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33本の薔薇の花束を君に

作者: アム
掲載日:2026/06/23

33本の薔薇の花束を君に


 残業が終わったのは、夜の十一時を過ぎた頃だった。


「はぁ……」


 梨花はデスクに突っ伏した。


 二十八歳。


 独身。


 趣味は乙女ゲーム。


 学生時代ほどではないが、今でも新作が出ればつい手を伸ばしてしまう。


 恋愛よりも仕事を優先しているうちに、気づけばこんな年齢になっていた。


「帰ろ……」


 会社を出て、コンビニでプリンを買う。


 家に帰り、シャワーを浴びて、部屋着に着替える。


 そしてベッドへ転がり込んだ。


 今日発売された新作乙女ゲームを起動する。


「さて、推し探しの時間ですかね」


 そう呟いた瞬間だった。


 スマートフォンの画面がちらつく。


「ん?」


 通信エラーだろうか。


 しかし次の瞬間、画面が真っ黒になった。


「えっ?」


 慌てて再起動しようとした時。


 暗闇の向こうに、人影が現れた。


 長い金髪。


 澄んだ青い瞳。


 白い軍服。


 忘れるはずがなかった。


 高校生の頃。


 何度も恋をした人。


 何度も泣かされた人。


 そして、何度も幸せにしてくれた人。


「……リュカ?」


 信じられない。


 そんな梨花に向かって。


 青年は優しく微笑んだ。


「久しぶりだね」


 その声も。


 その笑顔も。


 何一つ変わっていなかった。


 そして彼は静かに言った。


「迎えにきたよ」


 梨花はスマホを放り投げた。


「ぎゃああああああっ!?」



「待って待って待って!」


 ベッドの上で後退する。


 壁にぶつかった。


 逃げ場がない。


 スマホの中ではリュカが困ったように笑っていた。


「どうしてそんな反応なんだい」


「普通そうなるでしょ!?」


「そうかな」


「そうだよ!?」


 ゲームのキャラクターが喋っている。


 しかも昔の推しだ。


 意味が分からない。


「夢?」


「違うよ」


「幻覚?」


「違うよ」


「過労?」


「それも違う」


 即答された。


 怖い。


 でも顔が良い。


 困る。



「どうして今さら……」


 梨花は呟いた。


「私、もう何年も君のゲームを起動してない」


「知っている」


「最近は別のゲームもやってるし」


「知っている」


「推しだって増えたし」


「知っている」


 全部知っていた。


 リュカは少しだけ寂しそうに笑う。


「最初は明日になれば来ると思っていた」


 梨花は黙る。


「一週間待った」


 胸が痛む。


「一ヶ月待った」


 やめてほしい。


「一年待った」


 やめてほしいのに。


 聞いてしまう。


「それでも君は来なかった」


 その言葉は責めるようではなく。


 ただ寂しそうだった。



「怒ってる?」


 梨花が聞くと。


 リュカは不思議そうに首を傾げた。


「どうして?」


「だって……」


 忘れていたわけではない。


 でも会いに行かなくなった。


 それは事実だった。


 するとリュカは優しく笑う。


「君は忘れていないだろう」


「え?」


「私の名前を覚えていた」


 梨花は言葉を失う。


「顔も声も物語も覚えていた」


 確かにそうだった。


 今でも全部思い出せる。


「忘れたわけじゃない」


 リュカは静かに言う。


「ただ、生きるのに必死だっただけだ」


 その言葉に。


 梨花の目頭が熱くなった。



「ねぇ、リュカ」


「うん」


「どうして迎えに来たの?」


 リュカは少しだけ考える。


 そして照れたように笑った。


「会いたかったから」


 それだけだった。


 あまりにも単純で。


 あまりにも真っ直ぐだった。



 リュカはゆっくりと手を差し出した。


「梨花」


 初めて名前を呼ばれる。


 心臓が大きく跳ねた。


「向こうへ来るかい?」


 画面の向こう。


 かつて夢中になった世界。


 物語の中。


 何度も会いに行った場所。


 梨花は少し笑う。


「一つだけ聞いていい?」


「もちろん」


「幸せにしてくれる?」


 リュカは目を丸くした。


 そして。


 今までで一番優しく微笑む。


「もちろん」


 即答だった。


「そのために迎えにきたんだから」



 梨花は手を伸ばした。


 光が溢れる。


 世界が白く染まる。


 最後に見えたのは。


 嬉しそうに笑うリュカの顔だった。



 次に目を開けると。


 そこは懐かしい庭園だった。


 風が吹く。


 花が揺れる。


 何度も画面越しに見た景色。


 そして。


 目の前にはリュカがいた。


 彼は一本の薔薇を差し出した。


 それを受け取ると。


 さらに一本。


 さらに一本。


 気づけば梨花の腕の中には三十三本の薔薇が抱えられていた。


「え?」


 リュカは少し照れながら笑う。


「ずっと渡したかったんだ」


「三十三本?」


「意味は後で調べてごらん」


 いたずらっぽく笑う姿は昔のままだった。


 梨花も思わず笑う。


 そして。


 リュカがそっと手を差し出した。


「おかえり」


 梨花はその手を握る。


 涙が零れた。


 それでも笑った。


「ただいま」


 青空の下。


 三十三本の薔薇が風に揺れていた。


 まるで、長い長い再会を祝福するように。


【END】

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