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私的哲学

パクリについて

作者: 羅知火 夜鷹

これは、あくまでも私の考えであり、それ以上でも以下でもありません。意見の押し付けをするつもりはありません。   作中にて、語尾が統一されてはいませんが、これは意図的に行われています。

自分の成長の為に他者を参考にするってことを、誰もがしてることだろう。


「他人のフリ見て我がフリ直せ」 そう、人はいうじゃないか。


誰もが一度見たモノは、わずかでも心に残る。

それが何かしろの形で現在に影響してしまうのは仕方ないことだろう。


何もかもをパクリとおもう人は、自分を振り返ってみたらいかがだろう。

あなたは、何もパクリを、真似をしていないといえるだろうか。



勿論、私だってそうだ。

何かに影響されて同じような内容を書く・描くなんていつものこと。

どこかが似ている、ここが同じ。

そういうものが、確実にどこかに入っている。


無意識のうちに意識して、似せてしまう。

人間とは、そういうものではないのか。

自分でも気付かぬうちに、知らないうちに。

何かに影響されている。



それが、何もかも批判されることなのか?





あなたは、自分が批判された際、どう思いますか?

「お前はパクリをしている」「お前は真似だけだ」

そんなことを言われた時、何を感じますか?


自身に、パクリが。真似がないと。

本当に断言できますか?







少なくとも。

私は無理です。


作中の問い。貴方も考えてみてはいかがでしょう?

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