優しくしないで
まるで夢のようだった。
今まで、できるだけ人目に付かないようにしてきたのに、こんな場で、誰の目にも堂々とダンスを踊れるなんて。
いつもより近い距離、かかる息、フレグランスの香りと、力強く支える腕。
レイドの礼装も、いつもと違う雰囲気で目が離せないし、そのうえダンスまで踊るなんて、これで平常心を保てと言うほうが無理だ。
一曲踊り終えて、壁際に戻る足が、どこかふわふわと心もとない。けれど、それもエスコートしてくれるレイドの手があれば、危うさは微塵も感じなかった。
銀のトレイに飲み物を載せて運ぶ侍従を呼び止めて、受け取ったグラスのひとつをエルサーナに渡してくれる。
「のどが渇いただろう。これなら甘いし、アルコールもそれほど強くないからちょうどいい」
「ありがとうございます」
受け取ったグラスには、ピンク色の液体に赤いベリーがひとつ落とされている。口に運ぶと、甘酸っぱいベリーの味が、炭酸と一緒にのどを潤した。
「おいしい」
「そうか」
ふっと笑って、レイドはワインのグラスを傾ける。
その精悍なあごのラインを見上げながら、大義名分がないと人前にも出られない自分の弱さが、ちくりと心に突き刺さっていた。
「まあまあ、エルサーナ、久しぶりねぇ」
「しばらく姿を見なかったから、心配していたのよ」
そのはしゃいだような声に、エルサーナはびくりとこわばった。
にこにこと邪気のない顔の年配の婦人2人は、ウォーロック家の遠縁に当たる女性達だ。
愛想がよく、話題も豊富で、エルサーナもたまに会話を交わす程度には親しい。悪くない人たちだ。
ただ一点、噂話が好きなことを除いて。
「久々に来たと思ったら、こんな素敵な殿方を連れているなんて、驚いたわ!」
「紹介していただけるでしょう?」
興味津々の表情を隠さない二人は、ある意味裏がない。けれど、その無邪気さが痛い時だってある。
「あの、王国騎士団団長でいらっしゃいます、レイド・グランツ様です」
「レイド・グランツと申します」
けれど、ふたりはおや、と言う顔をする。
「騎士団長のグランツ様。たしか平民の出身でいらっしゃいませんでした?」
「それがどうしてこんなところへ?」
「叔母様方…!」
どうしてかこの2人はいつも無神経な発言が目立つ。けれど、止めるまえに、レイドがエルサーナを制した。
「ライトリークの代役です。本来ならライトリークがこの場にいるはずだったのですが、どうも私が働かせすぎたようです。体調を崩してしまったので、私が代わりを頼まれまして」
受け答えは無難で、そつがない。あまり口数が多いほうではないと思っていたけれど、貴婦人を相手にしても、いつもの態度を崩さないレイドを、エルサーナは驚きを込めて見つめる。
「普段は警備する側の人間なもので、どうも癖が抜けない。振りでも少しは貴族らしく振舞おうと思ってみたのですが、なかなかうまくいかないものですね」
「まぁぁ、そんなことなくってよ! ダンスもお上手だったわ」
「そうねぇ、いつもは見る側なのですものねぇ。でも、エルサーナのエスコートもそつなくこなしていらっしゃったわ」
「ありがとうございます。ダンスは苦手なもので、ぼろが出ないかと冷や汗物でしたよ」
「そんなふうには全然見えなかったわぁ」
「お顔が怖くていらっしゃるから、よくわからなかったのかもしれないわね」
「よく子供に泣かれるので困っています。まぁ、こういうときには顔に出ないので、この顔のほうが好都合ですね」
「お上手ですこと」
「面白い方ねぇ」
気の利いた切り返しに、2人がころころと笑う。
レイドはあっという間に話題を摩り替えて、二人の婦人の興味を、エルサーナから自分にひきつけてしまっていた。
けれど、気を使わせていることに、エルサーナは泣きたくなる。
2人が立ち去り、その後も好奇心からかちらほらとエルサーナの元に訪れる客達を、レイドは同じようにあしらってくれた。
いずれも、自分の話題に摩り替えるか、それでごまかされない人には、自分からお願いしたのだと、あくまでもエルサーナをかばう形で。
その間、声を発することもほとんどないエルサーナは、自分の情けなさに消え入りたい気分だった。
…なにより、そうしてかばわれて安心している自分に。
客が切れたのを機に、レイドはエルサーナを見下ろした。
「少し話し疲れた。休憩しよう」
「…ごめんなさい」
小さく謝罪するしかできない。こんなところでも迷惑をかけて、レイドに矢面に立たせている。
(やっぱり、来なければよかった)
こんなことをさせたいわけではなかったはずなのに。甘いカクテルで喉を潤した後、レイドに手を引かれるまま、バルコニーに出る。
緞帳で仕切られたそこは誰もいない。中の喧騒も遠くなる。2人きりでいるのがいたたまれなくて、エルサーナはうつむいたまま、レイドの顔を見れない。
「どうした、暗い顔して」
「…だって、私、本当に逃げてばかりで…。ここにきたらこうなることはわかっていたのに、レイド様の背中に隠れて、迷惑ばかりかけて何もいえなくて…」
声が震える。レイドもきっとあきれている。怖くて顔を上げられない。でも。
「なんだ、そんなことを気にしていたのか。何かまずいことでも言ったかと思って、冷や冷やしたぞ」
「え」
顔を上げたとたん、レイドの大きな手に頬を包まれた。笑みを含んだ鋭い目は、あくまでも優しくエルサーナを絡め取る。
「俺がここに何しに来たと思ってる。こうしてお前の盾になるためだ。その反応だと、十分俺は役割を果たしているらしいな。安心した」
「なぜ…!? あんなに無神経なことを言われて、変に勘ぐられて、下世話なことも言われているのに! どうして私のせいだっておっしゃらないの!?」
ちがう、こんな風に責めたいわけじゃない。怒るならレイドのほうなのに。わかっていてもうまくいかないのは、きっと、この場にいて気が立っているせいだ。
「それはお前のせいではなく、彼らの品性の問題だろう。それに、平民出の騎士団長と言う立場だと、あんなことは言われ慣れていて、いまさらなんとも思わんな。そよ風と同じだ」
「でも、私、自分が情けなくて…後ろに隠れて安心している自分がいて…本当は呆れているんでしょう!?」
まるで子供の癇癪だ。やけになって吐き捨てた途端、目の前が暗くなった。落ちた影は、もちろんレイドのもので。
柔らかく重なった唇が離れる。
「すまん、何も言わせなかったから気を悪くしたか? そんなつもりではなかったんだがな。お前とこうして人前に出られることに浮かれていて、お前の気持ちにまで気が回らなかった。悪かった」
気遣うような言葉と、やさしく抱きしめる腕に、涙がにじむ。
「違うんです、そんな風に言わせるつもりはなかったの…。お願いだから、そんなに甘やかさないで。また逃げたくなってしまう…」
こらえる声が震える。レイドの唇が、頬に触れる。
「甘やかしに来てるんだ、素直に甘えていろ。まだ急に前向きになれるものでもない。もうしばらく慣れてからでも遅くはないだろう。無理はするな」
そう言われると、心が折れる。許してくれるなら、もう少しだけ。
エルサーナは、張り詰めた気持ちを緩めて、守ってくれる腕に身を任せた。
エルさんネガティブですね。開き直れるのは相当先になりそうです。