巡る思惑
開け放たれた大きな扉は、美しい彫刻と金の装飾が施されて、公爵家の夜会にふさわしい絢爛さだ。
踏み込んだホールは天井が高く、色とりどりの天井画が描かれて、大きな魔法光のシャンデリアがまぶしいくらいに輝いていた。まるで、ルイズベルト公の威をあらわしているかのよう。
ホールに集まった人々は、それぞれが贅を尽くして装い、競い合う。
男性は流行を取り入れた長衣にストールを巻いて垂らし、金モールや刺繍をふんだんに使って、ドレスシャツやタイを身につけている。
女性達は刺繍やレース、コサージュ、スパンコールを縫い付けた色とりどりのドレスを身にまとい、手に手に扇子を持って、髪を美しく結い上げ、きらびやかな宝飾品でその身を飾っている。
気後れしてしまいそうな、色と光の渦。久しぶりのそれは、やはりエルサーナにとっては刺激が強い。
「正面切って相対することもできない連中だ。数は多いが、それだけだ。ちょっとにらみを利かせれば黙る。臆するな、堂々としていろ」
ホールに入る前にささやかれたレイドの言葉に勇気をもらい、エルサーナはピンと背筋を伸ばし、まっすぐ前を見て進む。ひそひそとささやくほうに顔を向ければ、さっと静かになる。
ただ、集まる視線は、前よりも多い。それは、昔のように刺さるようなものもあったけれど、注がれている大半は、何かそれ以外の意図を感じて、落ち着かない。
「どうした」
「なんだか、すごく見られているようで、どうしたらいいか」
気づいたレイドを不安そうに見上げると、ふっと唇の端で笑われる。
「それは、見るだろう。…これほど美しければ、注目もする」
「からかわないでください…!」
「本当のことだ。…しかし、男共が見るのは、気に食わんな」
ちっと舌打ちをしながら、威圧するように周囲に鋭い視線を走らせる姿に頬を染めて、エルサーナはレイドの腕にかけた手にきゅっと力を込める。
前のようにレイドの後ろに隠れることだけはしたくない。ならば、見られるくらいのことで、負けてはいられなかった。
城で政務についている貴族や、顔見知りの婦人たちと、軽くあいさつを交わしていく。緊張で心臓がどくどく跳ねているけれど、それを押し隠して、笑顔で言葉を交わす。少し前なら、こんな風に会話をすることすら怯えていたというのに。
自分が変われたかどうかはまだわからない。けれど、背中を押してくれたレイドや両親のためにも、引き下がりたくはなかった。
レイドとともに、宴の主役であるルイズベルト公爵へ挨拶に向かう。
背もたれの高い重厚なつくりの椅子に、杖を片手に座る姿は、今でも王族の威厳を保っている。けれど、久しぶりに見る大叔父の姿は、記憶にあるよりも幾分小さくなったように感じられる。4年も不義理をしてしまったことを、エルサーナは苦い思いで後悔した。
けれど、公爵の反応はあの時とはまったく違っていた。エルサーナを伴ったレイドが近づくと、深いしわを刻んだその顔に喜色を浮かべる。そして、エルサーナより先に口上を述べたのは、レイドのほうだった。
「公、ご無沙汰しております。このたびはお誕生日誠におめでとうございます。ご壮健そうで何よりです」
「よく来た、グランツ。まったく、近頃は私を放って仕事ばかりとはいいご身分だな」
「返す言葉もありませんが、私は暇ではありません」
大叔父とレイドの会話は、軽い。大叔父のわがままとも取れる言葉をさらりと受け流す様は、どう見ても親しいもの同士のそれだった。
ふん、と大叔父が鼻を鳴らす。
「お前の事情はどうでもいい。『私が』暇なのだ。戦略将棋の勝負も預けたままであろう。たまには顔を出せ」
「戦略将棋よりも『大事』なことがありましたので。申し訳ありません」
どうしてとあっけに取られるエルサーナとレイドをじっくりと眺めて、大叔父はにやりと笑う。
「ふむ、確かに、それは『大事』だな。仕方がない、大目に見てやる」
「ありがとうございます」
いったいなぜ、レイドは大叔父とこんなに親しくしているのだろう? というか、いつの間に親しくなったのだろう? わけがわからなかった。
けれど、公爵は一転、何の含みもない笑顔に変わってエルサーナに顔を向けた。
「エルサーナも久しぶりだな。まったく、この爺を4年も放って置くなど、私は寂しかったぞ」
「も、申し訳ありません、大叔父様。お誕生日おめでとうございます。それで、あの…レイド様と、いつの間に親しくなられたのですか?」
そう尋ねると、人の悪い笑みを浮かべる大叔父は実に楽しそうで、次に何を言われるのかと身構えていたら。
「そうさな、月に一度は戦略将棋の相手をさせておる。それに、この男にお前を嫁にやりたくてな、いろいろけしかけているところだ」
…思わぬ爆弾が落とされた。
エルサーナは瞬時に顔を真っ赤に染めた。
「な、何をおっしゃっているんですか! こんなところでおふざけにならないでください!」
「ふざけてなどいるものか。なんだ、グランツでは不満か」
「そうではなくて! レイド様に失礼ですわ!」
ところが、大叔父はエルサーナの抗議などどこ吹く風とばかりに涼しい顔をしている。
「歳もちょうどいいし、こうして2人で夜会に現れるくらいだ、憎からず思っておるのだろう? お前もいい年だ、さっさとグランツと結婚してしまえ」
「大叔父様!」
だが、無責任に吐き出した言葉に、レイドは神妙な振りでうなずいた。
「私はすぐにでもそうしたいのですが、後一押しというところです。近いうちにエルサーナ殿の花嫁姿をお目にかける予定ですので、それまでお元気でいらっしゃってください」
「もちろんだ。ああ、孫の顔も期待しておるぞ」
「お任せください」
「レイド様! 勝手なことをおっしゃらないで!」
大笑する公爵に礼をして、レイドはかわいそうなくらいにうろたえるエルサーナの腰を抱いて、さっさと引き離しながら笑みを見せる。
「どういうことですか、なぜ大叔父様とあんなに親しいんですの!?」
「この4年、俺もただぼーっとしてお前を待っていたわけではないということだ。地道に外堀を埋め立てていた。褒めて欲しいものだな」
「だからって、嫁にやるとか、孫とか、そんな話まで!」
「悪いか。現実的にありえない話でもない。公はずいぶん楽しみにしていたぞ。もっとも、あのお年になれば、嫁とか孫とかは世間話だ。戦略将棋の相手をしている間は、その話ばかりだからな。…もちろん、俺も楽しみにしているが」
「やめてください、からかわないで…っ」
真っ赤な顔で抗議しても、レイドは気にした風もない。
いったいどうなっているんだろう。自分は、ようやくレイドとまた恋人同士に戻ると言う決心をしたばかりなのに、そんなところは素通りして、目の前では嫁とか孫とか言う単語が飛び交っている。まったくついていけない。エルサーナだけが恥ずかしい思いをしているのが、どうしても悔しい。
「よく言うだろう、将を射んとすればまず馬から、とな」
「その馬が、私や叔父上と言うわけか」
レイドの言葉に冷ややかな声が割って入り、そちらに目を向けると、父アレクサンドル・ウォーロックと、その妻シルヴィーヌ・ウォーロックが立っていた。
すっ、とレイドの雰囲気が変わる。目を細めて、突き刺さりそうな視線を投げかけるアレクサンドルに、レイドは挑むように向き直った。