第3話 『中学生 2』
家を出てからマンションの廊下を歩きエレベーターへ向かう。少し歩くと立ち話中のおばさんが2人見えた。見慣れた顔。同級生の母親と後輩の母親だ。『おはようございます』
いつも顔を会わすと笑顔で挨拶を交わす。この日もいつもと変わらず声をかけた。
『あっ。あぁ、おはようさん』
何か変な違和感を感じたが急に話しかけたからかなと思いやり過ごした。エレベーターを降りてバス停に向かった。バス停には誰もいない。5分もせずにバスは停留所に到着した。200円を払い真ん中の席に付いた。15分ほどバスに乗り、駅に到着した。駅のロータリーで隣町に向かうバスに乗り換える。そこから20分ほどバスに揺られた。グランドは隣町の河川敷にある。住んでる町と隣町の間には淀川がながれている。橋を渡ると隣町だ。淀川の河川敷沿いにグランドは在るため橋の上でバスの停車ボタンを押した。次の停留所で止まりますというアナウンスがなった。
野球がしたくてたまらなかった。どんなに辛い練習でも楽しくてしょうがなかった。それだけ野球が好きだったし、才能もあった。グランドに降りる階段を駆け降りると既に20人近くのチームメートと10人程の選手の親達が練習の準備に取りかかっていた。グランドに入る前に大きな声で挨拶をし、一礼してベンチへ向かう。
…何かおかしい
何か味わった事の無い雰囲気を感じる。そう思った。
何がおかしいわけでもない、何時もと変わらないグラウンド。チームメートの見慣れたメンツ。でも何かおかしい。
その時やっと気づいた。
視線だ。全員の視線が集中している。そして誰も話しかけてこない。
そんな事を思い始めたタイミングで監督がグランドに現れた。みんな一斉に挨拶をする。身長170位、体重は100キロはあるだろう。ハゲた頭を丸刈りにして口髭をはやし、威圧感たっぷりだ。鬼監督としてみんなに恐れられていた。ドラフトにかかり大学を卒業後プロに入団したがあまり活躍できず怪我で現役を辞めたらしいが噂には尾ひれがつきもので真実がどうなのかは誰もわからなかった。それでも指導者としては有名で過去に4度クラブチーム日本一に導いている。
『監督、おはようございます』
何時も通り近づいて挨拶をする。
『おっ。。おう』
何故か顔つきがこわばって見えた。いつもなら
『おはようさん!調子どうや?』
っと人一倍大きな声で聞いてくる。
何かがおかしい。
練習が始まってもその違和感は消えなかった。むしろ増していく。
Aチームのノックが始まったので今のうちにとトイレに行くことにした。
トイレは駐車場にあり、簡単な洗い場もあるためバーベキューなどに来たら洗い物をして帰ることが出来る作りになっていた。トイレを済まし手を洗っていると話し声が聞こえてきた
『あの子今日来てるわね。よくあんな事件の後に顔出せたもんよね。怖くてしょうがないわよ』
(事件?怖い?何のことだ?)
『ホントよね。親も何考えてるのかしら。どんな育て方したら殺人事件なんか起こすのかしらね。良い迷惑よ。高校のスカウトに印象最悪じゃないの』
(殺人事件?印象?)
洗い場は壁の反対側の為誰が話しているかは解らない。それでも自分の事を話している事はすぐにわかった。
『辞めてもらわないと困るわ。うちの子にも話たらダメって言い聞かせたわよ。』
『私、監督さんに抗議しようかしら。怖くてしょうがないって。殺人者と同じチームなんて子供達がかわいそうだと思わない?』
『そうね。私も言おうかしら。全く良い迷惑よ。あの子の親も事件の後チーム全員の家に謝罪に回ったみたいだけど謝られてもって感じよね』
(謝罪に回った?何でだ?俺は何も悪いことなんてしてないのに。何で謝るんだ)
そう思いながらしばらく呆然と立ち尽くしていた。
『野球やってる場合じゃ無いでしょって私あの子の母親に言ったんだけど、どうしてもあの子にチームを続けさせて下さいって頭下げられたからその場は納得した形で帰ってもらったけど、ホントにいい迷惑よ』
まだ立ち話は続いている。
何故自分が悪者扱いされるのか納得できない。むしろヒーローだと思っていた。
頭の中を整理できないでいるままトイレを出た。
壁の反対側で噂話をしていた2人の母親達はまさか聞かれていたとは思っても無く、気まずい空気になったままグラウンドの方へ小走りで帰って行った。 自分は人助けをしただけなのに。
やりきれない気持ちで溢れ、その場に座り込んだ。
10分程そうしているとグラウンドからこちらに向かい歩いてくる監督の姿が目に入った。目の前で立ち止まったがこちらを向いたままじっと見つめている。
『すいません、今戻ります』
立ち上がりながら言った時、監督が口を開いた
『いや、今日はもう練習に戻らなくていいから帰りなさい。夜に家に電話するからと両親に伝えといてくれるか』
それだけ言うと背を向け歩いてきた方へ戻っていった。
(さっきの親達が抗議したんだろうな)
それだけはわかった。でももうどうでもよくなった。荷物を取りにベンチへ戻り、片付けをしてグランドをみた。バッティング練習の最中だがみんなこっちが気になるようで何人かと目があった。親たちもひそひそと話しながらこっちを見ている。
悔しかった。何故自分がそんな目に合うのかわからない。何故大好きな野球ができないのか。どうしていいのかわからず荷物を持ってバス停まで走った。
5分後バスが到着し、窓際の一番後ろの席に座った。走り出してしばらくすると橋にさしかかりさっきまで練習していたグランドが見えた。野球をしているチームメートを見ると涙が溢れ、バスの中だったが声をだして泣いた。
涙は家に着くまで枯れなかった。




