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専属侍女二人・後

エルサーナはお茶でのどを潤し、優雅な手つきでカップを受け皿に戻した。


「あなたも知ってのとおり、ウォーロック家は王国筆頭貴族。だから、結婚は半ば義務みたいなものなの。私も、昔はどこかの家の方と結婚して、家を出て、子供を産んで暮らしていくものだと思ってたわ。お決まりのパターンで、小さいころからの婚約者もいたのよ。だけど、私、結婚がうまくいかなかったの。それも、3回もよ。今考えても、私の何が悪かったんだろうって思うわ」


ひとつため息をつき、エルサーナはカップの中、鮮やかな紅い茶に視線を落とす。


「最初の相手は、幼馴染の候爵家の息子だったわ。昔から、親同士の口約束みたいなもので、お互い結婚することに疑問なんかなかった。けれど、相手が男爵家の令嬢を見初めて、私とは結婚できないって言われて、婚約を解消したの。でも、それは別に良かったのよ。元々仲がよかった時間が長すぎて、お互い異性として見ていなかったから、そんなものかって、納得して。家同士も揉めなかったから、円満だったと思うわ。でも、私、知らない間に幼馴染とその結婚相手の方を攻撃していたのよ」

「知らない間に…ですか? そんなことが出来るんですか? どうやって?」

首を傾げたアーシェに、エルサーナは淡い笑みを浮かべる。


二人が結婚したことに対するわだかまりは、エルサーナには一切なかった。よかったな、うらやましいな。当時の少女らしい憧れを感想に持った程度だった。

それから少しして、ある夜会で、二人の姿を見かけた。祝福しようと近づいたら、幼馴染が敵意のあるまなざしを向けてきたことに驚いた。その妻も、おびえて幼馴染の背中に隠れるように立っている。

どうしてそんな風に見られなければならないのか、エルサーナにはわけがわからなかった。それでも、祝福を、と、一歩踏み出す。

「あの、お久しぶりね」

「なんの用だ。何しにきた」

幼馴染だったはずの男性に、警戒をあらわににらみつけられて、怯む。

記憶にある彼は、いつも穏やかな笑みを浮かべていたはずなのに、今目の前にいる彼は、今まで一度も見たことのない、険のある顔をしている。

どうして。なぜ? 私、何かした? 訳が分からない。手が震える。でも、勇気を振り絞って言葉を紡ぐ。

「何しにって、私はただ、祝福をしようと…」

「祝福? 君が? 今まで散々アナスタシアに嫌がらせをしてきたくせに、どの口が言うんだ、白々しい」

なじる言葉は低くても、周囲には伝わる。3人を遠巻きにしている視線が痛い。

どうしてこんなことになっているんだろう。私は何をしたのだろう。きついまなざしが、怖い。震える唇は、声も出ない。 

「君がそんな人だとは思わなかったよ。本当にがっかりした。最低だ。もう十分だろう、これ以上俺たちにかかわらないでくれ。もう二度と、妻にも俺にも近づいてほしくない。公爵令嬢が聞いてあきれるよ。君の行いは、その肩書きにはふさわしくない」

そういい捨てて、二人はエルサーナの前から去った。

後に残されたエルサーナは、青ざめた顔で、呆然とそれを見送るしかなかった。


「後でわかったことは、友達や親族の叔母様たちが、私が相手の女性に彼を奪われたと思い込んだということなの。それで、奥様の身分が低いのをいいことに、彼らに嫌がらせをしていたらしいわ。それを、私がやらせていたと勘違いされてしまったのね。私は全然知らなかった。誰がやったのか、どこまで広がっているのか、それすらも、私にはわからない。仕方なく、ライトに頼んで調べてもらって、手紙や、直接お会いしてそれをやめてもらうように頼んだの。だけど、気づくのが遅かったのね。二人とは、もう溝は埋まらなかったの。今でも、夜会や外出先で会っても、お話さえも出来ないわ」

ずいぶん昔の話だ。浮かべる笑みは、いつもと同じく穏やかだけれど、アーシェにはどこか寂しさが混じっているように見える。

「そうなんですか…。ライトも、知らずに回りが争うって言ってました。それと同じですね」

「純粋に私を心配する気持ちがないとは言わないけれど、打算も大きいでしょうね。自分で言うのもなんだけれど、私と親しければ、それだけで一目置かれるから。だからやっぱり、元凶は私なのよ。知らなかったで済ませることは出来ないわ」

知らないことも罪なのだと、知ったのはこのときだった。


打ちのめされ、2~3日ふさぎこんだエルサーナに、たずねてきたライトも鋭い言葉を投げる。

「エル、俺たちは、ウォーロックの名を背負っている。いつどこで誰が足を引っ張るかわからない。逆に言えば、そういうやつらがいると、常に意識していなければならないんだ。自分の身を守るためだけでなく、周りの誰かを守るために。でないと、またトラブルが起こるぞ。知らなかったでは済まされない。もっと自覚しろよ」

尻拭いをさせた形のライトの顔は、あきれていた。自分の認識の甘さと、甘えを自覚して、恥ずかしかった。


「次は、縁談が持ち上がった途端に逃げられたのよね。お相手には想う方がいらっしゃったらしくて、その方と一緒に姿を消してしまったの。後でみつけたときには、すでに奥様が身ごもっていらっしゃって。謝罪の手紙をいただいたのだけれど、そこには私や私の周囲に対する恐れしか書かれていなかったわ」


彼らを見つけた家令が言付かってきたという手紙には、謝罪が一言と、それ以上にウォーロックの名を恐れ、敬遠する言い訳が並べられていた。

逃げられたこと自体に、特に感慨はなかった。顔と名前を見知っているだけの間柄だったし、まだ何も始まってもいなかった。始まる前に逃げられたのだから。

けれど、エルサーナは、それだけで自分のすべてを否定された気がした。これも、私のせいなのだろうか。そう思うと、ひどく悲しくて、みじめだった。


「3回目の方はね、伯爵家の方だったのよ。私との結婚も、前向きにお返事してくれて、すごく優しくて、すぐに好きになって、幸せだと思ってたの。だけど、出る予定のなかった夜会に急に出ることになった時に、その方が女性と居るのを見てしまったのよね」


その親密さは、自分たちの比ではなかった。明らかに、『愛人』と称される間柄をにおわせる二人のやり取りに、その場を逃げ出すしか、エルサーナに出来ることはなかった。


「私は耐えられなかった。私がエルサーナ・ウォーロックでさえなかったら。心の底から思ったわ。その時初めて、ライトの気持ちがわかったような気がしたの。自分も、周りも、傷つけるだけだと言っていた、あの子の気持ちが。だけど、私にはお兄様のように、あらゆる障害をねじ伏せる力も意思もない。ライトのように、すべてを捨てる勇気も覚悟もなかった。私は、華月宮に逃げ込むことでしか、自分を守ることが出来なかったの」


アーシェは、真剣に話に聞き入っている。エルサーナはもう一度カップを口に運び、それを受け皿に戻してため息をついた。


「レイド様と会ったのは、華月宮に入って1年くらいかしら。専属侍女の仕事にも慣れて、面白くなってきた頃ね。すぐに好きになって、お付き合いするようになって、でも…、私からお別れしたのよ」

期間は短かった。けれど、そのときのことは、エルサーナにとってはそれまで生きてきた時間の何よりも、濃密で甘い記憶。さすがにそれを話すのははばかられて、短くたたむ。

「え…、そんな、お別れしたって、どうしてですか?」

直球な質問に苦笑して、エルサーナは袖の上からそっとその下に隠れた銀の輪に触れた。

「レイド様が、うまく私に取り入ったって…。ウォーロックの名前を使って箔をつける気なんだろう、ライトを引き抜いたのは、その見返りなんじゃないか、姉弟を抱き込んでその地位にのし上がったんだろうって、そんな周囲の噂話が耳に入ってしまったの。それだけで、私はもうだめだった」

失敗した3回の結婚で、エルサーナの臆病になっていた心は、止めを刺されたのだ。もろくなっていた心は、そんな心無い噂話に、あっけなく崩壊してしまった。

これ以上傷つきたくない。これ以上傷つけたくない。

私がいるだけで、周りの誰もが不幸になる。

レイドも、潰されてしまうかもしれない。離れていくかもしれない。

その恐れから、今度はエルサーナが逃げた。


「私も、ライトと同じなの。私の存在は、周りを傷つける刃になるのよ。私にかかわって、いいことなんか何もないわ。私はこうして、城にこもっているのが一番いいのよ」

自嘲的な笑みを浮かべるエルサーナを、アーシェは困ったように見つめている。

「でも、レイド様なら、そんなのものともしないような気がしますけど…」

今のアーシェに映るレイドは、微塵も揺らがず、障害など蹴り飛ばして我が道を行く、強い人に見える。実際そうなのだろうし、たとえ5年前でも、噂に屈する姿など想像できない。

けれど、エルサーナは悲しそうに笑っただけだった。

「そうね、こんなの…ただの言い訳ね。多分、アーシェの言うとおりなのだと思うわ。傷つきたくなかったのは、私のほう。レイド様とお付き合いしていて、周りの雑音に耐えられなかったのは、私のほう。だから逃げたのよ。私のせいで、レイド様が自分で手にした努力にケチが付く。名誉が汚される。レイド様は平気でも、それを耳にしたら、私がきっと耐えられない。私のせいでレイド様が悪く言われるって、きっとどうしても気にしてしまう。それが怖かったの」

「でも、エルサーナ様は、レイド様のことが今でもお好きなんですよね?」

確認するかのようなアーシェの言葉に、エルサーナは淡く笑った。

「もう、あの人以外じゃ心が動かないの。そのくせして、自分から追う勇気がないの。私は、弱いから、自分の弱さに負けているの。だからもう、ここから出て行けないの。レイド様のところには、行けないわ」

あきらめたように首を振るエルサーナに、でも、と、アーシェは思う。団長室で、レイドはエルサーナのことを、『もう逃がすつもりはない』と、事あるごとにライトに言いきっている。

どう見ても、こういう駆け引きめいたことは、エルサーナよりもレイドのほうが強そうだ。おまけに、エルサーナは色々我慢しているだけで、レイドのことが今でも好きなのだ。

アーシェの目から見ても、圧倒的に、エルサーナの分が悪い。

けれど、アーシェは賢明にもそれを口に出すことはなく、『そうなんですか…つらいですね』と一言言って、お茶を飲むだけにとどめておいた。

次回より、エルとレイドの過去編です。

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