程度信頼できる商業システムだ、私はそう感じた。割印をクレジット・カードとして利用させるシステムだとすぐにわかったからだ。
勿論欠点はある、周辺集落と戦になればその信頼関係が崩れるため貸しの代価を取りはぐれてしまう、逆にそれを利用しながら周辺の地域と融和を図るということもあると聞いた時には外交の概念もあるのかと感心した。
私はこの集落がもっと原始的なものであると先入観を持ってしまっていたのだ。
私はその割印を代価としてよい事を彼女に伝えた、彼女は聡明で私たちの好みにあう食料換算ですぐにその換算量を提示してきた。
その量なんと5年分。暦の概念のない彼らであったから季節の移り変わりが暦替わりになっていた。話では暑い夏と涼しい秋しか季節がなく雨季がその季節の合間にやってくるということだけだった。
そして彼らの文化で文字があまり発達していないことが判りさらに驚かされた。あとで市を回っている時に気付いたのだが、流通品の主だったものは食料品か加工食品で道具があまり発達していない。道具も土を固めてつくった器と黒曜石を削りだして作った刃だった。勿論戦士たちが手にしている槍の穂先も黒曜石を砕いて研いだものだったのだ。
ここで彼らの文化水準を知ったことは私には朗報だった。
取引が終わり、すぐに割印が作られることが決められると今度はミャンが取引物から取り出した品をスユゥアンに見せ、これを割印に造り変える様にと彼女へ渡した。彼女はそれを見て眉間を寄せて考え込んだあと何かに気付いたのかすぐに納得して私にその品をみせた。
島の鍾乳洞穴で採取した水晶の円錐柱だった。
複雑な模様が中に浮かんでいる透明色の輝きは何者を持ってしても騙ることが出来ない自然の造形だったのだ。
その後私たちは長老の一族の家に招かれた。スユゥアンは纏めていたびろうどの様にしなやかな長い黒髪を腰まで下げていた。
纏っていた長衣も着替えて強烈な色香を放つ身体の線に沿って艶かしい曲線を孕んだ着流し姿の装いで、着流しの白から覗く黒く濡れた肌が艶めかしい光を放っていた。
やがて宴が始まった、朝の宴の恐怖再びかと私は恐れ慄いたがこちらは一切無礼講になる雰囲気はなかった。
そんな中彼女はしきりに私へ視線を投げかけてきている、彼女は独身だそうだがどうもこういうアピールを受けるのは個人的に苦手である。
視線を外してミャンの様子をみると彼女の機嫌がまた悪くなっている、今日も沐浴できそうにないのが解ってしまったからか?
やがて宴も終わりに差し掛かる頃ミャンは朝の宴の疲れが出たのかいつの間にか眠ってしまっていた。長老の一族の家には不届き者はいない。
ソータ・タッタの家で見かけた戦士の幾人かが交代で門を見張っているのだ。
彼女を広間に寝かせておいて、私はひとりスユゥアンの部屋を訪れた。
「偉大な戦士、ようやく来てくれましたね。お待ちしていました、さあお掛けになって……」
私は宴の姿のままで迎えてくれた彼女が座る植物で編んだ座椅子の前にある敷き藁の前に立った。
そこまで歩みを進めていく私はさきほどから視線が釘付けになっている。
いよいよ纏を脱ぎ捨てようとしている気配が濃厚なスユゥアンにではない、彼女の背後に飾られている大きさ2mほどの頭骨にだ。フリルのついたツノ付きの頭骨、あまりにも特徴的なそのシルエット。
トリケラトプス、見間違いなどあるはずがない。そしてこれは化石ではなく燃やされている松明の灯りに照らされて黄色い輝きを放つ。
私の視線が自分に無いことに気付いた彼女は頬を殴られたような表情になったが私の視線の先に気付いて語りかけてくる。
「そう、僕、いえ私は巨獣の頭骨も愛しているのよ、偉大な戦士たちをまるで意に介さない真実なる強者……」
魔女のささやきに似た響きを持つ彼女の声が遠く聴こえてくる。
ゆっくりと視線を彼女に移す。素肌も露わになって彼女の美しい曲線の形造る中心に下がっている首飾りをみてさらに驚愕した。小さな巻き貝のペンダント。
子どもの頃によくみた古代の化石に似たそれは化石ではなかった。
アンモナイトの貝殻。
私は二重の衝撃に頭を殴られた気分になった。視線が定まらなくなっている、膝を床について俯く私の姿は哀れで滑稽だったろう。
そんな私の様子に気付いて彼女は怪訝な表情で、
「……どうしたの?はやくその鎧をお脱ぎになりなさいな、あら、顔色がとても悪い……」
そういってTASの頭部に触れてくる彼女を私はさえぎることが出来ない。
頭部モジュールに包まれた私の頭は彼女の豊かな胸に抱かれた。
そのままふたりは時を止めたかのように動かない。
TASを脱装していなかった私は彼女に気取られないようにCaesarにも分析させた、結論は変わらない。私は彼女に問うた。
「……この巨獣は……他にもいるんですね……?」
私は彼女の抱擁から逃れて向き合い両手で肩を突き放すと絞りだすような声でそう言った。
「いいわ、貴男。貴男は本当に巨獣を狩る戦士なのね、角竜の頭骨をみて逃げ出さない男はいないわ。今までに誘ってきたどんな男もこれを見て私を抱くことはできなかった」
彼女は思い違いをしている、そうではないのだ。
だが事情を話しても理解できまい。
遭難してから姿をみせなかった疑念が遂に明確な形となって私に突きつけられた。
CaesarのDBに照会した。恐竜が存在する年代とアンモナイトの棲息年代とが一致する地質年代。
それは約1億4500万年前から6600万年前といわれた太古の地質年代。
中生代白亜紀と呼ばれている。
その時代に人間が居たという記録はない。
しかし私は確信した。原隊に復帰する望みは消えた。わかったのだ。この世界は私の知らない地球。どこか別の違う地球なのだということを。
―――――――――――― 用語解説 ―――――――――――――――――
コヌリ草……本作での創作、いわゆるアッパー系向精神薬である、日本ではあまり知られていないがアフリカ系原住民と云われる民族の中には部族間抗争で戦いに赴く戦士たちが鎮静効果のある草を乾燥させて煙草や水キセルなどで吸引し死の恐怖を抑え戦いに備えたり、儀式で使って刺青の痛みを打ち消すなどといった使い方をしたという。
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