第17話 聖女の沈黙
奇跡は、起きなかった。
王国中央聖堂。
白い石の床に人々がひざまずき、祈りの声が重なっていく。
「どうか、我らに救いを」
「飢えと混乱を、お鎮めください」
祭壇の前に立つのは、聖女セリア。
かつて魔王討伐の折、無数の傷を癒し、兵を奮い立たせた存在だ。
彼女は目を閉じ、祈りの言葉を紡ぐ。
――光よ。
だが、何も起きない。
ざわり、と空気が揺れた。
聖堂に満ちていたはずの、温かな気配。
人々の胸を満たしていた、確信のようなものが、どこにもない。
「……もう一度」
セリアは、わずかに声を震わせながら祈り直す。
――光よ、癒しを。
それでも、奇跡は降りなかった。
人々の視線が、ゆっくりと変わっていく。
期待から、不安へ。
不安から、疑念へ。
「……聖女様?」
「どうしたんだ……」
誰かが囁いた。
セリアは、息を詰まらせた。
魔王は倒された。
世界は救われたはずだった。
なのに――なぜ、光は応えない。
その日の夜、王城。
勇者レオンは、苛立ちを隠さず歩き回っていた。
「奇跡が起きない? そんなはずがあるか!」
「事実です」
ベルナールが、重い声で答える。
「信仰が、揺らいでいます」
「揺らいでいるのは、民の心だろう!」
「……それが問題なのです」
レオンは言葉を失った。
聖女の力は、信仰と結びついている。
民が疑えば、奇跡は弱まる。
「グランツの噂が、効いています」
ベルナールは続ける。
「“奇跡では国は救えない”
“必要なのは、戦後を処理する力だ”」
レオンの脳裏に、追放した男の顔がよぎる。
「……あいつのせいだ」
一方、聖堂の奥。
セリアは一人、膝を抱えていた。
聖女である前に、ただの人間として。
「……私が、間違っているの?」
祈りに応えない光。
向けられる疑いの視線。
これまで、彼女は“癒す側”だった。
判断せず、責任を取らず、祈りだけを捧げてきた。
だが今、世界はそれを許さない。
翌日、王国の街に張り紙が出た。
――聖女による大規模祈祷会、中止。
理由は、書かれていない。
だが、人々は理解した。
「……もう、奇跡は頼れない」
「じゃあ、誰が助けてくれる」
不安は、怒りに変わる。
一方、グランツ。
アレンは、エレナからの報告を静かに聞いていた。
「王国で、聖女の祈祷が失敗しました」
「……そうですか」
「信仰が崩れ始めています」
リーゼは、目を伏せた。
「象徴が、崩れた」
「ええ」
アレンは、淡々と答える。
「英雄は剣を振るい、聖女は沈黙した。
これで、王国は“物語”を失いました」
リーゼは、静かに言った。
「……それでも、人は救われていない」
「だからこそ、次に進みます」
その夜、セリアは決断した。
王城を抜け出し、粗末な外套を羽織る。
聖女としてではなく、一人の人間として。
向かう先は――グランツ。
彼女自身も、まだ知らない。
この旅が、
英雄神話の終焉を決定づける一歩になることを。
戦後処理官は知っている。
奇跡が沈黙した世界では、
“責任を引き受ける者”だけが、前に進める。
(第17話 了)




