2.
おじいはソフィアの縁談話を本人に伝える前に私に伝えた。
私は怒りに震え反対したが、じいの決意は固かった。
その日の終わりに、狭いながらも楽しい我が家の団欒を引き裂く一大事をじいが告げた。
「ソフィア、おまえ結婚しろ」
「はあ?」
ソフィアは、わざとらしく耳に掌を添えて、おじいを睨んだ。
おじいは、山羊乳を一口すすって、ゆっくりと口を開く。
「じゃーかーらー。結婚しろソフィア」
「結婚って、誰と!」
ソフィアの唇は小さくて、そこから漏れる声も普段は小さいのだが、今夜ばかりは声がでかい。
「おまえは、大陸のー、ほら、なんだっけかな、あの国のな、えーーー、なんだっけなぁ。ほら、あれだ。王子、いるだろうが王子、いっぱいいるだろ」
おじいは呆けているわけじゃない。都合が悪い話をする時には、いつもこんな感じになる。つまり、うしろめたいのだ。
「大陸って、リュシーレ王国の?」
「あー、そうそう。それそれ。その国の一番下の王子。なまえはえーーーーー、なんだっけな。ほら、六番目の」
「リュシーレに第六皇子なんていたっけ? オルガ、知ってる?」
ソフィアが、私を見やる。私はぷいっと鼻先を反らす。
「もー! オルガ、猫のふりしてないで、おじいちゃんに何とか言ってやってよ」
「にゃあ」
いやだ。
今、ヒト型をとったら最後、おじいを殴り飛ばしてしまいそうだから。
ソフィアは私に助けを求めるのは無駄だと悟ったのか、突然立ち上がり、怒りを鎮めるべく大きな深呼吸を数回した。
ソフィアの膝でくつろぎまくっていた私は、不意にぬくもりを奪われ、床に落下するはめになった。
「どうして辺境の羊飼いの娘が大国の王子様と結婚することになるのよ」
「あー、まあそのなんだ、これは政略結婚ってやつじゃ。気が進まんのならまずは見合いからでもいいから、気軽にやってみろ」
「見合いって! 政略結婚って! 王家だとか貴族だとか、そういう雲上人の方々が嗜むドラマチックなプレイでしょう? なんで? ただの貧しい羊飼いの娘の私が? 王子様と結婚? それで王子に何の得があるわけ?」
「そりゃまあ、あれだ。ほら、あーー、なんだ。秘密のすんごい力がだな、我が家に古くから伝わる伝説の魔力がだな」
「あるの?」
「あったらいいなー」
「おじいちゃん!」
ついにソフィアが切れた。
おじいのシャツの襟ぐりをひねり上げて、キスせんばかりに顔を近づけて叫ぶ。
「私、結婚なんて絶対にしません。ノーマルの男なんて大嫌い!」
「ソフィア、おまえのその男嫌い、なんとかならんか」
「なりません。結婚どころか、恋だってしたくないわ。私は! 一生、ぜったいにしないわ!」
「じゃがなぁ、それじゃあ寂しかろ?」
「いいの! だって私にはオルガがいるもの。ねえ、オルガ」
「にゃあ(わたしにふるな)」
返答に困る。とりあえず、「にゃあ」とでも言っておこう。
「もう。またこれ。都合が悪くなるといつも猫のふりでごまかすのね」
「にゃあー」
だって、私に発言する資格はないだろ。もともと住む世界も種族も違うのだから。
ソフィアが嫁に行ったら私は寂しいよ。
でも、ただそれだけの理由で引き留めて、その先の彼女の人生を私が背負えるわけじゃなし。
だから黙って見送るしかない。
今の私には、ソフィアの膝頭に鼻先を擦り付けることくらいしかできない。
*
そんなわけでいろいろあって、あっという間に結婚式当日がやってきて、ソフィアは人妻となった
。
十八歳の幼な妻は、デコルテどころか肩全体や二の腕までもむき出しの、純白のウェディングドレスを身に纏い、バルコニーに現れた。
私はにゃんにゃん泣きながら、国民広場から、遠く手の届かない高みへと言ってしまった愛しいあの子の晴れ姿を見上げる。
紺碧の空から舞い落ちるフラワーシャワーと、鳴り響くファンファーレと人々の歓声の中、ソフィアは広場に群れ集う庶民に手を振って見せる。
フリルがわさわさしている純白のドレス。それと張るくらい白い肌を惜しげもなく曝したあられもない姿が大変にけしからない。誰も見るなと今すぐに叫びたいが、周囲を王国の近衛兵に取り囲まれているのでそれもできない。
「まあ、素敵。初々しいプリンセスのロイヤルスマイルよ! お肌もぷりぷりで若さが弾けまくってうらましいわ!」
「ソフィア様はまだ十八歳らしいわよ。亡くなられたジョルディオ公爵の忘れ形見なのですって。よく見れば面影がありますわね」
「まあ。ジョルディオ公爵にお子様がいらっしゃっただなんて初耳だわ。どうしてこれまで社交界でお見かけしなかったのかしら」
「それがね、北にあるセリモラ島で暮らしてこられたのですって」
「まあ! セリモラって、あの異形が噴き出す禁忌の地に!? どうしてそんな辺境の奥地に大貴族のご令嬢がお住まいに?」
「庶民の感覚を知りたいのだと、プリンセスソフィアご自身がまだ幼い頃に自ら望んで赴かれたらしいわ」
「なんて立派なの! そんな方を奥方様にされて、プリンス・ヴァレンタインは三国一の幸せ者ね」
「ええ、その通りよ。この国も未来も明るいわ。ほほほほほほ」
耳にきんきんと触る声音で高らかに嘘八百を囀りまわる孔雀ドレスのマダムたちは、国が用意した凱旋活動要因なのだそうだ。
ソフィアの祖父で、この事態を招いた張本人でもあるキユオスティ・ブロムステッド(おじい)がそう言っていた。
リュシーレ王国第六王子でありながら、第一位の王位継承権を持つ、ヴァレンタイン・ジェラルディーン・ソル・リュシーレと、私の大切な娘、ソフィア・ブロムステッドの結婚式である今日は、国民の祝日となった。
「まあね~。
貧乏羊飼いの娘がプリンセスで~。
がっちがちに硬い作り笑いがロイヤルスマイルで~。
誰もかれも簡単に騙されおって、ばかばっかりで、この国の未来は暗いのう~」
「キュオスティ様。街宣活動の妨害はおやめください」
おじいの隣のがたいのでかい男が、冷たい声でじいのボヤキを制した。
おじいは声のボリュームを落とした。
男がおじいに様をつけて呼ぶのは、おじいが城で使用人がしらをしているためだ。
ソフィアの夫となる男、ヴァレンタイン王子のことも幼い頃から知っているらしい。
王子の嫁にソフィアを選び、今回の縁談話を推して進めたのは自分のくせに、人目もはばからず広場で悔しそうに男泣きをしているんだからおじいの心情が全く理解できない。
おじいが結婚式に参列しなかったのは、私があばれないように見守るためだそうだ。
近衛兵団をひきつれて、私の周囲を包囲している。
そんなことしなくても、あばれたりせんっちゅうに。
そりゃあ、変化を解き、人以外の何かに姿を変えてソフィアを攫うことはできる。
しかし、当のソフィアがそれを望んでいないので実行する気はない。
ソフィアは、最初は嫌々ながら、最後には自らの意思で、王家に嫁すことを決めたのだ。
無邪気で素直で馬鹿正直で、人を疑うことを知らないソフィア。
甘い薄皮に包まれたままで今日までを生きてきた彼女は、外の世界をあまりにも知らない。
だから、こんな大それた決断ができたのだ。
馬鹿ソフィア。
愛も無いのに結婚なんかして、絶対苦労するに決まっている。
「うおうおう。ソフィア~~。おまえが男ならこんなことにはならなんだに……これも呪いか~~」
じいは男泣きを始めた。
周囲の視線を集めるほどの咆哮を、近衛兵たちが盾となり、祝いに集った民衆たちから隠している。
更新が遅すぎて申し訳ございません!