パーティ
ここはどこなんだろう?
それと、どうして私はこんな姿をしているんだろう。
いま自分がいる所はダンスホール。下ではみんな踊っている。テンポのいい6拍子でくるくる廻る。壇上には楽団。かなり本格的なホールだ。なのに少し小さいような気もする。
そんなきらびやかなホールのシャンデリアに乗って、私はホールを見下ろしている。例によって誰も私が見えていない。今はそれも都合がいいけれど。
こんな格好でいるところを誰かに見られたら赤面してしまう。右肩丸見えの吊り肩のようなトップス。ドレープの利いた優美なスカート。若葉色に統一されたこんなドレス、私生活ではまず着ることも見ることもない。もっとも私の普通の生活がどんなものだったのか、思い出せないけれど。
「ふーん」
でも、嫌いじゃあない。むしろ気に入っている。ふわっと舞ってシャンデリアから飛び、2階の張り出し廊下に下りる。そこにある大鏡に映る自分。それなりの見栄え。着こなしているという自負はある。私は細いけれど瘦せぎすではなく体幹も通っていて芯がある。可愛いかどうかは見た人の判断に委ねる。でも悪くはないはず。下にいるセレブたちの何人かは振り向いてくれるだろう。
ホールを見ていると、中の一人に目が釘付けになる。のうのうと歩いている一人の少女。年は15くらいか。ショートボブがよく似合う水色のワンピース姿が、人の波をすり抜けるように歩いている……いや、本当にすり抜けている。そして誰もそれを気にしていない。見えていない? 私と同類なのだろうか。見ているうちに私の真下の入り口から出て行ってしまう。
飛び降りて、後を追う。通路の先を右に曲がった。小走りに駆けて、立ち止まる。左手の丸い窓から見える風景……海だ。夜の海が、黒々と波打って、夜との水平線まで続いている。
思い出した。ここは客船の中だ。
いつか見た、憧れの船の中に私はいる。もうとっくに沈んだはずの船の中に。
声は部屋の外からでも筒抜けだった。
「もう行くの? いま来たばかりじゃない」
険のある女性の声。あの子の母親だろうか。
「うん。急がなきゃ。教授も待ってるから」
「教授の所に戻るのか?」
この男性の声は父親だろう。部屋の乗客はこの3人だ。
「ううん、乗ってないよ」
「戻れるの? ここは太平洋の真ん中辺りでしょう」
「うん。なんとかね。私もともとこの船乗ってなかったし、早く消えたほうがいいかなって」
「そうか。でもお前」
父親が口ごもる。「なに?」、楽しげな少女の声が後を促す。
「お前は教授に殺されたんじゃあなかったのか?」
「あれは誤解なの」
少女が部屋から出てくる。親子の会話を続けている。
「だから私が誤解を解かなくちゃ」
少女の目が合う。はっきりと、私を見ている。
「協力してくれそうな人もいるし、ね」
「お姉さん、綺麗だよね。なんかもったいない」
それが彼女の第一声。少女に連れてこられた先はエレベーターの制御室。もう使われていないから誰も入ってこないのだとか。
「もったいないって、何が」
気にしたのはその言葉。綺麗といわれれば嬉しいはず。けれど聞き慣れたお世辞のように聞こえて、どうにも心が反応しない。
「そんな若いのに死んでるから。私と同じユーレイなんでしょ?」
「どうかな。自分でも分からないけど」
やっぱそうなのかな。自分では死んでいるつもりはない。でも、考えてみればそれ以外に理由はない。他人には見えなかったり、飛んでいたり、それを何ひとつ不思議とは思えなかったり。
「でも、お姉さんは体を持ってる」
「ユーレイなのに?」
「うん。それをちょっと確かめたいの」
「どうやって」
「こうやって」
不意にドアが開く。外から男たちが入ってくる。死んだような目が私を見つめる。見ている。見えないはずの私を、はっきりと。
「この3人はね、人間に憑依したユーレイさんたち。生きてるときに私に酷いことしたから呪い殺してやったの。それ以来、私の言いなり」
男が、じりじりと私に詰め寄ってくる。逃げようとして、壁を背にする。通り抜けられない。男が私を囲み、私は男の影に隠れる。その男たちの隙間から、少女が笑みを覗かせる。
「触ってもらえたら、体があるってことだよね? ね、やってみて?」
言われるがままに男たちが手を伸ばす。一人は私の頬に、一人は胸に、一人は太ももに手を伸ばす。
汗ばんだ手が私を撫でる。胸に伸びた手は、少女の命令がないのに強く掴んで上下する。体に悪寒が走る。恐怖で体から力が抜け、足がすくんでしまう。
「やっぱり体あるんだ。仲間だと思ったのに」
少女の声が怒りを帯びる。不愉快そうに私を見つめ、投げやりに男たちに命じる。
「いいよ。好きにしちゃって」
男が私を床の上に押し倒す。両手を頭の上に捻りあげられ、片手で掴んで拘束する。
無遠慮に、男たちが私の体を撫で回す。ごつごつした手。愛撫というよりただ表面を上下しているようなたどたどしさ。憑依している霊たちが体を使いこなしていないのか……いや、違う。その腐臭に鼻を突く。
この体は死んでいる。死んで弛緩している体に霊たちは取り付いたのか。
上積みされた恐怖が弾ける。絶叫する。絶叫した時、不意に思い出す。
私は恐怖を感じる人間じゃあなかった。
もっと怖い場面にも遭遇した。墓場の地下で、死体の山に囲まれたこともある。それでも心が麻痺したかのように私は動じなかった。
バカバカしい。そう思ったときに恐怖は去った。まるで別人格のように私の心を差し替える。
男を纏わせたまま立ち上がる。そしてくるっと一回転すると、男たちの体は消え去った。ついでに匂いも消し去る。
まるで舞うかのように、綺麗に、優雅に廻りつつ。男たちの手の感触は残っている。首筋に這う舌の熱さも。ねっとりと染み付いた太ももの唾を、手直にあるテーブルクロスでさっさと拭き去った。
「なに。今の」
少女が驚いている。この程度では動じないと思ったけれど。斯く言う私も動じていない。自分でも未知の力を振るったのに。
「おいたがすぎるね。あなたも同じ目に合わせてやろうか?」
髪を手串で整えながら言うと、少女は首を横に振る。もう笑みは浮かべていない。けれども怖がるでもなく、私にすいすいと近寄ってくる。
「しないよ。ギリギリのところで止めるつもりだった」
「とっくにギリギリ超えてたよ。気持ち悪いったら」
「ごめんなさい。でも」
俯いたままで、頭を胸に預けてくる。思わずその頭をなでてしまう。憎い気持ちは萎えていないのに。
「私がどんな目にあったか、知ってほしくて」
「言葉だけで充分だよ。あれじゃ死体が可愛そう」
「そうだね」
少女がくすっと笑ったとき、もう怒りは霧散していた。ちょっと口惜しい。簡単に懐柔されてしまった。でもいいか……と思えてしまう。こんな可愛い霊になつかれたのだから。
「お姉さんはなりたいものになれる人なんだね」
「ああ、そうかも」
少女の言葉がしっくりくる。なりたいものになれる。自分の好き勝手に。今の場合なりたいもの、というよりやりたいことをした。死体とユーレイをぶっ飛ばす。ついでに成仏させた。またまとわりついてこないよう。
「でも性格まで変わっちゃうの、おかしくない?」
「……たぶん私は、自分で自分を知らない。本当の自分がどういう性格なのか。だからどんな自分にもなれるような気でいるんだよ」
「あ、それ分かるかも。わたし演劇をやってたから。役になりきるとそんな気持ちになるよ」
自分が、自分ではないこと。本当の自分を知らないこと。それを彼女は受け入れてくれる。そんなことで愛おしいと思えてしまう。
「教授を助けて」
不意に、話が飛ぶ。元に戻る。彼女の目も真剣だ。
「あなた」
そして不意に理解する。彼女は、私がかつて会った事のある人物だと。
「あなた、あの墓地の下にいた……」
「そう。やっと分かった?」
「でもあの時と姿が違う」
「今のこれは前世の姿なの」
「前世?」
「これで分かった? 私は時を越えて、教授を助けられる人を探していた。そして……探し出した」
「私より、もっと適任がいるでしょう?」
たとえば、あの時の青年。私が墓地の下で最初に会った青年は、少女を殺した悪霊を消そうとしていた。そういう力を持っていた。
「あの人はダメ。私とは本当は会ってはいけない人だった」
「でも、私に何ができるの」
「それはこれから考えて。貴女がいいの……」
声に宿る妖艶さ。彼女の姿があの時の少女に見える。かと思えば私よりも年上の女性の姿にも。彼女の体験してきた前世の数々なのだろうか。そういえばあの時出会った青年も同じように様々な姿をとった。でも、それとは違う気がする。
「行こうか」
とりあえず。呟くと彼女はドレスの少女に戻って「うん」と頷く。
「この船は、これから沈むの?」
「もうとっくに沈んだ。中の人たちが知ってるかどうかは知らないけど」
知っているのだろう。でも、知っていても気づかぬ振りなんだ。ダンスホールの人らは楽しそうに踊っていた。どこか陰のある笑顔で。
でも、それを非難する気はない。なんにでもなれる私、その都合のいい力。それと根は同じような気がする。彼らと私は同類なのだ。
「行こう」
背を向けて、空を飛ぶ。彼らは同類。だから見ていたくない。汚らわしい。無神経。それが伝わる。そういう存在だと言い切れるから。
私は何かから逃げてきた。そしてまた逃げている……それを感じる。
でも逃げてもいい。背を向けていても、今度は先に進んでいるのだと言い切れるから。