第20話 正義の向かい側
救援地の空気は、わずかに変わり始めていた。
炊き出しの列は長く、配給は滞りがちになり、怒鳴り声が混じる。
最初にあった安堵と感謝は、焦りに置き換わっていた。
「順番を守れ!」
「昨日より少ないじゃないか!」
小さな衝突は、まだ暴動と呼ぶほどではない。
だが、確実に“芽”が育っている。
「物資の消費速度が、計算より二割早いです」
エレナの報告に、アレンは頷いた。
「人が増えています」
「ええ。救援の噂を聞いて、周辺からさらに流入しています」
地図の上で、矢印が増えていく。
救援が、救援を呼ぶ。
「……止める気はありませんか」
リーゼの問いに、アレンは首を振った。
「止めれば、彼らは“見捨てられた”と感じます」
「では、このまま?」
「ええ。クラウスが決断するまで」
その名を聞き、リーゼは眉を寄せた。
「彼は、引かないでしょう」
「だから、学ぶ必要があります」
同じ頃、救援本部。
クラウスは、簡易机に広げた帳簿を睨んでいた。
「……おかしい」
想定していた支援量。
想定していた人員。
想定していた治安。
どれもが、少しずつズレている。
「監察官、追加要請です」
「どこだ」
「南の村。食料が尽きかけています」
「昨日送ったはずだろう」
「さらに人が集まりました」
クラウスは、歯を噛みしめた。
「……送る。今すぐだ」
部下が去ったあと、彼は独り言のように呟く。
「救える。まだ救える」
その言葉は、自分に言い聞かせるものだった。
夜。
アレンは、クラウスを訪ねた。
灯りの少ないテントの中。
二人きり。
「現場を見ました」
「どうだ」
「混乱が始まっています」
「承知している」
クラウスは、疲れた顔で答えた。
「だが、引けば人が死ぬ」
「引かなくても、いずれ死にます」
「……君は、いつもそれだな」
クラウスは、低く笑った。
「正しさで、人を切る」
「切っているのは、私ではありません」
「なら誰だ」
「現実です」
沈黙。
外で、子供の泣き声が聞こえた。
「君は、いつからそんな顔で世界を見るようになった」
「最初からです」
「嘘だ」
クラウスは、視線を逸らさず言った。
「君も、昔は救おうとしたはずだ」
「……ええ」
アレンは、静かに認めた。
「救って、失敗しました」
「だから、線を引いた?」
「はい」
「臆病だな」
「生き残るためです」
クラウスは、目を閉じた。
「私は、臆病になれなかった」
翌日。
救援地で、大きな揉め事が起きた。
物資倉庫への侵入。
止めに入った連合兵が負傷。
噂は、瞬く間に広がる。
「救援は不公平だ」
「奪った者勝ちだ」
クラウスは、決断を迫られた。
「……配給に、条件を設ける」
その命令が出た瞬間、
アレンは目を伏せた。
――同じ場所に、辿り着いた。
条件付き配給。
労働登録。
秩序の優先。
それは、かつてクラウスが否定したやり方だった。
夜、二人は再び向き合う。
「……君の言う通りだった」
クラウスは、疲れ切った声で言った。
「人は、救われるだけでは生きられない」
「秩序が必要です」
「だが、私は……」
言葉が続かない。
アレンは、静かに答えた。
「あなたは間違っていません」
「なら、なぜこんなことに」
「“正義の速度”が違っただけです」
クラウスは、苦笑した。
「君は、最初から終点を見ていた」
「ええ」
「私は、途中しか見ていなかった」
その頃、王国では。
英雄レオンが、さらに強硬な策を打ち出そうとしていた。
世界は、まだ荒れる。
アレンは、夜空を見上げた。
――正義は、向かい合う。
どちらかが悪ではないからこそ、
世界はこんなにも難しい。
戦後処理官は知っている。
正義と正義がぶつかる時、
最も傷つくのは――
判断を遅らせた側だということを。
(第20話 了)




