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3.

 ヴァレンタイン・ジェラルディーン・ソル・リュシーレとは、私の愛するソフィアをめとったにっくき宿敵の名だ。

 リュシーレ王国の第六王子である。

 王家には、六人の子息があったが、彼の上の五人の兄は、死んだり、行方知れずになったり、寝たきりとなったりして、最終的に六男のヴァレンタインが家督を継いだ。

 それと同時に、妻をめとった。

 妻の名は、ソフィア・ブロムステッド。何度も言うが、私の愛しい愛しい娘だ。いや、私が生んだわけじゃないが、ほやほやと泣いてばかりの赤ん坊の頃には私がおむつを変えたのだし、よちよち歩きの頃にもおねしょのシーツを洗って干したのは私だ。

 おじいはセリモラ島に在所をもちながら、一年の大半はソフィアを置いてリュシーレ王国に出稼ぎに出ていたため、彼女を育てたのは実質私だ。

 

 ところでソフィアは、王国領の辺境で一風変わった料理店を営む、平民の娘だ。

 恋愛観が歪んでいるところ以外はいたって平凡な愛らしい少女なのだが、それは何も知らない他人からはそう見えると言うだけで、実はすこぶる非凡な能力を持っている。

 そうとは知らないリュシーレ王国民は、生粋の庶民のソフィアと、やる気のない六男坊の結婚にたいそう落胆した。

 ソフィア自身にとってもこの結婚は突然降ってわいた惨事であり、そこには愛も幸福も無かった。

 道端で避けきれずに運悪く踏んだ犬のフンみたいなもので、まぎれもない害悪、それが此度の結婚だった。

 けれどもこれは、遠い昔に定められた避けられない運命であるのだとおじいはソフィアを説き伏せた。

 



 ⋆


 リュシーレ王国は、その属するゼノビア大陸最北端に在り、その西北、ザール海上にセリモラ島がある。

 セリモラ島の大半は、異形の跋扈する深い森林に覆われ、領民たちは島の東端追いやられ、肩身の狭い暮らしをしている。

 民たちの生活改善の頼みの綱のリュシーレ王ヴァレンタインは、民と政治に興味が無い。

 土地が荒れようが他国が攻めてこようが、どうでもいい。

 そんなふうなので当然のことながら人望が無い。

 命を狙われる頻度も高い。

 

 ヴァレンタイン曰く、リュシーレ王家は毒蛇の巣だ。

 紳士淑女、あるいは忠臣の顔をして、主の命を狙う逆賊はすぐそばにいる。

 だから、彼の三度の食事は、毎回毒味係が先に食して、危険が無いかを身をもって確かめる。

 その役目は、歴代の哀れな使用人たちを経て、嫁入りと同時にソフィアが引き継いだ。


 ソフィアが王家で暮らし始めて一か月が、毒味係を始めてからは三週間が経った。

 最初の頃は、激しい腹痛、止まらない大爆笑、幻聴や幻覚、意識の混濁など、様々な症状に苦しめられたが、最近では少しずつ慣れてきた。

 耐性がついたのかもしれない。

 それでもつらいものはつらい。

 なんで私がこんなことをしなくてはならないのかしらと、ずらりと並んだおいしそうな料理を目の前にして、ソフィアの気分は落ち込んでいる。

 毎回すべての食事に毒が盛られているわけではないが、その可能性があると言うだけでおいしいはずの料理の味もわからない。

 嫁いできてから、三キロ痩せた。

 クリーム色のポタージュをスプーンで掬い、恐る恐る飲み込む。

 ほどなくして、胃を違和感が襲った。


「ぐ……、やられたわ」


 ソフィアは、腹を押さえてうずくまった。

 銀のスプーンが、大理石の床へと落ちる。

 夫であるヴァレンタインは、腕組みをしたまま動かない。

 闇色の瞳でソフィアを見つめるだけだ。


 「ソフィア様、大丈夫ですか!」


 執事のレーニが慌てて駆け寄り、スープ皿の内容物を確かめる。


「しめじに酷似しているようで、微妙に違う。菌糸が金糸のごとく輝いている……どんなに屈強な戦士の体重も一時間で半分に削り落としてしまう、おそろしいほどのデトックス効果を持つ……これは、黄金しめじ!」


 レーニが声を張り上げる。

 その目元は、珍しい眼鏡に隠れて見えない。


「レーニ、あなたってそんな濃い色のついた眼鏡をつけているのに、きのこの微妙な色合いがわかるなんてすごいわね」


「ええ、見えますとも、くっきりと。奥様の髪も、瞳も」


「わかったわ。でも、奥様と呼ぶのはやめて」


 腹痛に顔を歪めるソフィアに向けて、レーニは芝居がかった礼をひとつ。


「すぐにお水をお持ちいたしましょう」


 言って、部屋を出て行くレーニの腰で、身の丈の半分はあろう長い鞭が揺れている。

 何度見ても見慣れない。ついつい凝視してしまう。何に使うのか、怖くて聞けない。


「今回の犯人はどなたかしらね、ヴァレンタイン様」


 じっと押し黙っているとますます苦しいような気がして、痛みを紛らわせるためにソフィアは口を開いた。

 斜向かいで椅子にふんぞり返っている夫、ヴァレンタインに視線を向ける。

 その性格を現すような深い闇色の瞳とを見据るが、ヴァレンタインはソフィアの問いに答えようとしない。

 身体を張って守ってあげても、この態度だ。憎たらしいことこの上ない。

 話し相手にもならないなんて、なんて役に立たない男だろう。


「ど、な、た、か、し、ら、ね?」


 ソフィアは、笑顔でもう一度問う。

 すると、ヴァレンタインは、ソフィアの気迫に押されたのか、額に浮かんだ青筋に気が付いたのか、面倒くさそうに口を開いた。


「さあ? わからないな。でもまあ、君で良かったよ」


「それは、どういう意味でしょう」


 耐えるのよソフィア。これくらいでひるんでいたら、ストレスで胃に穴があいてしまうわ。

 笑顔を浮かべたまま、ソフィアは頬を引きつらせる。


「どういう意味もこういう意味も、言葉通りだよ。君以外の誰かがそれを食していたなら、今頃無事ではいられなかっただろうからね」


「なぜそう思われますの? 私は不死身なんかじゃない、普通の人間です。だから、毒を食らえば普通に死にますよ」


「だが、その時はその時だ。どうせいつかは誰も死ぬ。俺も、君もね」


 ヴァレンタインは言うと、銀器のワインを一息で干した。



 ソフィアは、明るい翡翠色のドレスの裾をぎゅっと強く握った。

 ヴァレンタインが命を狙われるのは、このように彼自身の人格に問題があるせいだけじゃない。

 今は亡き彼の父母兄たちも皆、同じ憂目にあっていた。

 そんな中で、二十二年も生きてきたのだから、心が荒むのも仕方がないとは思う。

 けれど、これではあまりにもひどすぎる。


「ねえ、ヴァレンタイン様。愛してもいない人と結婚するのって、どんなお気持ちです?」


 ソフィアは考えうる限り最大の皮肉を込めて問う。


「自分の胸に聞いてみたらどうだ?」


 ヴァレンタインは酷薄に笑むばかり。


「ああ、そのとおりですね」


 ソフィアは俯き、目を閉じる。

 やがて眼を開け、


「それは、未来を失うのと一緒ね。真っ暗闇を一人で彷徨う気持ちよ」


 ソフィアの言葉に、私の胸は張り裂けそうに痛む。

 今すぐあの傍若無人なヴァレンタインを切って裂いて焼いて殺してやりたいが、ソフィアがそれを望まない限りは、ただの無力な仔猫として遠くから見守ることしかできない。

 

 しくしくと重く痛む腹を抱え、ソフィアは浅く早く息を吐いた。


 レーニが戻ってきた。

 グラスを受け取り、常備薬を取り出し、口に放り込む。

 すると、ソフィアを苦しめていた痛みは瞬く間に消えてなくなる。

 それは、薬の奏功にあらず。我慢できずに私が魔力を注ぎ込んだせいだ。

 ほかならぬソフィアだけがそれに気が付き、


「オルガ、ありがと。愛しているわ」


 と、テーブルの下から私を抱き上げ、柔らかな頬を私の頬にすりつけた。

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