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決意の先に

レイドは確かめるように、抱きしめる腕に力を込めて、エルサーナの耳元で深く息を吐いた。ふるりと震える細い体をゆっくりと腕の中から開放すると、大きな手でいとおしそうにそっと頬を撫でた。

「驚かせてすまなかった」

「大丈夫、です」

けれど、キスをはぐらかされた唇が、物足りないと訴えている。恥ずかしくて、それを抑えるように、エルサーナはきゅっと唇を引き結ぶ。

それは見て見ぬふりをしてくれているのだろうか。そのままレイドはエルサーナの腰に手を回して団長室の外に促し、ドアに鍵をかけた。華月宮に送る途中の廊下を、ただ手をつないで、離さないように指を絡める。

何か言った方がいいだろうか。でも、何も話すことが浮かばない。

沈黙は気まずくないから、ただ静かに、レイドの体温と、呼吸と、靴音を感じていられて、それはそれで胸が高鳴った。

「愛している」と言う声と、包まれたレイドの腕。それが、頭の中をぐるぐると回っている。

答えなんか、とっくに出ている。結局は、レイドへの想いは消せなかったのだから。

後はただ、決心する時間が欲しいだけ。

華月宮の大扉の前で、レイドが足を止めた。この先は、いくら騎士団長でも許可なく立ち入ることは出来ない。

見上げるエルサーナを、レイドは穏やかな瞳で見下ろしている。

「あの、レイド様。すぐにお返事できなくて、ごめんなさい」

「気にするな。今日明日などと急がせる気はない」

いつでも、レイドはエルサーナの気持ちを優先してくれる。ずっと待っていてくれて、愛していると言ってくれた。

自分も、その気持ちに応えたい。

「あの、少しだけ、お時間をいただきたいの。私、必ずお返事しますから。だから…お願い、待っていてくださいますか?」

一生懸命に言いながら、すがるように見つめるエルサーナの額に、レイドがキスをする。

今日は、キスされてばかりだ。体の芯が熱くなるような気がする。

「ああ、もちろんだ。俺の忍耐が切れないうちに頼む」

「多分、そこまでお待たせしないと思います…」

恥ずかしくて、声が震えた。

触れる手も、キスも、視線も、声も。自分に向けられているだけでうれしくて仕方がない。これを遠ざけて、どうして今まで平気だったのか、不思議なくらいに。

「期待している」

小さく笑ってそう言って、レイドはもう一度エルサーナを抱きしめた。

大扉を閉じるのが、悲しかった。離れたくない、でも、けじめはつけなければ。

扉が閉まるその瞬間まで、レイドと視線を絡ませたままで。



レイドに気持ちを伝える。自分も、愛してると。

そう決心を固めるのに、時間はかからなかった。ここ数ヶ月を過ごして、無視できないほどに、レイドへの気持ちは大きくなっていた。

それに…昔レイドをあきらめた理由が、今はもう無意味なものと化している。それを知ってなおレイドを拒む気には、到底なれなかった。

自分達に必要だったのは、エルサーナ自身のちっぽけな勇気ではなくて、ただ時間だけだったのかも知れない。

今のレイドへの気持ちは、以前よりもずっと強い。それに、たがが外れてしまった感情は、もう抑え切れそうになかった。

ただ、今になって…どうやってレイドに想いを伝えたらいいのか、エルサーナは困りはてていた。


あれから3日、レイドはまだ華月宮を訪れていない。お互いに役職がついている身で、仕事以外の時間もなかなか合わず、顔も見ていなかった。当然、気持ちも伝えることができないでいる。

けれど、もし訪ねてきたレイドと応接で2人きりになったとしても、まさか唐突に「好きです」と告げるわけにもいかない。

自分から訪ねていって、告白する? そんな勇気はさすがにない。

では、この前のように出かけた先で、タイミングを見計らうか。…次に2人で休みをあわせて出かけるなんて、いつになるかわからない。

こんなことなら、迷ったりせずに、あの時に勢いのまま告げていればよかったと後悔しても、もう遅い。

エルサーナは、どうしたらいいかわからずに、途方にくれていた。

そもそも、男性との駆け引きなど経験がない。貴族の女性には、男性との恋を生きがいとしたり、プラトニックな恋の駆け引きを楽しむ婦人も少なくない。

けれど、エルサーナは筆頭貴族である公爵令嬢という立場から、そのような火遊びはできなかったし、興味もなかった。

また、自身の恋愛経験の90%がレイドで占められているせいで、ほかと比較しようもない。

元婚約者とは、駆け引きというよりは、甘言を弄されたと言ったほうが正しいから、参考にはならないだろう。

そうしてそのまま男性との接触を避けて華月宮に入ってしまったために、エルサーナは恋愛の経験値はないに等しかった。

公爵令嬢ではなく、専属侍女として生活して5年にもなれば、人の心の機微を読み取ったり、相手を思いやって行動するということも出来るようになったし、人間関係を円滑にする術も身についたと思う。

けれど、こと恋愛関係となると、まったく勝手が違ってくる。どう立ち回ればいいのかわからないし、男性の心理など、考えてもわからない。だから、レイドにも振り回されっぱなしになってしまう。

告白の仕方なんか、まったくもってわかるわけがなかったのだ。



「あ、エルサーナさん! こんにちわ!」

王妃の書簡を王の執務室に届けるために中央等に向かう途中、西棟からきたアーシェとばったり出会った。無邪気な笑顔で駆け寄ってくる少女に懐かれて、そういえば妹達とも、こうして話をすることも少なくなったと思い出す。

「こんにちは、アーシェ。廊下を走ってはダメよ。あまり音を立てないように、背筋を伸ばしてゆっくり歩かなくては」

「あっ、すみません!」

ちょっと顔を赤くして姿勢を正す素直さに、笑みが浮かぶ。侍女は貴族の行儀見習いが主となるため、プライドの高い女性が多く、注意しても素直に受け入れられるほうがまれだから、こういう姿勢は単純に好ましかった。

「アーシェはどこに行くの?」

「中央棟の財務部まで、備品の予算申請書を届けに行くところです」

「あら、ロベルお兄様のところね」

「はい! いつもお世話になっているんです」

一見すると冷たく見えるが、基本的にロベルクロードは年下に甘い。特に妹達には、忙しい父に代わって面倒を見ることもあったぐらいだ。

その妹達も成人し、結婚したりして、最近はなかなか話す機会も減っている。代わりなのか、アーシェをよくかまっていると、ライトがぶすくれて話していたことを思い出す。

「エルサーナさんはどちらまで?」

「陛下のところよ。シェルミラ様が目を通してサインした書類を届けに行くところなの。だから、途中まで一緒に行きましょうか」

「はい!」

輝くような笑顔に、思わず頭を撫でたくなった。素直で明るいところは、今も変わらない。ライトに大事にされているんだろう。

「レイド様は、お変わりない?」

「はい、今日もまじめにお仕事していらっしゃいますよ。ライトと違ってっ!」

最後の一言に、やけに力が入っているような気がするのは、多分気のせいではないだろう。何を思い出したのか、もうっ! と憤るアーシェを、エルサーナはほほえましく見守る。

「あ、そういえば昨日、ライトに再来週留守番だって言われたんです。夜会に行かなきゃ行けないからって、嫌々でしたけど。何の夜会か、エルサーナさん、ご存知ですか?」

不意に問いかけられて、エルサーナはうつむいた。そういえば、そんな時期になったかと思い出す。


レイドと初めて一夜を過ごした、大叔父の生誕を祝う夜会のことだろう。


「ええ、先代の国王陛下の王弟殿下であらせられる、ルイズベルト公爵の生誕祭ね。私たちにとっては、大叔父様に当たる方よ。すでに国政から退いて久しいのだけれど、毎年盛大に行われるわ。…私は、まだお話は聞いていないから、行かないと思うけれど」

「どうしてですか? ドレスとか着るんですよね! エルサーナさんのドレス、きれいだろうなぁ。私、見てみたいです!」

微妙に濁した言葉に憧れを込めたまなざしで見かえされて、エルサーナは苦笑する。

彼女に夜会の経験はない。自分も少女のころは、きらびやかな舞踏会や美しいドレスに無邪気にあこがれたものだった。

そこに、嫉妬や見栄、好奇、陰謀、色々な思惑が絡んでいることなど、知りもしないで。

そんなどろどろした舞台裏に触れるのは怖い。今でも、夜会に出たくない気持ちに変わりはない。

「そんな立派なものではないわ。もう私も若くはないし、ドレスなんてここ何年も着ていないし。もう似合わないわよ」

「そんなことないですよ! だってエルサーナさん、きれいだし、優しいし、なんていうか、女の私でもドキッとしちゃうんです! 色気があるって言うか」

「まぁ、ありがとう。うれしいわ。でも、夜会は…ちょっと苦手で」

困ったようにはぐらかすエルサーナを、アーシェは小首を傾げて見やる。

何か行きたくない理由があるのだろう。それ以上は聞けない雰囲気に、アーシェは黙って隣を歩くにとどめる。

アーシェが、なんとなく、ライトに聞いてみようと思ったのは、勘が働いたわけでもなんでもなかった。それがレイドとエルサーナの転機になるとは、露ほども思わずに。

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