その腕の中で
ホールの真ん中に連れ出され、レイドに導かれるままくるくると踊る。これも、昔のあの夜と同じだ。
レイドはあの時と変わらず、無機質だが正確無比なステップでエルサーナを導く。エルサーナは、ここ数日の練習の成果で、何とか足をもつれさせることもなく舞い続ける。
レイドの手にかかると、自分がまるで羽のように軽くなる気がするから、不思議だ。要所で力を入れるのが上手いのか、タイミングの問題なのか。時折、ふわりと宙を舞う感じを味わえるので、レイドとのダンスは楽しい。
「夜会からは4年も遠ざかっていたので、ダンスは自信がなかったんです。足がもつれたらどうしよう、忘れていたらどうしようって」
背の高いレイドに寄り添うようにしていると、ふわりと落ち着いた甘い香りがする。この距離に近づかないとわからないほどの、控えめなもの。エルサーナの好きな香りだ。落ち着くのに、どきどきして、落ち着かない。不思議な感覚。
「たくさん練習しました。また、レイド様と踊りたくて」
「そうか」
常に厳しさをうかがわせる表情は、変化に乏しい。けれど、エルサーナを見下ろす鋭い目が、ふっと緩む。
「だから、うれしいです。とても」
「お前が望むなら、いつでも相手になろう」
「ありがとうございます。また夜会に出ようとは、まだ思えないですけど…」
「俺がいるから問題ない。俺が一緒に行ける夜会だけにしたらいい」
「そうですね。…また踊りたいので、考えてみます」
「そうしろ。俺もたまには、ドレス姿のお前が見たい」
低い声は、まるで睦言をささやくかのような艶を含んでいて、エルサーナの耳を撫でていく。
レイドの言葉に、久々に華やかなドレスに身を包んで、レイドの目にどう映っているのか、浮いていないか、少しだけ不安になった。
「私、変ではありませんか?」
「とても美しいな」
「そんなふうに言われても、からかわれているみたいです」
間髪いれずに返ってきた答えにちょっとだけ不満そうに告げると、レイドの目線はさらに甘さを増した。
「そんな顔をするな。ただでさえ理性が崩れる寸前で踏みとどまっているのに、煽られている気分になる」
「今私そんな変な顔していましたか!? 煽ってなんかいません!」
「無意識なら…もっとたちが悪いな。まったく、お前にかかると俺は振り回されてばかりだ」
わざとらしいため息。瞳の奥にからかいの色が浮かんでいるのは、この密着した距離ならわかる。けれど、エルサーナはつい声を上げてしまう。
「何をおっしゃるの!? さっきのあれは、私を振り回していないとでも言うのですか!」
「お前に振り回された挙句に、外堀を埋めにかかったのだから、自業自得と言うべきだろう?」
「私が悪いのですか! もうっ、ひどいですわ!」
睨みつけるエルサーナに、レイドはついにくくっと笑う。
ダンスの最中に交わされるやり取りは、傍から見ればずいぶんと甘ったるく見えたのだろう。はじめのうちは興味津々に注がれていた視線が、今ではずいぶん減っている。見ていられなかったか、飽きたのかどちらだろうか。
「どうだ。そろそろ気になる視線はなくなっただろう」
「そのようです。でも、どうして…?」
エルサーナが疑問と共にレイドを見上げると、ちょうど音楽が途切れた。組んでいた手を解き、壁際に導かれる。
「俺も、そう詳しいわけではないが」
そう前置きして、レイドは視線でひとつのグループを示した。そこには、華やかな美貌の令嬢を中心とした輪が出来上がっている。
「エルストナー伯爵令嬢、エイミーだ。去年デビューしたばかりだが、あのとおりの美しさで、去年の夜会の話題をさらった。今は彼女とダンスを踊ることが一種のステイタスだそうだ」
エルサーナは、夜会の前に母によって詰め込まれた、最近の夜会事情を引き出しにかかる。
エイミー・エルストナー。エルストナー伯爵の次女で、16歳。明るく社交的で礼儀正しく、社交界での評価は高い。歌が得意で、数年前には武術大会の御前試合で、幼いながらも一人で国歌を披露したこともある。
それと大人びた美貌もあいまって、現在最も貴族の若者が注目している存在だ。
レイドは視線をめぐらし、もうひとつのグループに顔を向けた。その先には、翡翠色のドレスに身を包んだ、妖艶な女性が立っている。
「あれはバカラ候爵令嬢、ハルミナ。夜会では隣に立つ男が毎回変わる。次は誰が立つのか、常に噂されているな」
ハルミナ・バカラ侯爵令嬢。現在20歳になる彼女は、恋人を変えるので有名だ。
美しいボディラインを強調するドレスを身にまとい、見目のいい男性を次々と落としていく、「魔性の美女」。微笑を浮かべる赤い唇の際にあるほくろが印象的だ。確かに、女性の自分から見ても、その笑みには一瞬どきりとする色香をまとっている。
そして、レイドはエルサーナに視線を戻して、薄く笑った。
「つまり、俺たちは流行遅れの話題と言うことだ。俺たちのように歳のいった男女より、今をときめく令嬢たちの動向のほうが見ていて面白い。それだけの話だ」
「確かに…」
その説明は、非常に納得のいくものだった。事実、そのほかのいくつかのグループにも、中心となる令嬢がいる。彼女達がどんなドレスを着て、どんな化粧をして、どこの工房作のアクセサリーを身につけて、誰の話題を話すのか、誰と踊るのか、誰を射止めるのか。
みんなが、注目している。エルサーナとレイドは、おまけと言ってもいい。
そうとわかると、知らずにこもっていた肩の力が、すとんと抜けた。気負いすぎていたのがどうにも恥ずかしかった。
「あそこにも、別の意味で注目されているのがいるがな」
くくっと笑いが混じった声に促されるように視線を向けると、そこにはうっとりした表情の令嬢に囲まれた、無表情のライトがいた。
「だいぶいらついてるようだな。アレもめったに夜会に出てこないから、こういう場に出るとどの令嬢が射止めるのか、未だに注目されている。いつまでもふらふらしていたツケだ。あれこそ自業自得というべきだな」
ライトは、うんざりした空気を隠そうともしていない。彼にはアーシェと言う存在がいるけれど、パートナーとして正式に認められているわけでもないし、おそらくライト自身、こういう場に出すのを嫌がるだろう。チャンスと見る女性達に囲まれるのは仕方がないこととはいえ、何と言っていいのかわからずに、エルサーナは困ったように弟を見るだけだった。
それに気づいたライトが、女性の包囲網を振り切ってこちらに向かってくる。追いすがる令嬢を、鋭い剣のような一瞥で追い払って。
「ったく、香水と化粧のにおいで鼻がバカになりそうだ。じい様も趣味の悪い女ばかり集めやがって、あのバカ女共全員蹴散らしてやりたい」
こちらが声をかけるよりも先に不機嫌に毒づかれて、エルサーナはあっけにとられる。昔夜会で見たライトは、とても愛想よく女性の相手をしていたし、時にはそのままどこかに消えたりしていたはずだ。けれど、今の態度は、ずいぶんとひどい。
「ライト、そんな言い方はないでしょう? 失礼よ」
「言いたくもなる。アーシェを馬鹿にされて黙ってられるか! あいつら、自分を売り込むためにアーシェを貶めやがった。全員覚えてろ…!」
不穏な空気を漂わせながら舌打ちをするライトに、エルサーナはため息をつく。彼女らは、ライトの地雷を踏んだのか。他人の大事な人間を貶めて、どうして自分が気に入られると思うのだろう。その辺の思考回路は、理解できない。
「あーもーうんざりだ。俺は帰る」
投げやりに言い放ったライトに、エルサーナは驚いた。
「帰るって、まだ一時間しかたっていないじゃない!」
「挨拶が必要なところには一通り済ませた。じい様とクソ親父との約束は、せめて一時間会場にとどまれ、ってことだったから、問題ない。アーシェのところに帰りたい」
「どこのガキだ」
「うるさい! あんただって女に釣られてのこのこ出てきたんだろうが! 人の事言えんのか!」
レイドの突込みに噛み付くライトにも、その上司はひょいと肩をすくめただけだ。
「昔は女と酒のにおいをぷんぷんさせながら出勤していたくせに、変われば変わるものだな」
「昔の話だろ!」
忌々しげに言い返すライトの姿は、近年見られなくなっていた、喜怒哀楽がはっきりしていた少年の頃のことを思い出させた。
少し前まで、貼り付けたような薄い笑みの下に無関心を押し隠し、厭世的で冷淡な態度で振舞っていたライトの姿はすでにない。そうさせているのは、ここにはいない、彼の大切な黒髪の少女・アーシェによってもたらされたもの。
エルサーナはくすりと笑った。
「そうね、アーシェが待っているわね。きっと今頃、さびしい思いをしていると思うわ。私もレイド様もいないのだし、本当に一人ぼっちだもの。早く帰ってあげるといいわ」
ところが、いつもは口うるさい姉が妙に理解のあることを言ったせいか、ライトが途端に胡散臭そうに顔をゆがめた。
「なんだよ、気持ち悪い。どういう風の吹き回しだ?」
「失礼ね、あなたに気を使っているんじゃないわ。アーシェの気持ちがわかるからよ!」
なにやら気味が悪いものを見るようなライトに憤然として言い返せば、不意にレイドに腕を引かれた。
「話は済んだか。ではお前はもう帰れ」
「あからさまに邪魔扱いするな! ったく、言われなくても帰るっての」
くるりと背を向けたライトが、背中越しにひらりと手を振って去っていく。
エルサーナのほうは、レイドにやや強引に連れ出されて、いぶかしげに彼を見上げた。
「あの、レイド様?」
「すこし出る」
「はい…」
その横顔からうかがう鋭い目は、何か明確な意思が見え隠れしていて、エルサーナは今の会話に何か問題でもあったのかと、首をかしげた。