第16話 英雄の選択
王国の王城に、重苦しい沈黙が落ちていた。
窓は閉め切られ、昼だというのに室内は薄暗い。
机の上には、破棄された復興計画案と、未処理の請願書が山積みになっている。
勇者レオンは、その中心に立っていた。
「……なぜ、誰も従わない」
吐き捨てるような声だった。
戦争中、彼の号令は絶対だった。
剣を掲げれば兵は進み、叫べば民は祈った。
だが今、誰も見ていない。
「民は腹を空かせ、貴族は責任を押し付け合い、周辺国は距離を取っている」
宰相ベルナールが、疲れ切った声で答える。
「原因は明白です。復興に、指揮系統がありません」
「なら、作ればいい!」
レオンは机を叩いた。
「俺が指揮を執る。英雄が前に立てば、民はついてくる!」
ベルナールは、言葉を失った。
戦場では正しい判断だ。
だが、今は違う。
「……軍を動かしますか」
「当然だ」
レオンの目には、迷いがなかった。
「略奪が起きている地域がある。秩序を取り戻すには、力が必要だ」
「それは、治安維持ではなく――」
「黙れ」
その一言で、空気が凍る。
数日後。
王国軍が、難民地区へ進軍した。
掲げられた旗は、かつて希望の象徴だったものだ。
だが今、民の目に映るそれは、恐怖だった。
「帰れ!」
「食料をよこせ!」
怒号が飛ぶ。
指揮を執るのは、勇者レオン自身。
剣を抜き、声を張り上げる。
「秩序を乱す者は、排除する!」
その言葉が、決定的だった。
小競り合いは、瞬く間に流血に変わった。
誰かが倒れ、誰かが逃げ、誰かが泣いた。
王国は、戦争を終えたはずだった。
だが――戦争は、形を変えて戻ってきた。
一方、グランツ。
エレナが、顔色を変えて執務室に飛び込んでくる。
「王国軍が、難民地区で武力行使を始めました」
「……来ましたか」
アレンは、静かに椅子から立ち上がった。
「規模は?」
「小規模ですが、象徴的です。勇者本人が指揮を」
「……最悪の選択ですね」
リーゼが、唇を噛む。
「彼は、本気です」
「ええ。だからこそ、危険です」
アレンは地図を広げ、王国周辺を見渡す。
「英雄は、“力で終わらせる”ことしか知りません」
「止められますか」
「……直接は無理です」
アレンは、低く言った。
「英雄は、正義を疑わない」
「では」
「正義が、世界を壊す瞬間を、記録するしかない」
リーゼは、息を呑んだ。
「見殺しにする、ということですか」
「……いいえ」
アレンは、はっきりと言う。
「これは、“英雄神話の終わり”です」
その夜、王国から逃れてきた難民が、グランツの国境付近に現れ始めた。
彼らが口にする言葉は、同じだった。
「……勇者が、剣を向けた」
噂は、炎より速く広がる。
英雄は、守る者だった。
その英雄が、民に刃を向けた。
その事実は、剣より重い。
アレンは、夜の城壁で一人、空を見上げた。
「……ここからが、本当の仕事だ」
戦後処理官は知っている。
英雄が暴走した時、止めるのは剣ではない。
――“物語”そのものを、終わらせることだ。
(第16話 了)




