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母と娘・前

母、シルヴィーヌ・ウォーロックが華月宮に姿を現したのは、その日の午後のことだった。

現在はウォーロック公爵家に降嫁したものの、現国王の妹であり、元は王女殿下と呼ばれていた女性だ。城とのかかわりは深く、華月宮も勝手知ったる場所である。

母はまずシェルミラの元に赴いて、久しぶりの茶会を楽しんだ後、同席していたエルサーナを伴って、彼女の自室に引き上げた。

連絡もなく現れた母の姿は、エルサーナにとっては急な訪問に思えたけれど、茶会の準備は手抜かりなくされていたところを見ると、シェルミラには先触れがあったのだろう。そうやって自分にだけ内緒にしている意味がわからない。

それでも、エルサーナは母をソファに落ち着かせ、お茶のカップを置く。

「お母様、突然どうなさったの? 私には知らせずに、シェルミラ様は知っていらっしゃるのはおかしいですわ。何かあったのですか?」

「夜会の誘いに来たのよ」

エルサーナが入れたお茶を優雅に口に運びながら、シルヴィーヌはなんでもないことのように言う。けれど、逆にエルサーナは眉をひそめた。

「それって、大叔父様の夜会のことですよね? お父様には、明日お返事しますとお伝えしてあります。出なければいけないのはわかっていますけれど、わざわざお母様がいらっしゃるようなことですの?」

「そうねぇ。4年も夜会から遠ざかっているあなたの重い腰を上げさせるには、私の説得も必要だと旦那様がおっしゃるからよ。ここまでされる自覚はあるのでしょう?」

「それは…」

確かに、今まで逃げ回ってきた実績がある以上、父としては打てる手を打っておきたかったのだろう。特に夜会のこととなると、母は父以上に手ごわい。

「何も、結婚相手を探せといっているのでもないし、男性と積極的に交流しろと言っているのでもないわ。噂と言っても、周りを飛び回る虫の羽音が少々わずらわしいくらいのものじゃないの」

「お母様…。その言い方は、失礼よ」

「あら、ごめんなさい。ここだけの話ね?」

元王妹という立場のせいか、母はにっこりと笑って辛らつなことをさらりと口にするときがある。親族の女性達の噂や振る舞いを、「虫の羽音」と言い切ってしまえる度胸は、やはり王族の生まれならではのものなのだろうか。

せめてその半分でもいい、私ももう少し強かったら、と思うときもある。

「旦那様に倣うわけではないけれど、もう十分時間は過ぎたのではなくて? あの頃に比べたら、今自分を取り巻いている状況も、少しは冷静に見られるようになっているでしょう。まして、今回の夜会は、ウォーロック公爵家として出席は義務。それに、わたくしは久々にあなたと夜会に出たいの。今回は叔父上様の付き添いも不要だし、旦那様もいらっしゃるわ。何をそんなに怖がっているの?」

きっと、母にはわからない。上に立つものの強さを生まれ持っている彼女には、エルサーナの恐れる気持ちは理解してもらえない。

「私の動向を、みんながずっと見ている気がするんです。ばかげているとわかっていても、私は人の視線が怖い。どう思われているかが怖いんです」

「誰にも顧みられずに埋もれているよりずっといいわ。それに、わたくしがこんなに美人に産んであげたのよ。羨んでいるだけよ」

母の言葉を素直に信じるには、エルサーナは痛い思いをしすぎている。母の言葉を都合よく鵜呑みにするほど、もう無垢でも少女でもない、

「そんなわけないわ。みんな、面白がっているだけ。次に私が何をするのか、バカにして噂したいだけよ。もう何度も経験してきたわ。あんな思いはもうしたくないんです。それに、4年も全然夜会に出ていなかったのに、今になって急に出て行ったら、また何を言われるか…」

うつむいて、震える手を握り締めた。どこに行っても、ついて回るのは「結婚できない公爵令嬢」に対する視線と噂だ。今頃のこのこ夜会に出席などしたら、まだ結婚をあきらめていなかったのかという目で見られそうで、気が滅入った。

「あなたは、そういうことを気にする子だったものねぇ。ライトは面倒くさがりだから、あなたのエスコートにつけたとしても、そこまであなたをフォローするとも思えないし。…そうだわ、それなら、誰か信頼できる方にエスコートをお願いしたらどう?」

母は、名案を思いついたように表情を明るくして、ぽんと両手を合わせた。

わけがわからず、眉をひそめて母を見たエルサーナに、シルヴィーヌはにこやかに爆弾を投げ落とした。

「以前、ライトの代役をお願いした方がいらっしゃったでしょう? 騎士団長の、グランツ様だったかしら。またその方にエスコートをお願いしたらどうかしら?」

その一言に、エルサーナは驚いて息を呑んだ。

「なっ、何をおっしゃるの!? レイド様にだなんて、ご迷惑よ! あの方はとてもお忙しい方で…!」

「あら」

エルサーナの声をさえぎって、シルヴィーヌはエルサーナの顔を覗き込む。

「お名前で呼ぶほど親しいの?」

「えっ! いえ、あの、そうではなくて…!」

まさかそこを突っ込まれるとは思っても見なかったエルサーナは、目に見えてうろたえる。

けれど、母は上機嫌でうなずいた。

「それならかえって好都合ねぇ。本当に立派な方だったし、ライトの上司でもあるわけだし、我が家に無関係な方でもないし。お父様からお願いしていただくから、そのつもりでね?」

「あの、お母様!?」

エルサーナを置いて、母はさっさとそう決めてしまう。こうと決めたら、母は人の話を聞かない。シルヴィーヌは、あわてて止めにかかるエルサーナに首を傾げて見せる。

「なあに? もしかして、グランツ様では不満?」

「違います!」

「じゃあ、ほかにエスコートをお願いしたい方がいるのかしら?」

「そんな方、いるわけがありませんわ! そうではなくて、グランツ様にご迷惑だと言ってるんです!」

「嫌でないのならいいじゃないの。グランツ様には無理強いはしないわ。彼が否と言えば、こちらはそれ以上のお願いはしません」

畳み掛けられて、エルサーナは返事に窮した。

母は、どうあっても折れてくれそうもない。けれど、レイドには前も嫌な思いをさせてしまった。

レイドと共に夜会に出て、また逃げた出したくなったら…。それが、怖くてたまらない。

「…不満や希望は、言ってもいいのよ。あなたがもしも何の身分もない普通の男性と結婚したいと言い出しても、私たちは反対などしません。あなたが本当に想う方がいらっしゃるなら、その方との幸せを一番に考えたほうがいいわ。誰がなんと言おうと、欲しいものは欲しい。私はそうやって、アレクを手に入れたわ」

シルヴィーヌが、諭すように言う。柔らかい声が、胸に落ちていく。

「あなたには、何の障害もないのよ。あるとしたら、あなたの心ね。何が欲しいの? 誰が欲しいの? 本当は、わかっているのではなくて?」

「…それは、でも」

言いよどんだ途端、母の瞳が険しさを増して、そして。

「いつまでもいじけているものではありません。しっかりなさい、エル。あなたは余計なことまで考えすぎよ。外野の言うことなど気にしていてなんになるというの? そんなものはごみと同じです。捨てて置けばいいのよ。本当に欲しいものがあるなら、一度でいいから、なりふり構わずがむしゃらにおなりなさい!」

しかりつけられて、エルサーナは呆然とする。いままで母が声を荒げたことなどなかった。

父も、母も、自分の気持ちなどお見通しなのだろうか。もしかして、昨日アーシェに「行かない」と伝えたことが、ライトから伝わったのかもしれない。

これは、どう見ても自分とレイドとのことを後押ししているとしか思えない。けれど、どうして?

身近な人は、誰も反対なんかしていない。

それなら…自分はいったい、何に躊躇しているんだろう?

エルサーナは、膝の上でぐっと両手を握り締めた。

「わかりました、レイド様にお話を通してください。もしレイド様が出席されない場合は、ほかにエスコートはいりません。私一人で行きます」

母は、エルサーナをまっすぐに見つめる。

噂をするのは、あくまでも外野の者たち。エルサーナは公爵令嬢なのだ。そんなものに振り回されてはいけない。自分の名前と立場に呑まれて、背を向け、小さくなっているから舐められるのだということは、よくわかった。

その返事を聞いて、母はにっこりと笑った。

「わかりました。では、ドレスの手配もあるし、明日にでもお針子を呼びますから、一度うちに帰っていらっしゃい」

「…はい」

そうして、シルヴィーヌはうきうきした様子で帰っていった。

まさかまた、レイドと夜会に出ることになるのだろうか。ぞくりと戦慄にも似た何かが背中を駆け上がり、エルサーナは思わず両手で自分の体を抱きしめる。

5年前の一夜を思い出す。あの、夢のような、熱に浮かされたような、甘くて熱い夜。その再現とは思わないけれど、でも。

不安と、期待と。あの時と違って、どこか熱くて甘い気持ちが混じって、ぐるぐると回っている。

落ち着かない。でも、嫌ではない。

レイドは、一緒に来てくれるだろうか?

レイドからの返事が待ち遠しい。…今夜は、眠れそうにない。

エルサーナ、ゆっくりですが夜会に向かって前進です。

ちょっと蛇足的なところなので、次話は早めにアップします。

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